2011年12月29日木曜日

改憲派の動きに注意を


 私(多幡)個人の2009年4月までのブログが、以前使っていたブログサイトのプロバイダーの事故で消失し、現在使っているサイトのアーカイブに、ハードディスク上の控えから少しずつ復元しつつあります。2005年8月3日付けで、自民党が当時策定した改憲草案に対する批判を書いた記事「日本はそうなってよいのだろうか:自民党の改憲案」を、きょう復元したところです。いま、改憲の動きが再燃しています。ご覧の上、参考にしていただければ幸いです。

 折しも、インターネットで、「自民、徴兵制検討を示唆:5月めど、改憲案修正へ」のニュースがツイートされているのを見て驚きました。私たち国民が、ただちに怒りの声をあげなければならないニュースと思いましたが、よく見ると2010年3月4日付けのニュースでした。いずれにしても、改憲派の動きには注意して、それを阻んで行かなければなりません。

(多幡記)

2011年12月25日日曜日

朝日紙社説、武器輸出三原則の緩和を批判


 昨今のメディアは政府の動きを批判することが少ないばかりか、疑問視される動きに拍車をかける報道さえも少なくない。しかし、きょう、2011年12月25日付けの朝日新聞は、「武器輸出:三原則を緩和するな」という社説を掲げた。

 「三原則は、専守防衛に徹し、他国への脅威とはならないという、戦後日本の抑制的な防衛政策の主要な柱のひとつである。この平和国家のブランド力の意義、重みを、首相らはどう考えているのか」「いま、中国やロシア軍の急速な近代化に対抗する形で、アジア・太平洋地域の軍拡が進んでいる。日本の三原則緩和に関係国の疑心を招けば、この流れを助長しかねない」と述べ、「日本外交が優先的に取り組むべきは、不断の対話と相互依存の深化を通じて、地域の信頼醸成に努めることだ」と主張している。

 上に引用した箇所だけを見れば、大いにうなずける。ただし、冒頭近くに「なぜ、こんな年末のどさくさに紛れるように見直しを急ぐのか」とあり、また、文末には「拙速に三原則を緩める時ではない」とある。これらの文は論調を弱めているといわなければならない。拙速でなくとも、武器輸出三原則の緩和をするなどは、平和主義憲法に照らして、もってのほかのことであろう。

(多幡記)

「九条の会」メルマガ第132号:家族の “カ” の字


 表記の号が2011年12月25日付けで発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。主な内容は次の通りです。
  • 事務局からのお知らせ
    • 九条の会メルマガは今号が本年最終号、新年は1月25日号から
    • ブックレット「加藤周一が語る」:重版できました
    • 「九条の会」リーフレットのデザインを更新、ポストカードもあります
    • 「未来世代にのこすもの 私たちは何を『決意』したか:九条の会講演会」のDVD、好評発売中
    • 憲法セミナーブックレット「核のない平和な世界と憲法9条」
    など
  • 各地から:全国の草の根にはこんなに多彩な活動が
    • 落合・中井九条の会(東京都新宿区)
    • 九条の会・摂津(大阪府摂津市)
  • 活動報告
    • 九条の会・べっぷ(大分県別府市)
    • 木津九条の会(京都府木津川市)
  • 編集後記:家族の “カ” の字、お礼に代えて(以下に引用)
 憲法審査会で自民党の西田昌司議員が「憲法には大切な家族の “カ” の字も書いてない」などとのたまわったと思ったら、その次の会議で「立ち上がれ日本」の藤井孝男議員も「憲法に家族の “カ” の字もないのは問題だ」と呼応。「24条にあるよ」とヤジられて、藤井議員、あわてて「国会手帳」の憲法を拾い読み。そして、「たしかにあります。しかし、いいたかったのは…」と弁解。タカ派で知られるお二人だが、憲法すらロクに読まないで、“カ” イケン論をとなえるから恥をかくのです。
 年の変わり目にこの場を借りてお礼申し上げます。毎月口座に振り込んでくださる方、おそらくパソコンからプリントアウトした風景写真に包んで送ってくださる方、出版物・制作物の代金に上乗せして送金してくださる方……沢山の方々が九条の会の運営を資金面で支援してくださっています。本来でしたらそうした方々には直接お礼申し上げるべきところ、なかなか力及ばず、失礼してしまったり、なかには直接お礼申し上げることのできない方もいらっしゃいます。こころから御礼申し上げます、ありがとうございます。

 参考
 憲法第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

2011年12月23日金曜日

大江健三郎さん、「なにより同じ過ちをくり返さないこと」


 ノーベル文学賞作家で「九条の会」呼びかけ人の一人の大江健三郎さんが、民医連月刊誌『いつでも元気』2012年1月号に、「取り返せないことを取り返す」と題する巻頭エッセイを寄せています。

 東京電力福島第一原発の事故で、福島の土地が広範囲にわたって汚染を受け、住民が歎く様子をニュース特集で見た大江さんは、これこそ祖母が口癖だった「取り返しのつかないこと」ではないかと、おびえました。しかし、東京で6万人を越える市民が集った「さようなら原発」集会に参加して、「このままへたりこんでしまうわけにはゆかない」という励ましを受けたということです。

 そして、「夕鶴」を書いた木下順二さんが、「取り返せないことを取り返す」という言葉を遺したことを思い出し、「ひとりひとりの個人が、そのように決心して働くこと、なにより同じ過ちをくり返さないこと」の重要さを訴えています。

 新しい年を迎えるに当たって、私たちは、わが国がふたたび戦争への道を歩んだり、原発の大事故を起こしたりすることのないように、「同じ過ちをくり返さない」の決心を固めようではありませんか。

(多幡記)

2011年12月21日水曜日

ノーベル賞物理学者・益川敏英さん9条を語る


 2011年12月19日付け毎日新聞大阪夕刊にインタビュー記事「今、平和を語る:ノーベル賞物理学者・益川敏英さん」が掲載されました(同記事のウェブ版はこちら)。益川さんは、2008年にノーベル物理学賞を受賞した一人で、ストックホルムでの受賞記念講演で戦争体験に触れたことが印象的でした。

  インタビューの最後に聞き手は、益川さんが「九条科学者の会」の呼びかけ人、「憲法9条京都の会」の代表世話人であることにふれています。それに応えて益川さんは、憲法9条が交戦権を否定しており、憲法を変えたいという人たちは、日本を戦争のできる国にしたいと思っているからだろうということ、100年単位でみると人類は進歩しており、いまや宣戦布告して戦争をするのは不可能だろうということ、日本国憲法の理念がこれから世界の国々に浸透していくだろうということなどを、力強く語っています。

 折しも、政府は20日の安全保障会議で、航空自衛隊の次期主力戦闘機 (FX) として米ロッキード・マーチン社製の F35A を決定し、閣議で了承しました。1機あたりの調達価格は2012年度予算ベースで99億円としています。最終的に42機を導入する方針で、今後、維持費も含めれば総額1兆円に達するとの見方もあります。主力戦闘機の主任務である「防空」を踏み越えて、「空対地攻撃能力」=敵基地攻撃まで想定されており、憲法上も大いに問題視されるものです。政府は益川さんの言葉に大いに耳を傾けてもらいたいものです。

 (多幡記)

2011年12月11日日曜日

ウェブ・ページ「各地の9条の会リスト」と「戦争のつくりかた」


 「リボン・プロジェクト」のウェブ・サイトに「各地の9条の会リスト」のページがあります。現在はホームページを開設している会のみを対象にしているとのことです。2011年7月2日更新のリストに、私たちの会はまだ載せられていませんが、「リボン・プロジェクト」の連絡先が分かりません。「リボン・プロジェクト」は、「国籍や文化、民族、性別などを超えて、みんなと繋がって行きたい、という思いをコンセプトにしたプロジェクト」です。

 「リボン・プロジェクト」は、絵本「戦争のつくりかた」(マガジンハウス、2004;内容は「戦争のつくられかた」)を作成して、「ここ数年、日本が徐々に、しかし大きく変化してきている」ことに警鐘を鳴らしています。絵本「戦争のつくりかた」ページから、ウェブ版その他の形で、絵本の内容を見ることが出来ます。

 (多幡記)

2011年12月10日土曜日

「九条の会」メルマガ第131号:「九条の会」の出番


 表記の号が2011年12月10日付けで発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。主な内容は次の通りです。
  • 事務局からのお知らせ
    • 九条の会メルマガは次号(12月25日発行)が本年最終号、新年は1月25日号からです
    • 「九条の会」リーフレットのデザインを更新ポストカードもつくりました
    • 「未来世代にのこすもの:私たちは何を『決意』したか――九条の会講演会」の DVD、好評発売中
    • 憲法セミナーブックレット「核のない平和な世界と憲法9条」
    • 憲法セミナーブックレット「憲法九条の輝きを日本に世界に」
    など
  • 各地から:全国の草の根にはこんなに多彩な活動が
  • 編集後記:憲法審査会の改憲論議(以下に引用)
 第179臨時国会中の憲法審査会は衆参とも実質審議が各2回行われ、「非常事態条項」の導入、自衛隊の明記、96条改憲、新しい人権条項導入などなどの発言が改憲派の委員から相次ぎました。改憲派は第9条にターゲットを絞りつつも、さまざまに現行憲法への批判を行い、憲法審査会を改憲のための世論づくりの場にしようとしているようです。全国交流集会での小森事務局長のまとめの発言にもありましたが、「九条の会」の出番ですね。

2011年12月8日木曜日

大阪空襲訴訟、一審判決が出ました


 2011年12月7日、戦争と空襲による被害の責任を問う裁判「大阪空襲訴訟」に一審判決が出ました。判決主文は
 1. 原告らの請求をいずれも棄却する。
 2. 訴訟費用は原告らの負担とする。
というものです。

 原告団・支える会では、「あまりにも冷酷な判決に怒りがこみ上げてきます。多くのみなさんのご支援、本当にありがとうございました。一審は残念で悔しい判決に終わりましたが、控訴し頑張ります。引き続きご支援をお願いします」というコメントを発表しています。

 また、弁護団の大前治弁護士は次のように述べています。
「不当な判決ではありますが、以下の点は注目に値すると思います。(1) 防空法制や戦傷病者援護法の適用拡大など、原告が主張してきた事実が認定されました。(2) 戦争損害受忍論(戦争損害の救済は現憲法が予定していないという見解)は採用しませんでした。(3) 戦争損害について、補償を受けた者と受けられない者が存在する状態が相当期間継続するに至っており、この差異が『憲法上の平等原則違反の問題を全く生じさせないと即断することはできない』と判示されました。特に (3) について、空襲被害者への格差の放置と重大化によっては憲法違反という判断もあり得ると、裁判所が明言したことの意味は大きいと思います。」

 (以上、大阪空襲訴訟原告団・支える会と同弁護団のウェブサイトを参考にしました。)

 「人間としての尊厳」の回復を求めるこの裁判の控訴審を、引き続き応援しましょう。

太平洋戦争開始から70年


 本会の世話人と賛同者で、毎月9の日(またはその前後)に、憲法9条を守り活かすための宣伝・署名活動を地域で実施しています。今月はきょう12月8日、太平洋戦争開始からちょうど70年目の日に実施の予定でしたが、あいにくの雨で中止としました。

 ハンド・マイクでの街頭宣伝に使う文は、毎回、本会の事務局長と代表(こちらは時折休みます)が別個に作成したものを使用しています。毎回同じ表現の部分もありますが、時勢や状況に応じて変る部分も多くあります。きょう使用する予定だった代表の作成による文を以下に掲載します。

(本会代表・多幡)



 皆さん、こんにちは。こちらは福泉・鳳地域「憲法9条の会」です。

  日本が二度と戦争を起こさない平和な国であるように、憲法9条を守り、また、これを世界に輝かせようと、作家の大江健三郎さん、澤地久枝さんら9名の呼びかけで、2004年に「九条の会」が発足しました。この「九条の会」を地域や職場で支える会が、全国で7500以上にもなり、その運動は大きく広がっています。

  私たち福泉・鳳地域「憲法9条の会」も、このような地域の会の一つです。国際紛争の解決手段としての戦争を、永久にしないとしている憲法9条を守るため、思想・信条の違いを超えて力を合わせ、戦争反対への共同の輪を広げるための署名活動をしています。皆さんのご協力をぜひ、よろしくお願いします。

  きょう12月8日は、日本が太平洋戦争を始めた日から、ちょうど70年目に当たります。あの戦争で、日本の軍隊は約220万人の死者を出し、空襲や原爆で、一般の人たちも約100万人が死亡し、310万戸の家が焼けたり壊されたりしました。また、日本の侵略によって死亡したアジア諸国の人々の数は、1880万と推定されています。なんと野蛮で愚かなことをしたのでしょうか。

 日本国憲法は平和主義を一つの主要な柱でとして、第9条で国際紛争解決のために、戦争や、武力による威嚇、そしてまた、武力の行使をしないと決めています。この条項は、国民に多大な苦しみを与えたあの愚かな戦争の反省の上に立って、戦後の日本で大いに歓迎されたのです。

  ところが、近年の日本の政治は、日本国憲法9条が実現しようとした国のあり方を、変える方向に歩んで来ました。民主党政権は野田内閣に変ってからも、沖縄県民の意志を無視しての米軍基地の辺野古移設や、「武器輸出三原則」の見直しで、戦争への加担を進めようとしています。憲法9条が大切と思う国民の声をよそに、国会では先月、衆参両院の憲法審査会が動き始めました。憲法を変えたいという考えの議員たちの本音は、憲法9条を変えることなのです。

  昨今の国際情勢としては、平和に向って努力する機運が、わずかずつながら高まっています。その中で、わが国が憲法9条を変えて、戦争をする国になるならば、それは歴史の歯車を大きく逆転させることになるでしょう。日本がそのような道を進まないようにするためには、憲法9条を守り活かさなければならないとの声をさらに大きくして、名実ともに憲法9条が世界の手本になるようにしなければなりません。

  さる10月30日に、私たち福泉・鳳地域「憲法9条の会」は結成5周年を記念する集いを開催し、ジャーナリスト・伊藤千尋さんのお話を聞きました。その中に、アフリカ沖の島、カナリア諸島に、日本の憲法9条を書いた碑があるという話がありました。憲法9条は、海外でもこのように尊ばれているのです。そのような憲法9条を、活かさないどころか、なくしてしまおうというのは、とんでもないことではありませんか。

  米軍基地にせよ、核兵器その他の兵器にせよ、軍事的抑止力というものは、軍拡競争をあおるだけで、それらが戦争防止に役立つという考えは、幻想に過ぎません。ましてや、日本を海外で戦争の出来る国にすることは、軍事費の増大で一般国民の暮らしを苦しめ、近隣の国々との間の問題解決に本当に有効な外交手段を遠ざけるという結果しかもたらしません。憲法9条こそが真の抑止力なのです。

  それにもかかわらず、日本の政府が米軍基地を重視するなどのアメリカ従属の姿勢をとっている重要な原因は、旧条約が結ばれてから60年にもなる、日米安保体制にあることを見逃してはなりません。平和で豊かな日本の未来を作るには、アメリカの従属国であるという地位を返上し、憲法9条を本当に活かすことが不可欠ではないでしょうか。 

 「戦争はきらい」という私たちの素朴な気持ちこそが、政治を正しい方向に向けることが出来るのです。この気持ちを結集して、憲法9条を守りかそうとの世論をもっともっと広めるため、署名活動をしています。お願いに回っています署名によろしくご協力下さい。 

 大きなマイクでお騒がせしました。ご清聴ありがとうございました。

2011年12月7日水曜日

原発ゼロ・自然エネルギー推進 大学習・交流集会のお知らせ



 表記の集会が、和田 武さん(「原発ゼロの会」呼びかけ人・日本環境学会会長)を招いて開かれます。

☆日時:12月17日(土)午後1時〜4時30分
☆会場:大阪府保険医協会 MD ホール
    (大阪市浪速区幸町1-2-33)
 資料代 500円、学生無料

●記念講演
 「自然エネルギーの可能性と日本での普及推進」
   講師 和田 武・自然エネルギー市民の会代表
●各団体や地域、職場、学園で取り組まれている
  原発ゼロの運動の学びあい大交流
●来年の「3・11企画」など原発ゼロの会の計画

主催:「原発ゼロの会・大阪」原発をなくし、
  自然エネルギーを推進する大阪連絡会
  〒540-0026 大阪市中央区内本町2-1-19
   内本町松屋ビル10 370号
   大阪から公害をなくす会気付
   電話 (06) 6949-8120 FAX (06) 6949-8121

 上掲のチラシの原寸大イメージは、こちらのウェブ・ページからダウンロード出来ます。

2011年12月6日火曜日

第27回平和と民主主義を語るつどい:「心の自由を守るために」—東京の「日の丸・君が代訴訟」から学ぶもの—



 表記のつどいが次の通り開催されます。こぞって参加しましょう。 

■と き:2011年12月17日(土)14:00〜
■ところ:サンスクエア堺第1会議室
■講 師:大前 治さん(弁護士、自由法相談大阪支部
   幹事)
■主 催:自由と自治・進歩と革新をめざす堺市民の会
   (堺市民懇)
   連絡先 〒590-0021堺市堺区北三国ヶ丘町1-2-29
            堺市教育会館内 

 橋下・「大阪維新の会」は、「日の丸掲揚・君が代起立斉唱強制」条例を大阪府議会に提出し、6月3日、多くの反対の声を押し切って可決成立させました。さらに9月には、政治が教育に介入し、言うなりにならない教員や職員を排除する「教育条例案」「職員基本条例案」を大阪府議会、大阪市議会に提出しています。  一方、とうきょうでは2003年の都立学校に対する「10・23通達」に端を発する一連の「日の丸・君が代訴訟」が、8年を経たいまでもつづいています。  この東京の「日の丸・君が代訴訟」の核心は何なのか、大阪の現情勢下で私たちが教訓とするべきものは何なのか、学習し、考えましょう。(以上、つどいのチラシから。)

2011年12月5日月曜日

大阪空襲訴訟 12/7判決となります


 3年前に提訴した大阪空襲訴訟は、多くの皆さんの支援に支えられて、たたかってきました。そして、ちょうど3年目の1日前に判決となりました。傍聴に大勢で参加しましょう。

■日時 12月7日(水)午後2時
 傍聴者の抽選受付は午後1時半からです。
 遅れないように裁判所(大阪市北区西天満2-1-10)
 本館北側に集合しましょう。
■報告集会 裁判終了後、中央公会堂で


 (以上、大阪空襲訴訟原告団・弁護団・支える会からの案内を参考に記しました。)

2011年12月1日木曜日

"「原発」よ、さらば "


 科学史家の伊東俊太郎氏が『図書』2011年12月号 p. 1 に表記題名の巻頭言を記し、次のように主張している。
CO2を出さないなどという環境保護をあげつらった人々は、原発が放射性(廃棄)物質を出し続けることの方には口をつぐんでいた。 自然エネルギーの利用発展こそが環境問題の終局的な解決なのである。 いま日本は、(核兵器を含めた)核廃絶運動で、世界の先頭に立つべきである。
大いに同感である。

 なお、"「原発」よ、さらば " という題名は、アーネスト・ヘミングウェイの小説『武器よさらば』を連想させる。憲法9条を持つわが国の政府が、いまだに武器(自衛隊の戦力)と米軍基地に執着していることは、大きな問題である。

(多幡記)

2011年11月29日火曜日

「第9」合唱に九条への思い乗せる


 さる11月25日、国分寺市立いずみホールで、「9条の会・こがねい」などが作曲家の池辺晋一郎さんを迎え、ピアノとトークの夕べ「3・11後の日本。いまをみつめ、未来を語る」と題するつどいを開催しました。池辺さんは軽妙なトークで、参加者たちに憲法の意味と価値を新しい角度で考えさせました。

 また、国分寺市在住の伊藤隆さんがベートーベンの「第9」最後の合唱「歓喜の歌」のメロディーに乗せて作詞した「憲法九条擁護 "喚起に寄す"」を全員で合唱し、「平和の砦(とりで)ぞ/この九条こそ/世界に誇れる/日本の宝」と、新たな年への熱い思いを会場一杯に力強く満たしました。

 (この記事は、「九条の会」メールマガジンの詳細 第129号と、11月29日付け「しんぶん赤旗」社会面「まど」欄を参考にしました。)

2011年11月25日金曜日

「九条の会」メルマガ第130号:九条の会第4回全国交流集会、大成功


 表記の号が2011年11月25日付けで発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。主な内容は次の通りです。 

■事務局からのお知らせ
 ◇九条の会第4回全国交流集会、大きな成功
 11月19日に開催された九条の会第4回全国交流集会は、北海道から沖縄まで全国各地の九条の会から、会場を満員にする約750名の参加で、「原発震災と憲法情勢」などの問題をはじめとして、熱心な活動報告と交流が行われ、「九条の会」の今後の活動を進めるうえで大きな成功を収めることができました。(以下略)
 ◇「九条の会」リーフレットのデザインを更新
  ポストカードもつくりました
 ◇<未来世代にのこすもの:私たちは何を「決意」し
  たか――九条の会講演会>の DVD、好評発売中
 ◇憲法セミナーブックレット「核のない平和な世界と
  憲法9条」
 ◇憲法セミナーブックレット「憲法九条の輝きを日本
  に世界に」
 など
■各地から:全国の草の根にはこんなに多彩な活動が
■編集後記:全国交流集会、熱心な報告と議論で交流
 今年の全国交流集会では大規模な「特別分散会」を設けたために、各分散会の出席者が4~50人の規模となり、報告だけではなく、交流・議論ができたことが好評でした。皆さん、ずっしりと重い各地の「九条の会」の経験と教訓のおみやげをもって帰路につきました。(以下略)

多幡記

2011年11月24日木曜日

日本科学者会議常任幹事会が決議と緊急声明


 日本科学者会議常任幹事会は11月13日、「東日本大震災ならびに原発災害の被災者の救済、被災地の復旧 をこれ以上遅らせてはならない」という決議(全文はこちら)を行ないました。また、翌11月14日には、緊急声明「東日本大震災ならびに原発災害の被災者の救済、被災地の復旧 をこれ以上遅らせてはならない」(全文はこちら)を発表しました。

 決議では、まず、「復興災害の再来を許してはならない」として、第3次補正予算を大規模な公共事業を期待する内需関連企業の復興特需に向けるのでなく、被災者・被災地域の切実な住民要求を実現するために抜本的に組み替えることを要求しています。

 次いで、「原発災害を抑制し、被害者を全面救済するのは国の責任である」として、原発災害の被害者に対して、加害者である東電や政府は、いっさいの線引きなしに全面的な損害賠償をただちに行うことを求めています。

 さらに、「復興財源を増税に求める必要はまったくない」として、その理由が、一方でグローバル企業が求めてきた法人税率を引き下げ、他方で所得税の引き上げによって勤労国民に対してだけ増税を求める政府の詭弁にあることを明らかにし、復興財源は、内部留保をため込んでいる大企業や金融資産を保有する相対的に裕福な国民の自発的な資金提供に依拠して調達されるべきであると主張しています。

 緊急声明では、次の三つの理由を挙げて、日本政府が TPP 交渉参加の方針をただちに撤回することを要求しています。
  1. 日本の TPP 参加は日本国民の生命と生活の安心・安全を脅かし、国民から雇用を奪うものにほかならず、東日本大震災被災地復興の最大の妨げになる。
  2. 交渉対象になりうるすべての項目について、具体的な国益を国民に明らかにすることなしに交渉参加はなされるべきではない。
  3. 国民に 対して十分な情報提供と説明をすることなしに、政府が勝手に国際交渉に参加するこ とは国民主権を侵す行為である。

(多幡記)

2011年11月20日日曜日

「九条の会」全国交流集会開く


 「九条の会」の第4回全国交流集会が11月19日、東京の日本教育会館で行なわれました。東日本大震災の被災地や沖縄を含め全国各地の代表が参加し、草の根の活動経験を持ち寄りました。震災復興や原発問題と憲法のかかわり、新たな強まりを見せている改憲策動への対抗策などについて、750人の参加者が熱心に交流しました。

 全体会の初めに、作家の大江健三郎さん、憲法学者の奥平康弘さん、作家の澤地久枝さんのあいさつがありました。大江さんは「福島で起きていることが二度と起きないように全力を尽くすことは、"憲法文化的" な仕事です」と述べました。奥平さんは、「[日本人が]3・11によって[憲法のよさを]再認識しているときに、憲法改正問題が "亡霊" のように出てきた。ここで、あらためて気をしめ直し、たたかいに挑む必要があります」と話しました。澤地さんは「"日本はいま世直しを求められている。[憲法が軽んじられている現状を]変えなければいけない” と思います」と語りました。

 (より詳しい報告はこちらでご覧になれます。上記のニュースは、このリンク先の記事を参考にしました。)

2011年11月19日土曜日

大阪府教育基本条例案に反対:学者文化人、立場超えアピール


東京大学教授の佐藤学、小森陽一の両氏はさる11月17日、記者会見し、大阪府の橋下徹前知事が率いる「大阪維新の会」が府議会に提出している大阪府教育基本条例案に反対するアピールを発表しました。

アピールは両氏のほか、元中央教育審議会委員の市川昭午氏、女優の竹下景子さんら10人が呼びかけたもので、条例案が学校教育を知事及び議会の直接的な支配下に置こうとすることに強い危惧を覚えると述べています。アピールの全文、よびかけ人、賛同者、賛同メッセージはウェブサイト「大阪教育基本条例反対アピール運動」でご覧になれます。

2011年11月12日土曜日

原発ゼロと「新しい日本」を考える 12.8 府民のつどい



「太平洋戦争開戦70周年・平和と憲法を守る 12.8 府民のつどい」が、「原発ゼロと『新しい日本』を考える」をテーマに下記の通り開催されます。多数ご参加下さい。

◆日時:2011年12月8日(木)午後6時開場・6時半開会
◆場所:ドーンセンター・ホール
  • 京阪「天満橋」駅下車。東口方面の改札口から地下通路を通って1番出口から東へ約350m
  • 地下鉄谷町線「天満橋」駅下車。1番出口から東へ約350m
  • JR東西線「大阪城北詰」駅下車。2番出口から土佐堀通り沿いに西へ約550m
◆参加協力費(資料代込み):1000円
 (東北からの避難者・青年・障がい者は無料)

◆内容:
○トークセッション
 震災復興、「放射能汚染と子ども」を考える
 【パネラー(敬称略)】
 根本 敬=福島県農民連事務局長
 佐々木唯=East Japan RE:Project 代表
 市川章人=「とことん聞ける放射能問題」講師
 藤永のぶよ=自然エネルギー市民会議代表委員
○東北民謡
 高宮佳美さんとお囃子

◆主催:進歩と革新をめざす大阪の会(大阪革新懇)
 連絡先
 〒530-0041 大阪市北区天神橋1-13-15
  大阪グリーン会館3階
 TEL 06-6357-5302; FAX 06-6357-9410

2011年11月10日木曜日

「九条の会」メルマガ第129号:九条の会の真価が問われるときがきました


 表記の号が2011年11月10日付けで発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。主な内容は次の通りです。 

■事務局からのお知らせ
 ◇第4回全国交流集会まで、間近に迫りました
 ◇「九条の会」リーフレットのデザインが新しく
 ◇<未来世代にのこすもの:私たちは何を「決意」し
  たか――九条の会講演会>のDVD、好評発売中
 ◇憲法セミナーブックレット「核のない平和な世界と
  憲法9条」
 ◇憲法セミナーブックレット「憲法九条の輝きを日本
  に世界に」
 など
■各地から:全国の草の根にはこんなに多彩な活動が
■編集後記:憲法審査会(以下に全文を引用します。)
 11月17日に衆議院の憲法審査会の会議が行われるようです。参考人は元衆院憲法調査会の会長の中山太郎氏。この間の憲法調査会などの経過を聴取する予定だと聞きます。参議院でも近く行われるでしょう。改憲手続法では憲法審査会は改憲原案の検討ができることになっています。世論も客観情勢も「改憲」など求めていないときに、恣意的に憲法審査会を始動させて、改憲論議を始めるなど、言語道断です。改憲派のターゲットが9条にあることは明らかです。九条の会の真価が問われるときがきましたね。

2011年11月4日金曜日

福泉・鳳地域「憲法9条の会」5周年のつどいの情景


 表記の集会の様子を写真でお伝えします。集会の成功にご協力いただいた皆さんに厚くお礼申し上げます。(写真撮影は、上田 孝さん)

多幡・本会代表の開会挨拶

参加者全員で「島人ぬ宝」と「青い空は」を歌う

満員の会場風景

朝日新聞社・伊藤千尋さんのお話

会場から活発な質問も

上田・本会事務局長のまとめと閉会の言葉

伊藤千尋さんの著書のサイン会

2011年11月2日水曜日

本会事務局長『大阪民主新報』に紹介される



Copyright © 2011 by Osaka Minshu Shimpō

 福泉・鳳地域「憲法9条の会」事務局長・上田さんが、会の活動を中心にして、さる10月30日付け『大阪民主新報』紙の第1面に、上に掲載のイメージ(イメージ上でクリックすると、拡大イメージが出ます)の通り紹介されました。(イメージは同紙の許可を得て掲載しました。)

2011年11月1日火曜日

「さようなら原発」集会での大江氏の言葉


 ノーベル賞作家の大江健三郎さんは、9.19「さようなら原発」集会で、渡辺一夫の著書『狂気についてなど』中の次の言葉を引用しました。
 《「原発」の電気エネルギーなしでは偉大な事業はなしとげられない、と申す人々も居られます。それはうそであります。原子力によるエネルギーは、必ず荒廃と犠牲を伴います。》
そして、これを次のように読みかえることができる、と話したということです。
 《「原発」の電気エネルギーなしでは偉大な事業はなしとげられない、と申す人々も居られます。それはうそであります。原子力によるエネルギーは、必ず荒廃と犠牲を伴います。》
 [大江健三郎「衿子さんの不思議」、『図書』No. 753, p. 27 (2011) による。]
 私たちは、福島第一原発が引き起こしたような荒廃と犠牲が二度と起こらないように努めなければなりません。
(多幡記)

2011年10月31日月曜日

5周年の集い成功!



 10月30日の本会5周年のつどいは、雨天にもかかわらず、定員100名の会場に90名が集まり、大成功でした。本会代表の開会挨拶、参加者全員での歌「島人ぬ宝」と「青い空は」に続いて、朝日新聞社「be」編集部・伊藤千尋氏の話「活かそう 憲法9条!—東日本大震災と原発事故にむきあって」を1時間半にわたって聞きました。話の内容は、氏の海外での見聞などにもとづいた多彩なもので、大いに憲法9条を守る運動の励みになりました(その概要はこちら)。集会の情景の写真などは後日掲載の予定です。以下に、開会挨拶を紹介します。[写真は伊藤千尋氏の著書の1冊『活憲の時代:コスタリカから9条へ』。サインは会場で筆者が貰ったもの。]



 皆さん、こんにちは。 

 私たちの福泉・鳳地域「憲法9条の会」は、2006年8月に発足し、日本が再び戦争をする国にならないように、国際紛争の解決に武力を使わないとしている憲法9条を、守りいかそうという運動を続けて来ました。そして、今年5周年を迎え、きょうはそれを記念する、集会を開催する運びとなりました。

  さる3月11日に起こった、東日本大震災と福島第一原発の事故で、わが国が大変な状況にある中にもかかわらず、憲法9条をめぐる政治情勢も、 私たちにとって、いままでになく、油断の出来ないものになっています。 今年の春頃から、改憲派議員が、改憲を発議する要件を衆参両院の「3分の2」から「過半数」に変えて、9条改憲のハードルを引き下げようと、「憲法96条改正」を働きかけるかと思えば、また、今月21日には、衆参両院の憲法審査会が動き始めることにもなりました。

  さらに、野田政権は、憲法の平和原則を踏みにじる政策を、次々に強行しようとしています。それは、「武器輸出三原則」の見直しや、南スーダンへの自衛隊派兵、そして、沖縄県民の意志に反する米軍普天間基地の辺野古「移設」などです。平和を望む私たちは、このような動きを見過ごしてはならないと思います。 

 話は少し変りますが、原発の事故に関連して、感じていることを、一言述べたいと思います。ノーベル賞物理学者の湯川秀樹博士は、わが国に原子力委員会が発足したばかりのときに、その委員になりましたが、間もなく体調不良という理由で辞任されました。その理由は表向きのもので、本当は、アメリカ製の原子炉を急いで輸入しようという、原子力委員長や政府の考えに、抗議しての辞任だったのです。 

 辞任の直後ぐらいに湯川博士が書かれた、日本の原子力問題についての随筆には、「いそがばまわれ」という副題がついていて、わが国の事情に合った原子炉の研究を、独自に行なうことの重要性が述べられています。原子力委員長や政府が、湯川博士の考えを受け入れて、地震や津波の影響の大きい日本の国土に合う形で、原子力利用を進めておれば、これほど大きな原発事故には至らなかったと思われてなりません。私たちはこのことを、政治が良心的な科学者の考えや、平和と安全を望む国民の声を無視すれば、どういう結果になるかという教訓として、受け止めるべきではないでしょうか。 

 平和や安全をおびやかすような政治の動きを、押しとどめようとする私たちの運動が、いまの厳しい状況の中で、皆さんと力を合わせて、これまで以上に盛り上がり、広がって行くために、きょうの集会が役立てば幸いと思います。

  以上、開会の挨拶といたします。

 (多幡記)

2011年10月29日土曜日

いよいよ明日:福泉・鳳地区「憲法9条の会」5周年の集い



 伊藤千尋さん(ジャーナリスト、朝日新聞記者)のお話 「『活かそう憲法9条!』—東日本大震災と原発事故にむきあって」をメインにした本会5周年の集いが、いよいよ明10月30日午後2時から、ウェスティ(堺市立西文化会館)7階セミナールームで開催されます。多数後参加下さい。(参加協力券500円、当日会場でも受け付けます。)
 上掲のイメージは、本会世話人の一人、浅井さんが「9条を守りいかす」運動に使っている、自作の「9条ブローチ」をあしらった写真葉書。同ブローチは、明日の集会会場でお求めになれます。

2011年10月25日火曜日

「九条の会」メルマガ第128号:全国交流集会を活動飛躍の契機に


 表記の号が2011年10月25日付けで発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。主な内容は次の通りです。 

■事務局からのお知らせ
 ◇第4回全国交流集会まで、あと4週間を切りました
 ◇「九条の会」リーフレットのデザインが新しく
 ◇「未来世代にのこすもの:私たちは何を『決意』し
  たか――九条の会講演会」のDVD、好評発売中
 ◇憲法セミナーブックレット「核のない平和な世界と
  憲法9条」
 ◇憲法セミナーブックレット「憲法九条の輝きを日本
  に世界に」
 など
■各地から:全国の草の根にはこんなに多彩な活動が
■編集後記:憲法審査会始動

 編集後記は、「10月21日、とうとう憲法審査会が始動させられた。両院とも民自公で圧倒的な多数の幹事と委員の構成。これらが合意すれば、いつでも改憲原案が審議され、採択される」として、「気を引き締めて、『九条の会』の活動を強化したい。おりしも全国交流集会。お互いの活動の飛躍の契機としよう」と呼びかけています。

多幡記

2011年10月18日火曜日

本会5周年のつどい:10月30日




東日本大震災と原発事故に」むきあって

「活かそう憲法9条」
 一人の声が世界を変えた

日 時:2011年10月30日(日)午後2時〜4時
場 所:ウェスティ(堺市立西文化会館)7階セミナー
    ルーム
お 話:伊藤千尋さん(ジャーナリスト、朝日新聞記
    者)
    2010年には130ヵ所で講演
    世界各地で現地取材した話が感動的です
参加協力券:500円
主 催:福泉・鳳地域「憲法9条の会」
連絡先:上田 規美子 Tel・Fax 273-5367

2011年10月10日月曜日

「九条の会」メルマガ第127号:全国交流集会への結集呼びかけ


 表記の号が10月10日付けで発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。主な内容は次の通りです。 

■事務局からのお知らせ
 ◇あと、1カ月余。全国各地の会から、ふるって
  ご参加を! 第4回「九条の会」全国交流集会
 ◇「九条の会」リーフレットのデザインが新しく
 ◇「未来世代にのこすもの 私たちは何を『決意』し
  たか――九条の会講演会」のDVD、好評発売中
 ◇憲法セミナーブックレット「核のない平和な世界と
  憲法9条」
 ◇憲法セミナーブックレット「憲法九条の輝きを日本
  に世界に」
 など
■各地から:全国の草の根にはこんなに多彩な活動が
■編集後記~全国交流集会へ

 編集後記は、「10月下旬から始まる臨時国会で、憲法審査会の委員名簿をだす動きが民自公各党にある。野田新内閣のもとで、改憲派はいよいよ、憲法審査会の始動に手をつけてくる。こうした情勢の下で、3年ぶりに開かれる九条の会全国交流集会を機に、私たちの運動を強化したい。憲法9条に手をつけさせてはならない」として、全国の皆さんの集会への結集を呼びかけています。

多幡記

2011年10月8日土曜日

大阪憲法会議リーフレット



上掲イメージを表紙とするリーフレットが、大阪憲法会議・共同センターから発行されています。憲法改悪に反対する署名ハガキつきです。署名の請願事項は、次の通りです。

1. 憲法改悪に反対し、9条を守ることを求めます。
2. 自衛隊の海外派兵・武力行使恒久法制定に反対します。

 次のような提言や記事も掲載されています。ここには見出しのみを紹介します。

憲法いかす復興と国づくりへ 
○被災者の声をきいて、国の責任で生活再建を
○政府の責任で原発事故を収束させ、原発からの撤退を
○震災を口実に増税なんて。消費税増税は復興のさまたげ
「9条変えないほうがよい」は、国民多数の声
「大連立」のねらいは9条改悪や消費税増税
比例定数削減は9条改悪への道

 リーフレットの請求は、次のところまで。
〒530-0041 大阪市北区天神橋1丁目13-15 大阪グリーン開館6F 大阪憲法会議・共同センター
Tel: 06-6352-2923
E-mail: osaken1192@sepia.plala.or.jp

2011年10月7日金曜日

大阪府教育基本条例案について


 本ブログ・サイトの先の記事「ニュースレター九条科学者 No. 9」を Facebook で紹介したところ、大阪府教育基本条例案を中心として、A・Y さんから次のようなコメントをいただきました。コメント中にある大前治弁護士のウェブページがたいへん参考になりますので、A・Y さんにご了承いただき、ここに紹介します。(多幡記)

 ありがとうございます。 ニュースレターの充実した記事の数々、大いに勉強になりました。とくに大阪府教育基本条例案の問題点が明確に理解できました。同じ筆者・大前治弁護士が自由法曹団のウェブサイトでもこの条例案についての意見書および現行法規への法的問題点についての批判を書いておられるのを読みました。府教育委員会が強く反発しているように、何としてでも成立を阻止しなければなりませんが、府民の関心が必ずしも高くないことが不安です。

2011年10月5日水曜日

ニュースレター九条科学者 No. 9


 表記ニュースレターが先般発行されました。全文はhttp://www.9-jo-kagaku.jp/material/nwlt09.pdfでご覧になれます。内容は次の通りです。

■憲法違反の前原発言に強く抗議し、その撤回を求める
(事務局長談話)
■企画案内
 九条科学者の会 2011交流集会
 対談「おおいに語る 沖縄・日米安保・憲法九条」
 10月23日(日)13:00 明治大学で
■論説:「つくる会」系教科書と憲法改悪の策動
■論説:大阪府教育基本条例(案)の問題点
■第5回九条カフェ報告 4月24日(日)新宿ルノアール
■憲法九条関連日誌(2011年5月9日〜9月8日)
■書評:牧野邦昭『戦時下の経済学者』

多幡記

2011年10月1日土曜日

「九条の会」メルマガ第126号:「さようなら原発 5万人集会」での大江さん、澤地さんの発言


 表記の号が9月25日付けで発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。主な内容は次の通りです。 

■事務局からのお知らせ
 ◇第4回「九条の会」全国交流集会実施要綱
 ◇「九条の会」リーフレットのデザインが新しく
 ◇「未来世代にのこすもの 私たちは何を『決意』し
  たか――九条の会講演会」のDVD、好評発売中
 ◇憲法セミナーブックレット「核のない平和な世界と
  憲法9条」
 ◇憲法セミナーブックレット「憲法九条の輝きを日本
  に世界に」
 など
■各地から:全国の草の根にはこんなに多彩な活動が!
■編集後記~「さようなら原発 5万人集会」(6万人が
 集合)での大江さん、澤地さんの発言

 編集後記は、大江さんと澤地さんのスピーチの最後の言葉を次の通り紹介しています。
 大江健三郎さん:私たちは、それに抵抗する意思を持っている。その意思を、想像力を持たない政党の幹部や、経団連の実力者たちに思い知らせる必要があります。そのために、私たちに何ができるのか。私たちには、この民主主義の集会、市民のデモしかないの
であります。しっかりやりましょう。
 澤地久枝さん:「老若同盟」と、亡くなられた加藤周一さんは言われました。老若男女を問わぬ、人間の砦を築いていきましょう。ここで私たちは負けることはできないのです。皆で一緒に、力を合わせていきたいと思います。

多幡記

2011年9月21日水曜日

情報短信


◆平和を願う大阪空襲訴訟はこれまで10回の審理を経て結審しました。判決は12月7日です。有利な判決を得るため現在署名活動と裁判官への手紙行動を展開しています。ご支援お願いします。

◆原発事故と放射能汚染は収まるどころか広がる一方で、先日、高濃度セシウム培養土が鳳の公園でも使用されていることが分かり、大騒ぎとなりました。故郷を奪われた人たちもいます。人類と共存できない原発廃止を訴え、議論を広めましょう。

◆大阪府知事選挙が11月27日になるようです。橋下知事は咲洲庁舎への府庁全面移転断念や防災対策後退などをする一方で、「君が代」強制条例などの管理統制で維新の会やりたい放題の「独裁」を狙っています。このような府政をこのままにしていいのでしょうか?

◆民主・自民有力議員の改憲発言が相次いでいます。自民党政調会長の石破氏は著書で「改憲を党是…そうでなければ我が党の存在意義は無きに等しい」とまで言っています。

◆居座り続けた管総理が辞任。公約違反の道を進むなら、だれが代表でも未来はないでしょう。国民の期待に応える、国際社会に恥じない政治を望みたいものです。

 [以上、9月11日付け記事からここまで、『憲法九条だより』No. 15、2011年8月25日発行 から(一部修正して掲載)]

2011年9月20日火曜日

悲しき歌

鳳東町・浅井千代子

その曲が流れてくると
自然と身体中の細胞が
委縮するのを感じます
顔の筋肉が心なしか
歪んできます
心も微妙に震えます
両手で耳を塞ぎます
テレビだと
チャンネルを変えるか止めます
相撲の千秋楽
オリンピックの表彰式等
鳴呼! なんて悲しいこと
自分の国の
国歌を嫌悪をするなんて 

中国の朝鮮の東南アジアの
沖縄の内地の
数えきれない沢山の生命の
うめきと重なるのです
消えることのない
歴史の真実と重なるのです

監視の眼を尖らせ
処罰のほくそ笑み
心は網にからめとられ
教師ではありませんが
日本人くびですか、わたしも

六十六年前
人生から青春を欠落させた
この国の象徴としての君が代
悲しい歌


浅井さんが作り続けて、訴え続けている、九条ブローチのタペストリー。

2011年9月19日月曜日

戦争体験を語る:鳳中町 岡島傳兵衛さん



「忘れよう忘れようと生きてきました」

 私は明治44(1911)年10月、大阪なんば千日前に生まれました。近くには洋館になる前の精華小学校や幼稚園、当時評判の「洋食の自由軒」もありました。通称鴈治郎横丁を出た通りの向かいの路地にわが家はありました。

 学校を卒業し、当時演劇の興行をやっていた宗右衛門町の松竹株式会社に入社しました。やがて戦争が激しくなり演劇どころではない時代になりました。空襲や機銃掃射にも何度もあいました。将来のことを考えた末、そこを辞めて、友達の紹介で高田アルミ(後の昭和アルミ)に就職しました。終戦後も働き、定年まで勤めることができました。

 結婚をして30歳を過ぎた頃、赤紙が来ました。20歳の時、徴兵検査を受けていましたが、兵隊には行っていませんでした。なのに赤紙1枚で兵隊です。所属は呉海軍の水兵ですが、行き先は「大阪退避」として、大阪市杉本町の大阪市立大学にある兵舎でした。入隊式もありませんでした。毎日毎日、訓練と馬の世話でこき使われたことを覚えています。戦地に行くことはありませんでした。

 昭和20(1945)年3月13日、夜半から始まり未明まで続いた大阪大空襲で、自宅と何もかもが焼きつくされました。わが家はスッカラカンの裸にされてしまいました。自分の幼いころの写真や家族の写真さえ1枚も残っていません。そのとき杉本町の兵舎にいて「空襲でなんば辺りが全焼した」と聞き、翌朝だったと思いますが、上官に車で連れて行ってもらいました。家の形はなく、見渡す限り焼け野原で、灰や焼け焦げたものが一面に広がっており、自宅のあった場所さえ判りませんでした。

 偶然、自宅にあった大きな鉄製の火鉢の取手部分が灰の中から突き出ているのが目に止まり「ここが自宅跡」と分かったのでした。幸いに家族は逃げて全員無事でした。しかし、住むところがなく、寺町筋のお寺に終戦までお世話になりました。自宅の焼け跡は、何が何だかわからないうちに他人が占拠してしまい、土地まで盗られてしまいました。

 戦争中は、ほかにも食べ物は少なくまずい、着るものは少ないなど、口にしたくないような嫌なことがいろいろ多くありました。そんな苦労をしたことは考えたくもなく、できれば心に蓋をして忘れたいと思い、忘れよう忘れようとしてきました。それほどいやな時代でした。若い人にいまさら辛い時代のことをお知らせしても、ピンとこないのではと思っています。

 戦争は喧嘩だし人殺しだし、自分の意見を押し通そうと「原爆を持たないとうまくいかない」という人もいますが、こんな競争をしなけりゃ平和が保てないのでは、キリがないことです。どっちかが折れないとうまくいかないし、大変なことになります。若い人たちはもっと戦争の本当の姿を知らないといけないと思うのですが、まず怖さを知ることだと思います。戦争だけは二度としてはいけません。

 私はあと4ヵ月で100歳の誕生日を迎えます。自分でもまさかと疑う年をとってなお、これといった病気もなく、こういう毎日が送れることは、ありがたいことだと感謝しています。いまは娘やヘルパーさんに親切にしてもらっており、いつの間にか、若いときには口に出てこなかった「すまないね」「ありがとう」がスッと出てきます。うれしいことですな。

 戦争体験は相当昔のことだし、つらい時代だったし、忘れよう忘れようとしていたからか、細かいことは思い出せません。こんな話でもお役にたてるんでしょうか。

(インタビュー、小倉・荒川、2011年6月1日)

2011年9月14日水曜日

7月22日「I Love 九条・合唱とト―ク」


音楽家池辺晋一郎さんを迎え

 1066人の参加がありました。お二人から感想を聞きました。

 感動しました。歌を通して世界を見ておられ、イランなど世界各国の人びととの交流から次の世代に引き継ぐ平和や歌のことを、一人ひとりに語りかけるように話され、大きな人物を感じました。私の印象に残った言葉は、「平和を願い歌うだけでは平和にならない。人間として、音楽家として、世界の平和をめざし、いま自分にできることにかかわって行動していきたい」でした。(談)(鳳東町・高野)

 美しい歌声と池辺さんのお話、あっという間の2時間でした。いま日本は非常に危険な時代に来ている。いろんな火種がある中で、もし憲法九条が変わってしまったらどうなるのかと問われ、「それぞれのやり方で、それぞれの思いを訴え、人と肩を組むことが大事」という言葉がストンと胸に落ちました。もっと聞きたかった。(上・上田)

絵手紙 上・井崎孝子

九条署名状況

当会当面の目標   3000筆
   8月25日現在   2663筆
堺市全体現在   117,933筆

2011年9月12日月曜日

原水爆世界大会に参加して

 
長崎大会で歌手クミコさんと世界各国の皆さん。

『原爆の恐ろしさ知りました』

搗頭亮二(23歳)

 8月7日~9日に長崎で開催された「原水爆禁止世界大会2011」に参加しました。初めて参加してみて、平和について考えるよい機会になったと思います。日本はヒロシマ・ナガサキに続き、福島原発事故によって、三たび放射能被害を経験しました。


 放射能汚染は日本だけの問題では収まりません。人を殺す目的ではないにしろ、不安定で危険な原発は利用すべきではないと感じました。この原発事故問題が追い風となり、核兵器のない平和で公正な世界を実現することは可能だと思います。そのためには若い世代が核兵器の脅威を下の世代に伝えていくことが大切だと思いました。

 戦争がないということが平和ではなく、核兵器という大量殺人兵器がこの世界に存在する時点で、平和とはいえないのではないかと思いました。日本は九条という戦争放棄を決めた項のある平和憲法をもつ国だからこそ、核エネルギーの利用方法をもっと考えるべきだと思います。

(つきがしら・りょうじ、耳原鳳クリニック)

2011年9月11日日曜日

「平和」あふれる8月


 「8月のジャーナリズム」という言葉があるそうです。毎年8月になると平和をテーマにした原爆や戦争の番組・記事・ニュースが集中します。これを揶揄した言葉だそうですが、今年もそうでした。それであっても私たちは、原爆や戦争の悲惨さなどと向き合い、命の大切さや平和を語ることには大賛成です。8月25日発行の当会の『憲法九条だより』には6名の方に登場していただきました。順次紹介します。

民主主義があっての平和!


鳳中町・野名龍二さん

 66年前の8月15日には、四日市市の海軍燃料兵器厰へ学徒勤労動員で行っていました。天皇の放送は、雑音だけで何を言っているのかわかりませんでしたが、日本は負けたらしい、戦争は終わったらしいという話が伝わってきました。それで、明日はどうなるのかといった不安はありましたが、もう空襲がないのかと、ほっとした安堵の気分でした。

その一か月ほど前の7月、四日市市街には焼夷弾による空襲が、海軍燃料厰には爆弾による空襲があり、二回とも恐ろしくて怖くて、必死に郊外に逃げました。同じ7月、三重県志摩半島南端の、大王崎の実家に帰省したとき、母親の野良仕事の手伝いで畑にいて、突然アメリカの艦載機グラマンの機銃掃射を受け、隠れる所もなく、これが最後かと思ったものでした。

 敗戦、終戦は、恐怖と暗黒の時代の終わりでした。恐怖と暗黒は、空襲と機銃掃射だけではありません。師範学校に入学しての,寮生活は陸軍の内務と同じでした。上級生が下級生に対して威張っていました。部屋の掃除だけでなく上級生の布団の上げ下ろしも下級生にやらせ、挨拶が悪い、眼鏡のつるが太いといってはビンタでした。学校には配属将校がおりました。配属将校は、担任の先生にも傲慢でしたし、この将校による三八銃を持っての気を付け・休め・気を付け・前へ進めの繰り返しの教練も嫌でした。

 私の父は、漁師でしたが『改造』という雑誌を購読していたためか、父が漁に出て不在の時も、特高がやってきては門に立って家の中を伺い、監視していました。戦争が終わったとたんに、上級生もおとなしくなりました。軍人・配属将校もいなくなり、特高も来なくなりました。威張っていた人たちが一様におとなしくなりました。

 それから日本国憲法の平和と民主主義で60余年。しかし、大阪府では橋下・維新の会が、教師にものを言わせない、学校での民主主義を圧殺する「君が代規律条例」を府議会で採決を強行し、さらに「教育基本条例」を準備しています。戦中・戦後を生きてきた者には、戦前の様相です。いまを戦前にしてはなりません。民主主義があっての平和です。憲法九条は宝です。

(当会の呼びかけ人)

2011年9月10日土曜日

「九条の会」メールマガジン第125号


 表記の号が9月10日付けで発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。主な内容は次の通りです。 

■事務局からのお知らせ
 ◇九条の会第4回全国交流集会第2回運営委員会開催
 ◇「九条の会」リーフレットのデザインが新しく
 ◇「未来世代にのこすもの 私たちは何を『決意』し
  たか――九条の会講演会」のDVD、好評発売中
 ◇憲法セミナーブックレット「核のない平和な世界と
  憲法9条」
 ◇憲法セミナーブックレット「憲法九条の輝きを日本
  に世界に」
 など
■各地から:全国の草の根にはこんなに多彩な活動が!
■編集後記~野田新首相の9条観は?

 編集後記は、野田佳彦氏の著書『民主の敵~政権交代に大義あり』(新潮新書2009年7月刊)からの言葉を引用し、"首相になった野田さん、「靖国参拝」問題と同じようにこの「憲法」発言も軌道修正するでしようか" と記しています。引用されている文の中には、「…戦後の日本国憲法のことをよく『新憲法』といいます。しかし、世界中の憲法のなかで、すでに15番目くらいに古い憲法になっているそうです。とても新憲法といえる代物ではありません。9条はもちろんですが…」と、現憲法をこき下ろしたところがあり、もしもこういう考えを持ち続けているならば、首相不適格といわなければなりません。

多幡記

2011年8月31日水曜日

「九条の会」メールマガジン第124号


 表記の号が8月25日付けで発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。主な内容は次の通りです。 

■事務局からのお知らせ
 ◇「九条の会」リーフレットのデザインが新しく
 ◇九条の会第4回全国交流集会へのご参加を
 ◇「未来世代にのこすもの 私たちは何を『決意』し
  たか――九条の会講演会」のDVD、好評発売中
 ◇憲法セミナーブックレット「核のない平和な世界と
  憲法9条」
 など
■各地から:全国の草の根にはこんなに多彩な活動が!
■編集後記~福島第1原発:「生活返せ」と都心デモ、
 農民ら2500人

 編集後記は、8月13日の『毎日新聞』の記事を引用して、いま全国各地で東京電力福島第1原発事故に関する集会やデモが多数くり広げられていることを紹介し、憲法を生かし、その内容を実現する政治が切実に求められる、と主張しています。

多幡記

2011年8月15日月曜日

「一本の鉛筆」


 「一本の鉛筆」は、1974年第1回広島平和音楽祭で美空ひばりが歌った反戦歌で、松山善三の作詞、佐藤勝の作曲によるものです。2006年12月のコンサートで、クミコが歌っているビデオをユー・チューブで視聴できます。きょうは終戦の日、3分37秒のこのビデオを見て、憲法九条を守り、戦争に反対する決意を新たにしましょう。
 なお、「一本の鉛筆」の歌詞と楽譜はこちらのウェブサイトでご覧になれます(メロディーも流れます)。
多幡記

2011年8月13日土曜日

「九条の会」メールマガジン第123号


 表記の号が8月10日付けで発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。主な内容は次の通りです。 

■事務局からのお知らせ
 ◇九条の会第4回全国交流集会を開催します
 ◇「未来世代にのこすもの:私たちは何を『決意』
  したか――九条の会講演会」のDVD、好評発売中
 ◇憲法セミナーブックレット
   「核のない平和な世界と憲法9条」
 ◇憲法セミナーブックレットのお知らせ
    「憲法九条の輝きを日本に世界に」
 など
■各地から:全国の草の根にはこんなに多彩な活動が!
■活動報告
 ◇町内の灯ろう流しに参加して~9条を守る茶屋町の
  会(青森県)
 など
■編集後記~~中山太郎の執念「緊急事態条項」改憲

 編集後記は、前自民党衆院議員の中山太郎前衆院憲法調査会長が5日、憲法に緊急事態条項を盛り込む改正試案を公表したとの『産経新聞』の報道を紹介し、中山氏の改憲へのただならぬ執念に、彼以上の九条護憲の気概で対抗したい、と述べています。

多幡記

2011年8月2日火曜日

堺・九条 第42号


 堺・九条を守りいかす会事務局発行の表記ニュースが、2011年7月30日付けで発行されました。記事の概略を以下に紹介します。

I LOVE 9条 合唱とトーク〜池辺晋一郎さんを迎えて〜
1100名の市民が参加:9条運動に新しい風!
 7月22日、堺市民会館大ホールに平和の歌声が響き、池辺晋一郎さんのトークとともに、参加した1100名の市民に平和への思いを沸き立たせました。
 池辺さんは「未来はどこにあるのか、どう支えればよいのか。憲法前文の "われらは、平和を維持し、…国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ” という言葉が好きだ。一人ひとりがやらなければならないことをやり、訴え、肩を組んでいくことが大切」と熱く語られました。最後に池辺さんの指揮で、会場一体となっての「ふるさと」の大合唱が行なわれました。
 今回の集いは、音楽を通して平和、9条、25条を訴える企画でした。参加者からは「会場いっぱいの参加で大成功でよかったです。歌を通じて何よりも平和ということをかみしめています」などの感想が寄せられました。

 (記事は、引用にあたって一部省略したほか、分かりやすく書き換えたところもあります。多幡記)

「九条の会」メールマガジン第122号


 お知らせが遅くなりましたが、表記の号が7月25日付けで発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。主な内容は次の通りです。 

■事務局からのお知らせ
 ◇九条の会第4回全国交流集会を開催します
 ◇「未来世代にのこすもの:私たちは何を『決意』
  したか――九条の会講演会」のDVD、好評発売中
 ◇憲法セミナーブックレット
   「核のない平和な世界と憲法9条」
 ◇憲法セミナーブックレットのお知らせ
   「憲法九条の輝きを日本に世界に」
 など。
■各地から:全国の草の根にはこんなに多彩な活動が!
■活動報告 ◇福島県九条の会~福島第一原子力発電所の
     『巨大人災』にあたって
■編集後記~自民党、改憲への姿勢も露わに「報告書」

 編集後記は、自民党の「国家戦略本部」が7月20日に発表した中長期的な政策に関する報告書に、原発の維持などと合わせて、学校における「国旗掲揚・国歌斉唱」の義務化、集団的自衛権の行使容認、非核3原則の見直し、憲法改正を含めた非常事態体制の整備などが盛り込まれていることを述べ、私たちの看過できないことであると訴えています。

多幡記

2011年7月21日木曜日

いよいよ明日、「I LOVE 9条:合唱とトーク 池辺晋一郎さんを迎えて」



テーマ:憲法・音楽・大震災…9条・25条をつむぎ
    今できることは何か
日 時:7月22日(金)PM6:30開場、PM7:00開会、
    PM9:00閉会
場 所:堺市民会館大ホール
内 容:池辺晋一郎さんを迎えて 合唱とトーク 
 1章 女性合唱「乾杯」「コスモス」「少年時代」
    「昴」(池辺晋一郎編曲)
 2章 女性合唱「コスモス」「春風」「春が来た」
    混声合唱「君死にたまうことなかれ」
    (石若雅弥作曲)
 3章 池辺晋一郎さん ピアノ演奏とトーク
 4章 女性合唱 「平和の太陽」「女」
    「空をかついで」「きいてください」
         (池辺晋一郎さん指揮)
参加協力費:大人¥1000(当日¥1500)、
      学生・障がい者¥500 
 災害復興支援と集い成功のための賛同募金(1口
 1000円)に協力いただいた皆さんに参加協力券を
 お渡しするスタイルで取り組みます。
主催:I LOVE 9条堺実行委員会
連絡先:Eメール sakai9zyo@mbr.nifty.com
         電話 072-221-0016(堺総合法律事務所)
         事務局携帯 090-3286-5482(平日は
    PM6:00以降のみ)

2011年7月19日火曜日

日本科学者会議第42回定期大会決議


 日本科学者会議はさる5月28、29日に行なわれた第42回定期大会において、「『日米同盟』から平和憲法に軸足を移し、非核・平和のアジアの形成、住民本位の震災復興、基地被害・原子力災害の根絶を」という決議(全文はこちら)を、東日本大震災、東電福島第一原発事故にかかわる他の二つの決議とともに採択しました。

 とくに、その第三項には、「日本国憲法の改定、日米同盟の変革と深化が、急速に進められている。しかも、震災の混乱の中で、国民的論議を欠いたまま進められていることは重大である」として、憲法9条に深くかかわる情勢の分析が述べられています。一読して、私たち国民の気持ちを新たにする参考にしましょう。

多幡記

2011年7月11日月曜日

「九条の会」メールマガジン 第121号


 表記の号が発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。
 主な内容は次の通りです。 

 ■事務局からのお知らせ
  ◇九条の会第4回全国交流集会運営委員会の報告
  ◇「未来世代にのこすもの:私たちは何を『決意』
    したか――九条の会講演会」のDVDが出来上
    がりました
  ◇憲法セミナーブックレットのお知らせ
    「核のない平和な世界と憲法9条」
  ◇憲法セミナーブックレットのお知らせ
     「憲法九条の輝きを日本に世界に」
  など。
 ■各地から:全国の草の根にはこんなに多彩な活動が!
 ■活動報告 ◇山梨・南アルプス九条の会
 ■編集後記~「9条(または憲法)と原発問題」


2011年6月25日土曜日

「九条の会」メールマガジン 第120号


 表記の号が発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。
 主な内容は次の通りです。

 ■事務局からのお知らせ
  ◇九条の会第4回全国交流集会開催のお知らせ
   開催日:2011年11月19日(土)
  ◇6月21日の「朝日新聞」夕刊文化面に九条の会
   講演会での鶴見俊輔さんの講演が紹介
  ◇憲法セミナーブックレット新刊のお知らせ
   「核のない平和な世界と憲法九条」
  ◇憲法セミナーブックレットのお知らせ
   「憲法九条の輝きを日本に世界に」
  など。
 ■各地から:全国の草の根にはこんなに多彩な活動が!
 ■活動報告
 ■編集後記~「メルマガ」を活用し、投稿を


2011年6月8日水曜日

「九条の会」ニュース第148号発行


 2011年6月8日付けで、「九条の会」ニュース第148号が発行されました。次の URL をクリックしてご覧いただけます。
 内容は、6月4日に東京千代田区の日比谷公 会堂で開かれた、「九条の会」の発足7周年を記念する講演会の報告「平和な未来への『決意』固めあう」、そして、その講演会で配布された、4人のよびかけ人、鶴見俊輔、澤地久枝、奥平康弘、大江健三郎各氏のメッセージからなっています。
 講演会報告には、上記4人のそれぞれ原発事故にもふれた講演内容の要約があり、各メッセージには、それぞれの九条への熱い思いが述べられており、読み応えがあります。
多幡記

2011年5月27日金曜日

「9条守れ」大阪62%:毎日紙報道


 5月4日付け毎日新聞は、憲法施行64周年の5月3日に関西各地で行なわれた催しを紹介し、大阪市役所前で市民団体が「憲法9条守る?変える?」と題して実施した街頭投票をその記事のトップに報じました(記事のインターネット版はこちら)。投票では、三つの選択肢を示したボードに通行人がシールを貼る形で行なわれ、「守る」62%の他、「変える」29%、「分からない」9%でした。この数字をあなたはどう見ますか。
『憲法九条だより』No. 14(2011年5月10日)

 後日の追記:5月3日付朝日新聞は、全国世論調査(電話)によると、憲法9条を「変えない方がよい」が59%で、「変える方がよい」は30%だった、と報じている。有効回答1842人という数字から統計誤差を計算して考慮すれば、59%は(59±2)%となる。毎日新聞の街頭投票にも同程度あるいはそれ以上の誤差があるはずだから、誤差の範囲で両調査の結果は一致しているといえる。ただし、朝日新聞の昨年の調査での、改正反対67%、賛成24%にくらべると、今年はやや差が縮んだ、という報道は、その通りと見なければならない。
(2011年6月19日、多幡記)

2011年5月24日火曜日

戦争体験を語る:「地獄の時代でした」

鳳東町・佐竹文雄さん


 この年まで生きてきて、いま幸せです。家内と二人で毎日を感謝しながら、先祖供養もしっかりやりながら、喜んで過ごさせてもらっています。それにくらべ、戦争中は地獄の時代でした。エーこともない、楽しいこともない、悪いことばっかりで思い出しとうない。以前から戦争体験談を頼まれていましたが、断り続けていました。家内や子どもたちにも話したことはない。戦争時代の写真などもいつ頃だったか全部捨てました。わが家には結婚式以後の写真しかありません。

 わたしは大正11年6月10日、香川県多肥村(現在の高松市多肥)の農家に生まれました。昭和12年、尋常高等小学校(今の中学校)を卒業して、大阪船場の綿布問屋の住み込み丁稚奉公に出ました。3年後の18歳の夏、馬場町の砲兵工廠に徴用され山砲の薬きょう作りをさせられました。20歳の夏、本籍地の多肥村で徴兵検査を受け、甲種合格となり、翌3月1日、福山の陸軍41連隊に入隊し、きびしい訓練がはじまりました。毎日毎日銃をかついで歩いたり走ったりの行進や、ほふく前進、山に入って敵味方に分かれて競争したり、そして、何かあるごとに容赦のないビンタの嵐。

 半年ほどして朝鮮の平壌へ配属となり、南方戦線帰りの部隊と合流しました。まず歩哨をやらされ、マイナス20度にもなる平壌の冬は、外套2枚着ていても冷えて、ジッとしておれない程でした。そのあと、酒タバコなど売る業者を束ねる酒保勤務のとき、腸チフスにかかりました。当時ほとんどの人が死ぬ病気で、自分も覚悟をしていました。痩せて痩せて骨と皮状態になったが、3カ月ほどして幸運にも治りました。元の中隊にもどってしばらくして、軍医から「1回死んだんだからここに行きなさい」と、宮崎県川南町にある陸軍118部隊に配属されました。22歳の春でした。平壌から船で博多へ。日本の匂いがして嬉しいことでした。

 宮崎駅には朝着きました。天気がよくて、飛行機からキラキラした美しいものが降りてくるのを目にしました。落下傘部隊の訓練でした。希望を聞かれたとき、このときの印象で、ばかなもので「熱望する」と書いてしまいました。落下傘部隊は敵のど真ん中に降りて戦うだけに、ほとんど死ぬと言われていたのに、自分は怖いとは思いませんでした。入隊したときから、生きて帰ることは頭になかったからだと思います。そこまで思い込まされていたことは、いま考えると恐ろしく思います。

 配属が決まってからはエライ目に遭いました。演習といってもほとんど走るばっかり。他には、障害物に素早くかくれる、身体にロープを結び、高い松の木に滑車で引き上げられ、放して落とされる、2階の窓から下に敷いてある2枚のマットめがけ両手両足をバンザイの形にピンと伸ばして飛び降りる、などやらされ、中には手足の骨どころか首の骨を折った人もいました。自分は2階からの飛び降りが「見本や!」と、上官に何度も褒めてもらいました。

 そのうちに飛行機に乗せられ、実際に上空から飛び降りる演習をやりました。はじめて飛び降りるときの恐ろしさは、何というか言いようのないものでした。1・2・3で一人、1・2・3でまた一人と、切れ目のない掛け声とともに、上官にケツ叩かれ飛行機から飛び出します。ためらって少しでも遅れると、ケリ落とされた人もいました。数秒後、落下傘が開き、大きな衝撃がくるとホットします。上を見上げるとニコッとしている後続者の顔が見えました。ただ降りるだけでなく、実戦さながら弾薬を腹に巻き、銃を入れた袋を脚に括りつけ、両手で落下傘を操作します。5回この降下演習をしましたが、落下傘が開かず死亡した人も一人いました。

 この陸軍落下傘部隊は優秀な部隊で、有名なパレンバンの戦いに参加した兵隊もいました。この部隊は5月末に出動したのが最後でした。飛行機がなくなったと聞きました。朝動員が来て編成され、昼には出発しました。どこに向かったのか、一切発表はありませんでした。硫黄島全滅の後であり、沖縄らしいとの噂はありました。新聞にも「日向部隊(落下傘部隊のこと)出撃」の記事が最後で、以後のことは一切載りませんでした。飛行機のないわが落下傘部隊は、山砲の班に編成され、馬の代わりに山砲車を曳く演習をしたり、次は家を壊して半地下の大きな壕を掘ったり。この頃になると、大本営発表もウソついてるし、空襲されても反撃に飛び立つ飛行機もないし、この戦争は負けると感じていました。

 8月15日、練兵場で軍装し整列してラジオを聞きました。雑音で何を言ってるのか分からず、連隊長は「しっかりやれと言ってるぞ」と説明していました。友達が「日本は負けたぞ!」と教えてくれました。このとき「助かった。これで帰れる、嬉しいな!」ばかりで、負けて悔しい気持ちはなかったと思います。部隊の中には腹を切るとか山にこもって最後まで戦うと言ってた人もいましたが、実際にはそうした人は一人もいなかったと聞きました。

 いまでも世界中で争いや戦争は絶えません。戦争とはどんな理屈をつけようと殺し合いには違いない。絶対にいかんことだと思います。

(聞き手と写真・小倉)

大切な輪


鳳東町・浅井千代子
四月二十九日
祝日の浜寺公園
松林がつづくあっちこっち
笑い声がはじける子供連れ家族
半袖Tシャツの若者集団
のんびり日向ぼっこのお年寄り
こずえ越しに降りそそぐ
やわらかな陽射しよ
地震・原発被害に苦しむ
東日本の方たちに申し訳ないが
ここにはささやかな平和がある
そんな和の中を
ビラ・署名用紙を手に
私たち九条の会メンバーが
泳いでゆく
この日
廊下の隅で眠っていた棒使い人形も参加
もの珍しげに寄ってくる小学生
幼児も遠くで手を振る
出店の若い女性もしきりに・・・
9条とメルヘン
思いがけなく弾む会話
ほんに小さな輪に過ぎない
でもこの国の未来の平和につながる
沢山の輪の一つ
欠けるわけにはいかない
とても大切な輪の一つだから


浜寺公園で人形と署名活動中、子どもたちと会話する

2011年5月23日月曜日

「憲法記念日のつどい」に参加して


=話芸ってすごい力を持っているんやなあ=

 900名の参加者が桂吉弥さんの話芸に引き込まれ、腹の底から笑い転げた帰り道、やっぱり九条を守らなあかんと決意を新たにした集会でした。
  「ひろげよう九条のこころ なにわの人情が平和をつむぐ」と題して行なわれた九条の会・おおさかのつどい。東日本震災被災の皆さんへの見舞いと黙祷、基調講演「憲法九条と東アジアの平和」は関西大学教授高作正博さんのお話です。
  東日本震災で何が起きているか、何をなすべきか、何が課題か、どう行動すべきかを話され、「死者は生者に義務を果たす」亡くなった人たちがまた生まれてきたいという世の中にしたい、と述べられました。
  また、民主主義のない国に平和はないという視点から、現在の日米関係や基地を沖縄にこだわることや、不安定な東アジア情勢を背景に在日米軍強化を狙っていること、そして日米関係「深化」の次に来るものは改憲・解釈改憲・集団的自衛権の実績つくり、説明されました。
  最後に、新たな改憲論「国家緊急権」の登場について話されました。震災復興と絡めて出されているので惑わされないようにとのこと。それは (1) 憲法を含めて全ての法を停止する、(2) 行政の長が命令を出し何でも出来るようにする、という怖い内容です。
  「日常生活の質をよくすること…私たちのこの願いが現憲法には込められています。」——井上ひさし
  私たちの素朴な願いが人の手でつぶされることがないように、一人でも多くの人と手をつないでいかなければ、と考えさせられました。
 上・井崎孝子

2011年5月22日日曜日

東日本大震災と憲法九条


 今年の憲法記念日は大震災直後の大変な中で迎えました。まずは、震災の犠牲となられた方がたへ深い哀悼を表し、被災された方がたへ心からのお見舞いを申し上げます。被災された方がたの悲しみや苦しみを癒し、生活を再建することこそ復興の目的であり、そのための一番の力になるのが日本国憲法であると思います。3名の方に大震災にあたっての思いを述べていただきました。
(『憲法九条だより』編集子)

国境を越えて自然災害とこそ戦わねば
 津波で破壊された市町村の様子は、太平洋戦争中の空襲で焼け野原にされた都市を思い起こさせます。近年、世界各地で大規模自然災害が発生しています。人類は国境を越えて手を取り合い、自然災害とこそ戦わなければならないのです。その意味からも、憲法九条を変えてはならないことが明らかです。
 自衛隊が災害救助に活躍している報道が盛んになされましたが、だからといって、政府が周辺国を敵視して防衛力を増強することに、弾みをつけさせてはいけません。米軍による救助復興支援活動も行なわれていますが、それを代償に沖縄の米軍基地問題をアメリカ言いなりの方向に進めるようなこともあってはなりません。
 また、原発事故は専門家たちが指摘した安全対策を、自民党から民主党に至る政権がなおざりにして来た人災です。政府は国民の暮らしの安全を計ることを第一に考えるべきです。
上・多幡達夫

憲法を原点に復興活動を
 木々の緑、心地よい風に思わず深呼吸をします。しかし、今年は3月11日に東日本を襲った大地震で、例えようもない悲しみの中でめぐる季節となりました。テレビなどで目にする被害の大きさ・無残さに震え、政府や東京電力の対応に怒りを覚えます。家族を失い、家を失い、仕事を失い、ふるさとも消えた人びとはこれからどうするのか心配です。
 ところが、財界や政府は復興を口実に、農業の集約化や道州制の導入、消費税値上げなど、被災者に追い討ちをかけるようなことを語っています。また、自衛隊の活躍が伝えられていますが、必要なのは災害救助隊です。米軍も活躍しましたが、これを機に日米安保体制の強化を目指すのではないかと心配です。
 さらには、「緊急事態規定」のない憲法は欠陥として、改憲の動きがあります。政府が「緊急事態」に対応できないのは憲法のせいでしょうか?「火事場泥棒」的なやりかたで九条改悪に道を開く動きは許せないと思います。
上・荒川加代子

憲法25条の実行
 阪神淡路大震災から16年、防災に関心を持ち、微力ながら地域で防災活動をしてきました。近い将来に必ずくると予想されている東海・東南海・南海地震。そして、予想されていた宮城県沖地震が今回、未曾有の規模で発生しました。しかも原発事故が重なり、多くの貴重な命と財産が消滅してしまいました。まさに日本沈没を感じます。津波の痕は終戦時の破壊された日本の風景と似ていると感じました。戦争は人間が起こした一番悲しいことで、殺し合いほど悲しいことはありません。でも、地震や津波は防ぐことの出来ない自然災害です。
 今回の原発の事故は、それが必要なエネルギー源であっても、人災であり、想定外といってすむことではありません。国や電力会社や専門家は世界有数の地震国として備えをすることは当然であり、それが憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」を実行させ、ひいては平和を守ることになると考えます。被災された皆さんの復興もこの点をしっかり踏まえた方向で、一日も早く実現することを願っています。災害は繰り返しやってきます。災害から命を守るには「自分の命は自分で守る」を日頃から意識することも大切です。
鳳中町・Y・A

『憲法九条だより』No. 14(2011年5月10日)

2011年5月3日火曜日

憲法記念日に


民主党は昨5月2日、参院議院運営委員会理事会で、憲法改正原案などを審査する参院憲法審査会について、運営手続きを定める規程案を提示した、との報道がきょうの新聞に掲載されました(毎日新聞など)。震災と原発危機のどさくさにまぎれて、改憲勢力が国民の望まない改憲への準備を進めようとする動きであり、よりもよって憲法記念日に、情けないニュースだと思います。

私のブログに掲載して来た憲法9条関係の記事の初期のものへのリンクをこの機会に掲載します。ご参考になれば幸いです。

  1. 「憲法9条を世界に輝かせる」(2004年11月17日)

  2. 恐るべき改憲大綱原案(2004年11月19日)

  3. 「日本国憲法第9条について論ぜよ」(2004年11月22日)

  4. 突っ走る(2004年12月11日)

  5. 2004年回顧の視点(2004年12月22日)

  6. 「憲法9条はいまこそ旬」(2005年1月12日)

多幡達夫

2011年3月1日火曜日

憲法9条関係ツイート(2011年2月後半)


Japan has lived & kept Article 9, & it will (日本は九条を守り主権と独立を保つ): D. Rothauser's Letter to the Japan Times. Peace Phil Ctr http://bit.ly/dKFIeu (2011年2月18日)

昨夜午後7時の NHK ニュースで、税務訴訟 国敗訴 2千億円返還の件について、これだけの金があれば何々がどれだけ買えると巨大軍事備品を例に出した。憲法九条をもつ国の代表的な報道機関として、あきれた発想である。国民に軍事大国化の思想を植付けようとしているのか(2011年2月19日)

「北アフリカ・中東の激動続く:各国の独裁政権への積年の民衆の怒りが燃え上がり、歴史が大きく動いている。民主主義があり、市民の基本的人権が保障され、戦争をしない国という憲法の理念は、日本だけのものではない。」九条の会メルマガ112号編集後記 http://bit.ly/gmg3Ez (2011年2月25日)

多幡達夫

2011年2月14日月曜日

憲法9条関係ツイート(2010年12月〜2011年2月半ば)


「九条の会」メルマガ108号 編集後記 朝鮮半島情勢に関する「武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ(GPPAC)東北アジア」の声明、主要な6点の呼びかけを紹介。1.今すぐあらゆる軍事行動を止めること、 2.対話の... など。 http://bit.ly/fKo0aZ(2010年12月10日)

軍事力を誇示して隣国を脅すのは愚かしい。軍拡競争に陥るだけである。国際問題の解決はあくまでも外交で。憲法九条こそが国を守る:新防衛大綱 —「動的防衛力」を構築 中国、北朝鮮情勢懸念、毎日新聞 http://bit.ly/gQERrS(2010年12月24日)

憲法九条を忘れ、「死の商人」の肩を持つ妄言。嘆かわしい:"武器輸出三原則の見直し「先送り」は日本の安全保障に禍根を残す" 日経ビジネスオンライン http://bit.ly/eG4LcX(2010年12月24日)

ニュースレター九条科学者(No. 6)九条科学者の会事務局 2010.12.27 http://bit.ly/gmMszU「新安保懇」報告・平成22年版防衛白書にみる民主党政権の安保・防衛政策の危険な内容 など(2010年12月27日)

国民は眠ってなんかいません。憲法九条を守れの運動の広がりを見て下さい!:「私はあえて今回の新防衛計画大綱を歓迎する。新防衛大綱はわが国の防衛政策のパンドラの箱を開けてしまった。国民も目覚めるだろう。」— 天木直人 http://bit.ly/gSwcBm (2010年12月27日)

自民党・民主党間で今回の通常国会における参院憲法審査会規程成立への合意があると言われている。折しも新防衛大綱が策定され、中国・北朝鮮を仮想敵視する防衛体制作りが検討されており、この動きは容認できない。—「九条の会」メルマガ110号編集後記 http://bit.ly/gIRLDa(2011年1月25日)

頼もしい言葉である:「憲法9条を守る運動こそが、沖縄の問題を解決する唯一の方法であると、私は思います。…『九条の会』は、会場の大小はあっても、過去に訪れたところはいずれも満員の盛況でした。」— 日野原重明(聖路加国際病院理事長・99歳)、朝日新聞2011年2月5日付けe5面(2011年2月5日)

ニュースレター九条科学者 No. 7 http://bit.ly/h0nIkj 九条科学者の会発足6周年記念集会「おおいに語る─沖縄・日米安保・憲法九条」3月13日(日)のお知らせ、憲法九条関連日誌、書評:伊波洋一『普天間基地はあなたの隣にある。だから一緒になくしたい』など。(2011年2月14日)

多幡達夫

2011年1月17日月曜日

「大阪空襲訴訟2周年のつどい」が開かれました

 太平洋戦争開戦から69年目の2010年12月8日、大阪空襲訴訟二周年のつどいが大阪市中央区ドーンセンターで開かれました。参加者は350名でした。原告団代表世話人の安野輝子さん(鳳南町)が挨拶されました。ここに紹介します。




 こんばんは。大阪空襲原告団・代表世話人の安野輝子です。師走の気ぜわしい時期の夜にもかかわらず、本日はこんなにもお集まりいただきありがとうございます。大阪空襲訴訟2周年の集いをもてるのも、皆さまのご支援のおかげと感謝いたしております。

 あの戦争から65年。私たち空襲被災者は、一日も心の安らぎのない人生を強いられてきました。私は6歳の時、米軍の落とした爆弾の破片をうけ、その場で左足が千切れてしまいました。それから芋虫のように生きてきました。10代になったとき、母に「なぜあの戦争に反対してくれなかったの、戦争さえなかったらこんなつらい目にあうこともなかったのに」と責めては亡き母を困らせました。この裁判を起こしてから、私はその頃をよく思い出します。そして「なぜ立ち上がってくれなかったの」という少女の叫びは、いま私たち自身に向けられているのだと思っています。

 国が私たち空襲被災者に何ら援護措置をとらず、放置してきた最大の根拠は、「戦争で受けた損害を国民は等しく受忍しなければならない」という戦争被害受忍論です。もし私たちが、このまま我慢とあきらめの人生を受け入れたまま死んでしまえば、同じ歴史が繰り返されることになります。子や孫たちの世代にまでも「あなたのおばあさんは、戦争被害を受忍したんだよ。あなたたちもガマンしなさい」と国に言わせることがあってはなりません。

 日本を取り巻く内外の情勢がさまざまに厳しい今、私たちは10年、20年先の子や孫たちの未来が気になります。だからこそ、戦時戦後を生きてきた私たちが戦争被害受忍論を打ち破り、奪われてきた人権を取り戻し、本当の民主主義を子や孫の世代に手渡したいのです。それが私たちのこの裁判を続ける一番の原動力であり「遺言」です。空襲訴訟、そして国に差別なき戦後補償を求めるたたかいはこの国の、この世界の未来を築くたたかいだと確信しています。

 私はここ数日、奪われた足の付け根と体中の痛みに見舞われ、今日のつどいに参加できるか心配していました。会場にたどり着いて、皆さまの支えがあるかぎり、ダウンしたり弱音を吐いたりしながらも頑張れる気がしました。

 今日はお越しいただきまして、本当にありがとうございました。

『憲法九条だより』No. 13(2011年1月1日)から

戦争体験を語る

旧朝鮮で経験した敗戦と帰国の苦難

鳳東町 藤田 均さん


 自分は朝鮮(当時)で生まれ育ちました。父は北海道、母は福岡出身ですが、平壌の西南、大同江という内海に面した町、兼二浦(現在の松林市)で昭和10年4月、5人兄弟の3番目としてこの世に生を受けました。

 兼二浦は日本製鉄(後の八幡製鉄)の町で6千人の日本人が暮らしていました。父は社員でしたが、昭和15年病死の後、母が働くようになり、ずっと社宅に住んでいました。町は怖いことも無く、表向きは平和でしたが、日本人が悪いことをしており、朝鮮人は抵抗もせずジッと辛抱していることは、自分のような子どもにも分かりました。例えば、日本人の奥さんがリンゴの入った籠を頭にのせて売っている朝鮮女性の足を引っ掛けて倒し、転がっているリンゴを笑いながら持ち帰るのを見かけたことがありました。

 終戦の日ですが、油をとるための松の根を持って校門に入ったら、校庭で玉音放送が始まるところでした。整列して聞きましたが、雑音で校長先生も内容が分からなかったようです。1~2時間後に日本が戦争に負けたと知りました。社宅は何時もどおり平静でした。間もなく、日本の神社が燃やされたり、朝鮮人の戦勝行列が近くを通ったりしましたが、日本人が危害を加えられることはありませんでした。

 8月30日頃「2~3日で帰らせるから身の回りのものを持って集まれ」と、刑務所跡らしい施設に連れていかれ、翌四月まで8ヵ月隔離されました。4畳半程度の部屋に兄弟5人と母と叔父と祖母の9人が入れられましたが、まだよい方でした。出入り口は北朝鮮保安隊が見張っていましたが、施設内は自由で、身の危険を感じることはありませんでした。食べ物はサツマイモ一切れや、固いとうもろこしでした。寒いし何もすること無いしお腹はすくし、辛い期間でした。ここでは栄養失調で亡くなったり、女の子が目が見えなくなったり、男の子が歩けなかったり、発疹チフスが発生したり、弱いものから食べ物を取り上げるなど悲惨なことを見たり聞いたりしました。

 氷が溶け出した頃、集団で夜中に船や汽車での脱出が始まりました。たまに失敗して連れもどされたところも見かけました。自分は北朝鮮保安隊から帰国許可を得た病人部隊に、盲目の叔父叔母と加わりました。20歳の叔父が隊長になりました。母や兄弟は2日前の夜、船で脱出していました。自分には何も告げていませんでした。無事に日本へ帰れるか、再び親子が出会えるか分からない中、母なりに考えた辛い決断だったのでしょう。


 4月10日「兼二浦駅」から汽車に乗り、「黄海黄州駅」で降りて宿に泊り、保安隊の臨検を受けました。翌朝再び汽車に乗り、38度線近くの「海州駅」に向かいました。駅に止まるたびに隊長の叔父が駅員に包みを渡すのを窓から見ていました。受けとらなくても「気をつけて!」という駅員さんもいれば、受け取っても悪態つく駅員さんもいました。叔父はどんな人にもぺこぺこと頭を下げ続けていました。「海州駅」にロシア軍がいるからと、二つ手前の駅に降り、小さい家で40人が座ったまま寝ました。

 この民家は38度線のわずか北に位置し、翌日から国境を越える苦しみが始まりました。明るくなって出発。ぬかるみの赤土農道を病人は荷車で。途中から雨で、さらにヒョウが混じり、リュックの芯までボトボトになっても歩き続けました。寒かった記憶はありません。それほど緊張していたのだと思います。40人の列もバラバラになり、立ち止まったり引き返したり…。夕方になってやっと一軒の農家に全員揃いました。区切りはなかったですが、どうやらこの民家は国境線の中だったようです。翌日もロシア軍と北朝鮮保安隊に見つからぬよう、農道を歩き続けました。

 2日間歩いて南鮮の「泉決駅」(多分)に着き、有蓋貨車に詰め込まれ、2日間ほどかかって「ソウル駅」に着きました。4月15日と記憶しています。南鮮でも食べ物はなくコーリャン、キビ、大豆が少し入ったお粥が大人子どもの区別なく配られました。誰一人苦情も言わず、トラブルも無く、静かに行動していました。「日本へ帰りたい」、「日本は戦争に負けたのだからおとなしくしないといかん」と不安に思っていましたが、朝鮮人から嫌がらせをされたことはありませんでした。

 「ソウル駅」から有蓋貨車に乗せられ、40人揃って「釜山駅」へ着きました。そこで偶然母と再会できました。引き上げ船で福岡に上陸したのが昭和21年4月18日。朝鮮にいるとき「日本は美しい国だ」としつこく言われていました。上陸して生まれて初めて見た日本は、一面焼け野原で美しくはありませんでした。(元自治会長)

(聞き手と写真=小倉)
『憲法九条だより』No. 13(2011年1月1日)から

2011年1月16日日曜日

愛が深まる月


        鳳東町・浅井千代子

読書会で
八月課題図書
林京子の「祭りの場」を読んだ
著者は六十五年前の
長崎原爆の被爆者
自らの体験を書き
原爆文学の代表作の一つ
今も読みつがれている

一九四五年八月九日
その日アメリカ軍二つ目の原爆投下
立ち昇り天を覆ったキノコ雲
太陽はもとより
地上に存在するあらゆるものを溶かし
人類はじまって以来の
この世の果てを実験した
放射能の恐ろしさ
原爆症の恐怖は
半世紀以上経た今も
命を破壊しつづけ
見えぬ悪魔の影は子子孫孫にまで及ぶ

頁を繰りながら
幾度目を閉じ
本を胸に抱きしめたことか
しみじみ
今日あるすべての命を
いとしいと思う

アメリカの核の傘など論外
世界に反核を軸とした平和こそ…

益々平和憲法九条の存在が
重要になってきた
八月は
九条への愛が更に深まる月

『憲法九条だより』No. 13(2011年1月1日)から

[お知らせ]
九条署名:当会の当面の目標=3,000筆、現在=2,500筆(堺市合計=116,388筆)

『憲法九条だより』No. 13 の他の記事:
(タイトルをクリックすると別ウィンドウに開きます)

2011年1月2日日曜日

2011年の初めにあたって


 今年の干支はウサギです。私が最近ウォーキングをする際に愛唱している歌の一つ、高野辰之・作詞、岡野貞一・作曲の「故郷」は、「兎追いし かの山、小鮒釣りし かの川」という歌詞で始まります。利潤ばかりを追求する乱開発のせいで、この歌詞にあるような自然が方々で失われて来ています。私たちは、人間の営みと自然の豊かさの調和を大切にする世の中をこそ、望まなければなりません。そして、乱開発以外の、これらを破壊する原因となるものとして、ぜひ避けなければならないことがあります。それは戦争です。

 昨年は近隣の国ぐにに不穏な動きがありました。そのような動きを制するため、わが国は日米安保条約の堅持だけでなく、憲法9条を変えて強大な軍事力を持つべきだとの考え方が、またまた頭をもたげています。しかし、国家間の問題の本当の解決は、外交手段で行なうべきであり、また、それによってしか真の解決が得られないことを、これまでの歴史が示しています。

 第2次世界大戦後の主な戦争は、いわば国内の戦争にアメリカが自国の目論みで参戦して不首尾だったり(朝鮮戦争、ベトナム戦争)、アメリカがテロに対する報復として、また、不確かな情報をもとにして戦争をしかけたり(アフガン侵攻、イラク戦争)したものです。つまり、大国同士あるいは領土の占有を目的とする戦争はなくなって来ており、これは「国際紛争の解決は外交手段で」との機運が、世界の常識になりつつあることの反映です。それにもかかわらず、アメリカだけがいつまでも軍事力に頼っており、日本の政府はそれに盲従しようとしているのです。

 昨年末には、日米合同の防衛演習のニュースが、映像を伴って何度かテレビで放映されました。その映像は、私のような戦争を知る世代の目には、空恐ろしい光景に映りました。軍事力を示して近隣の国ぐにを脅そうというのは、むしろ逆効果で、先方もますます軍事力の強化に走るだけでしょう。

 国連のパンギムン事務総長は昨年七月、広島で開かれた「核廃絶広島会議」へ贈ったメッセージの中で、核兵器が安全保障に役立つという「核抑止力」の考えは「幻想だ」と批判し、「安全を保証し、核兵器の使用から逃れる唯一の方法は、核兵器を廃絶することだ」と訴えました。核兵器にせよ、沖縄の米軍にしろ、憲法九条を変えようという動きにせよ、軍事力の保有あるいは強化は軍拡競争をあおるだけであり、それが戦争抑止に役立つとの考えは、パンギムン氏のいう通り、幻想に過ぎません。憲法九条こそが真の抑止力なのです。私たちはこのことを肝に銘じて、憲法九条を守り生かす運動をしっかりと進めて行こうではありませんか。

福泉・鳳「憲法9条の会」呼びかけ人代表 多幡 達夫
『憲法九条だより』No. 13(2011年1月1日)から