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2017年10月2日月曜日

伊藤千尋さんへのインタビュー記事「守りたい9条:私たちには世界に誇る憲法がある」


 「『9条加憲』をどう見るのか、『改憲』が実現すると社会はどう変化するのか。世界からみた9条の価値について聞きました」として、全日本民医連の雑誌『いつでも元気』2017年10月号が、国際ジャーナリスト・元朝日新聞記者・「九条の会」世話人の伊藤千尋さんへのインタビュー記事を掲載しました。

 伊藤さんは、「9条は日本人だけのものじゃない、世界の人のためのものです。だから世界のあちこちで『9条っていいな』と思われているのです。日本人には9条の大切さや、この憲法は世界があこがれる憲法なんだということを、もっと知ってほしいと思います」などと語っています。全文はこちらに掲載されていますので、ぜひお読みください。

2017年9月12日火曜日

堀尾輝久さんの「九条に込めた思い:幣原喜重郎と日本国憲法」、ウェブで読めます


 民医連(全日本民主医療機関連合会)の機関誌『いつでも元気』が、2017年7月号から9月号まで3回にわたって、「九条に込めた思い:幣原喜重郎と日本国憲法」と題する記事を連載しました。

 初回の前書きは、「日本国憲法が施行されて70年。安倍政権が改憲を目論むなか、憲法の成立過程にも注目が集まっています。今号から3回連載で、憲法第九条の成立過程について堀尾輝久さん(東京大学名誉教授)にうかがいます」と述べています。堀尾さんは「九条地球憲章の会」の世話人代表でもあります。

 各回のタイトルは下記の通りで、タイトルをクリックすると民医連のウェブサイトにある全文をご覧になれます。
 堀尾さんは最後に、「九条は日本の平和だけではなく世界の平和を求めるものであることは、憲法前文を読めばお分かりいただけるでしょう。日本国憲法はまさしく積極的平和主義であり、この精神を世界に広げることこそが憲法の理念です」、「まずは国内で九条を根付かせる運動を強めていきたいと思っています」と語っています。皆さん、ぜひお読みください。

2016年4月24日日曜日

「日本人の本質には九条がある」——金子兜太さん


 毎月3日13時に各地で一斉に掲げる「アベ政治を許さない」の文字を揮毫した俳人の金子兜太(とうた)さんが、民医連月刊誌『いつでも元気』2016年5月号に、表記の題名で巻頭エッセイを書いています。

 金子さんは、まず小林一茶の「花げしの ふはつくやうな 前歯哉」という句を引用して、「抜けかかった前歯を舌でペコペコしていると、まるでケシの花が風に揺れているように感じる。[…]このような感覚は、日本人の多くが持ち合わせています。[…]昆虫でも植物でも、あらゆる命を尊重する。もともと森の多い国に住んでいた民族だから、こうした感覚が鋭いのでしょう」と述べています。

 そして、「日本民族の命を中心に据える本質が、戦後七〇年、憲法九条を守ってきた。命を本能的にいたわる習性を持っている人たちの間に、通用するのが九条です」と断言します。

 また、「『他国が攻めてくる』と国民を脅す安倍政権は、一五年戦争と同じ発想ですよ。生きているものが、そのまま生きていることの大事さが分からない。そんな連中が増えるのは不幸です」と厳しく現政権を批判しています。

 文末には、「私は九六歳ですが、まだ死ぬ気はしません。私たちは生のエネルギーを持っている。くだらない情報に惑わされず、命の強さを信じ、九条に自信を持ち、結集しましょう」と、力強い言葉があります。私たちも、九六歳の金子さんの元気さに負けてはいられません。

多幡記

2014年9月9日火曜日

「9条俳句」掲載拒否は「言葉狩り」:金子兜太さん、東京新聞インタビューで


 先般、さいたま市内の女性が詠んだ「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」の俳句が、同市大宮区の三橋(みはし)公民館が毎月発行する『公民館だより』への掲載を拒否していたことが報道されました(こちら参照)。

 この問題で、現代俳句を代表する俳人の金子兜太(とうた)さん(94)は、東京新聞のインタビューにおいて、「普通の市民が率直に感じたことを詠んだ句。掲載拒否は言葉狩りだ」と述べ、『公民館だより』に掲載すべきだったと指摘しました(同紙、2014年9月8日付け朝刊)。詳細はこちらでご覧になれます。

 なお、同じ件について、作家の赤川次郎さんも、『図書』誌、2014年9月号のエッセイ、「失われたプライドを求めて」の中で、次のように批判しています。
 どなたか、海外派兵される自衛隊をほめ称える句を投稿してみてくれないだろうか? 市の方針に従えば、当然これもけいさいされないはずだ。要は「上からにらまれたくない」だけの話である。
赤川さんは続いて、集団的自衛権行使容認の閣議決定についても、厳しい批判を展開しています。
 集団的自衛権は他人のケンカを買うことだ、と元自衛官が発言している。
 歌舞伎などでは、よく、「このケンカ、俺が買った!」と、仲裁に入る、いなせな男が出てくるが、今はそんな時代ではないし、舞台の男は自分の体を張っているのだ。そこが大違いである。
多幡記

2014年1月8日水曜日

「あたらしい憲法のはなし」に見る日本国憲法の出発点と前文の重要な意味


 岩波書店発行の『図書』誌2013年12月号の「こぼればなし」欄(編集後記に相当)は、同書店が同年9月に刊行した『あたらしい憲法のはなし 他二篇』(高見勝利・編、岩波現代文庫)にふれています。

 「あたらしい憲法のはなし」は、1947年5月3日 に日本国憲法が施行された年の8月2日付けで、著作兼発行者「文部省」 名義で公にした、日本国政府による公式の「新憲法」の解説で、学校生徒児童を主対象に広く配布されたものです。日本ペンクラフも、いま「この史料、並びに『憲法』そのものが読み直されることを切望する」として、これを憲法全文とともに、PDF版で公開しています(こちら)。

 「こぼればなし」子は、「あたらしい憲法のはなし」の記述を見ると、「明治憲法とは隔絶した新憲法を、子どもからおとなまで全国民の中にどうやって生きた常識として根づかせるか、政府が知恵を絞りに絞っている様子がよくわかります」とした上で、日本国憲法の二つの出発点について述べています。

 出発点の第一は、平和憲法とも呼ばれる日本国憲法の最も深い根となっているもので、「あたらしい憲法のはなし」の中には次の通りに記されています。
いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。
 もう一つの出発点として「こぼればなし」子は、「権力はどんな嘘でもつくし、国民を破滅に導くことも厭わない、だから国民は憲法をもって権力を厳しく縛らなければならない」ということを挙げています。そして、他方、「自由民主党憲法改正草案」(2012年4月「決定」)には、「権力を縛るという発想はほとんど見られない」ことを指摘し、「その点で明治憲法にも遠く及ばない、近代憲法以前の代物」と、厳しく批判しています。

 「こぼればなし」子は、さらに、憲法前文についての「あたらしい憲法のはなし」の説明から、次の部分を引用しています。
これからさき、この憲法をかえるときに、この前文に記された考え方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。
この説明に対応する憲法前文の言葉は、その第1段の末尾にあり、次の通りです。
この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
「こぼればなし」子は、次のように指摘しています。
にもかかわらず、自民党「改憲草案」では「前文」が文章も趣旨もすっかり別のものに書き換えられています。いまや政権を担う公党が、みずからこの憲法をなきものにしようとしているわけで、「憲法尊重義務」はどうなっているのかと疑わざるを得ません。
 前文の上記の言葉に関連して、筆者は、2013年1月に『しんぶん赤旗』に連載された記事「解剖 自民党改憲案」を思い出します。「改憲案」の前近代性は心を暗くするばかりなので、筆者はこの記事をあまりり熱心には読まなかったのですが、最終回に前文の上記の言葉が取り上げられ、次のように記されていたのを読み、希望の光を見出しました。
 これは、仮に憲法改正の手続きを経たとしても、根本理念を否定する「改正」は無効だとする宣言です。
 自民党改憲案は[…]日本国憲法の根本理念を含む全面改悪であり、「排除」されるべき「憲法」です。
 さて、「こぼればなし」子の文に戻りますと、次のようにしめくくられています。
 改憲を掲げる安倍政権は、正面衝突が困難と見て取るや、ただちに実質的改憲に走り出しました。「ある日気がついたら、ワイマール憲法がナチス憲法に変っていた。誰も気づかないで変った」という麻生副首相の発言は、今の安倍政権の狙いを解説するものとしてなら、けだし名言というべきでしょう。私たちは再び「だまされる罪」(樋口陽一氏)を犯してはならないのです。
 この一年を騙されない年にしましょう。

多幡記

2013年12月9日月曜日

「平和こそが最高の経済政策」赤川次郎さん


 作家の赤川次郎さんが『図書』誌2013年12月号に、「踊れる平和が今」と題するエッセイを書いています。今年、ベネズエラから「エル・システマ・ユース・オーケストラ・オブ・カラカス」という若いメンバーの楽団が来日したことを紹介したあと、次のように述べています。
 ベネズエラの若者たちのように、「すてきな音楽が聞こえて来たら、踊り出したくなる」のは人間の本能。
 ところが「男女で踊るダンスは不道徳」という、一体いつの時代かの話かと思える規制が、今日本では行われている。
 赤川さんはさらに次のように続けています。
 戦前、憲兵が恋人たちを「軟弱だ」と殴打したような時代が、またやって来るのだろうか。
 麻生副首相の「ナチの手口に学べ」発言に続き、安倍首相は国会で「意志の力」を連発した。これもお気に入り(?)のヒトラーの愛用した言葉である。
 問題は言葉一つではない。ダンスの禁止がそのまま、「積極的平和主義」という名の戦争志向や武器輸出三原則の見直しへと分ちがたくつながっているということが問題なのだ。
 軍事産業がいかに国を荒廃させるか、アメリカを見れば明らかである。平和こそが最高の経済政策であることを、忘れてはならない。

 「平和こそが最高の経済政策」。そうです。弱者をいためつけるアベノミクスにだまされてはいけません。そして、「憲法9条こそが最高の防衛政策」です。

多幡記

2013年11月3日日曜日

『日本の科学者』11月号特集「安倍政権を問う—改憲と歴史認識」(3)


 前2回に続いて、日本科学者会議の論文誌『日本の科学者』2013年11月号特集「安倍政権を問う—改憲と歴史認識」の論文を、その要約を引用して紹介します。なお、同誌は書店あるいは発行元「本の泉社」の通販サイトで購入できます(税込み600円)。

 韓 冬雪「安倍政権の歴史認識と改憲問題──アジア諸国から見た安倍政権の危うさ」:アベノミクスを掲げて再登場した安倍政権は、政治的には危うさを秘めている。彼の政治理念は保守主義と民族主義にもとづいている。歴史認識では、近代日本の侵略の歴史を否定し、戦争責任を追及した東京裁判の意義を認めない。日本が加害国となった侵略戦争を否定したのでは、被害国であるアジア諸国や中国との信頼関係は構築されないであろう。

 宋 柱明(訳・金 美花)「参議院選挙後の右翼国家主義的政治地図──韓国の進歩的観点による分析と提言」:衆参両院で保守勢力が3分の2以上を占めたことを受け、自民党は軍事大国化に向かう国家主義戦略に拍車をかけるであろう。保守支持の社会的背景として生活の危機に瀕した青年層の自発的「右翼化選択」という現象がみられる。これにたいし[筆者は本稿において、]日本の集団的経験にもとづく歴史認識をふまえた市民の「進化した民主主義」を求めた。(注:[ ]内は、分りやすくするため、引用者が挿入。)

 小林義久「オバマ政権と歴史認識問題──安倍政権をどう評価しているか」:安倍政権下で歴史認識問題が再燃している。「戦後レジーム」からの脱却を掲げ、日本国憲法改正を目指す安倍政権の集団的自衛権容認に向けた憲法解釈見直しや靖国神社参拝などの動きに中国、韓国が反発しているためだ。オバマ米政権も安倍政権が国家主義的な傾向を強めれば、東アジアの安全保障体制だけでなく、第2次世界大戦後の国際秩序を揺るがしかねないと警戒し始めた。

 以上で、『日本の科学者』11月号特集論文の紹介は終わりです。

(文責・多幡)

2013年11月2日土曜日

『日本の科学者』11月号特集「安倍政権を問う—改憲と歴史認識」(2)


 前回に続いて、日本科学者会議の論文誌『日本の科学者』2013年11月号特集「安倍政権を問う—改憲と歴史認識」の論文を、その要約を引用して紹介します。なお、同誌は書店あるいは発行元「本の泉社」の通販サイトで購入できます(税込み600円)。

 石田勇治「悪しき過去との取り組み──戦後ドイツの『過去の克服』と日本」:過去の戦争と植民地支配に起因する「歴史問題」がいまだに近隣諸国との関係に重くのしかかる現在の日本は、かつての同盟国ドイツの戦後史から何を学ぶことができるだろうか。第二次大戦を首謀し、ホロコーストを実行したドイツは、戦後、いかにして失った国際的信用を取り戻したのだろうか。本稿は、ドイツの悪しき過去との取り組みを中心に、日独の戦後を分ける諸要因を検討する。

 中塚 明「『明治の戦争』と日本人の記憶」:われわれは明治以後の歴史を見るとき、「明るい明治」vs「暗い昭和(前半)」として見ていないか。日清戦争・日露戦争を「防衛戦争」として「明治の栄光」を讃える言説が、日本人の歴史認識をどれほど歪めているか——そのことを考える。

 残りの論文の要約は、次回に掲載の予定です。

(文責・多幡)

2013年11月1日金曜日

『日本の科学者』11月号特集「安倍政権を問う—改憲と歴史認識」(1)


 日本科学者会議の論文誌『日本の科学者』2013年11月号が、「安倍政権を問う—改憲と歴史認識」と題する特集を組み、7編の論文を掲載しています。以下に、それらの論文の要約を引用して紹介します。なお、同誌は書店あるいは発行元「本の泉社」の通販サイトで購入できます(税込み600円)。

 大藤紀子「歴史と担い手を欠いた憲法」:2012年に提示された自民党の「日本国憲法改正草案」は、ありうる憲法のヴァリエーションの一つという意味での憲法の改変や、憲法の提示する世界観、憲法の有する性質の変更の提案にとどまるものではない。社会における憲法の位置づけを抜本的に変更し、それが具備すべき本来の機能を停止させるものである。本稿では、「改正草案」と日本国憲法との比較を通じて、かかる草案が描く憲法像を浮き彫りにしたい。

 古関彰一「自民党改憲案の歴史的文脈」:本稿は、憲法制定以降今日の安倍政権に至る改憲問題を歴史的に扱うとともに、日米安保条約の問題性をも考察するものである。憲法改正問題は、自衛隊の創設、自由民主党の結党を起点としている。しかし、60年代半ばに改憲の企図はいったん挫折したが、自民党は、戦争放棄条項の削除を中心に天皇制の強化、人権制限を一貫して改憲の柱としてきている。今日の改憲問題は、冷戦後の安全保障状況と一体化して、将来の日本の平和に問題を投げかけている。

 他の論文の要約は、次回以後に続いて掲載の予定です。

(文責・多幡)

2013年9月27日金曜日

ナチスと安倍政権:赤川次郎さんが類似性を指摘


 『図書』誌、2013年10月号 p. 48 に掲載の「禁じられた大人の遊び」というエッセイで、作家の赤川次郎さんが、「ナチスの手口に学べという麻生副首相の発言は、原発事故に匹敵する『大惨事』」と呼んで、ナチスと安倍政権の類似性を指摘し、安倍政権を鋭く批判しています。

 赤川さんは、まず、ナチスの占領下のフランスで作られたナチスに協力的なヴィシー政権が、フランスの国是「自由・平等・博愛」に替えて「労働・家庭・祖国」をフランスの目標にしたが、このヴィシー政権の三つの柱は、そのまま安倍政権の目指す「美しい日本」に重なる、と述べています。

 次に赤川さんは、ヒトラーが経済的苦境への人々の不満を吸収して人気を高め、暴力への恐怖で人々を黙らせた点でも、「アベノミクス」という内容のない言葉で支持を受けた安倍政権はよく似ているとし、「人々を黙らせる」を思わせる、選挙演説中のプラカード没収事件についても述べています。

 上記の事件について、インターネットで検索してみると、2013年7月14日付け『東京新聞』朝刊「こちら特報部:ニュースの追跡」欄の「首相の考えを聞けないの? 参院選演説で聴衆のボード没収」と題する記事で報道されていたことが分りました。その記事のリード部分は次の通りです。
「原発廃炉に賛成?反対?」。安倍晋三首相の街頭演説で、女性(40)がこんな質問ボードを掲げようとして、没収された。掲げる前に、自民党スタッフや警察官を名乗る男性4人に取り上げられた。この様子の動画はインターネットで公開され、「言論封殺か」と疑問の声が噴出する騒ぎになっている。[記事全文はこちらに引用されています。]
この事件は「安倍政権の素顔をさらした出来事として、もっと問題にされるべきだった」と、赤川さんは述べ、「思想・信条の自由」を警察が自ら否定したもの、と批判しています。

 赤川さんは最後に、「汚染水の膨大な流出に何の手も打てずにいる原発事故への無責任な」姿勢の安倍政権が、「この現実を無視して他国へ原発を売り込むのは正に『禁じられた遊び』」と、厳しく非難しています。

 ここで、赤川さんのエッセイの題名を思い出して下さい。そして、エッセイの前半に、ルネ・クレマン監督の代表的映画『禁じられた遊び』のブルーレイ版には、「存在すら知らなかった別のオープニングとエンディングが収録されていて驚かされた」という話があったことを付記して初めて、題名から結語までのつながりがご理解いただけるでしょう。——推理小説家のエッセイを推理小説風に紹介してみました。

多幡記

2013年8月9日金曜日

国連勧告を無視する日本、戦争への道をひた走った姿そのまま:赤川次郎氏がエッセイで指摘


 『図書』誌2013年8月号 p. 48〜50 の「人生の誤植」と題するエッセイで、赤川次郎さんは、若い頃に校正の仕事をしていたため、誤植を見つけるのが得意だという話から書き始めています。その中で注目すべきは、「本の誤植は訂正すれば済むが、『国家の誤植』は一旦誤れば莫大な犠牲を払わない限り訂正することはできない」とまとめている本論の部分です。

 その本論は、まず、「公の場での責任ある立場の人間の発言は、訂正して済むものではない」として、国連の拷問禁止委員会の席で上田大使が行なった非礼な「シャラップ!」発言、自民党の高市早苗議員の「原発事故で死者は出ていない」発言などを取り上げています。そして、「驚くのは、そのいずれも『反省』したり『撤回』したりすれば『なかったことになる』という日本でしか通用しない『常識』が、ジャーナリズムにまかり通っていることである」と指摘しています。

 このエッセイが書かれたあとで出現した、麻生太郎副総理の「ナチスの手口に学べ」発言も、いま、その非常識な「常識」によって、なかったことにされようとしています。

 赤川さんは、さらに、次のように述べています。
 国連は日本に冤罪の温床となる代用監獄の廃止などを何度も勧告して来た。死刑廃止に向けた取り組みも同様だが、日本はそのすべてを無視して来た。さらに国連は橋下市長の[慰安婦問題への]発言に対し、日本政府が反論することも求めたが、それにも「法的拘束力はない」から「従う義務はない」と決定した。[…]世界がどう言おうが、日本は日本のやり方を押し通すのだ、という姿勢は、戦前の国際連盟を一人脱退して戦争への道をひた走った軍国日本の姿そのままである。
これは、決して誇張でも、やぶにらみの意見でもなく、全くその通りの、危険な状況を直視した言葉だと思います。ここに述べられている日本の姿勢は、先に紹介した米映画監督、オリバー・ストーン氏の「日本は[…]道徳的な大国になっていない」という言葉を裏書きする事実の一端でもあります。

多幡記

2013年8月3日土曜日

安倍政権の矛盾と改憲の危険性


 高橋哲也・東大大学院教授が、『世界』2013年7月号に「自壊する歴史認識」と題する論文を発表しています。その中で高橋氏は、日米同盟の強固な支持者であり、ことあるごとに自由と民主主義の価値観を強調する安倍首相が、戦後レジームを否定するのは、自己矛盾だと指摘しています。また、日本国内でしか通用しない歴史逆行の論理を公言し、米国に批判されると引っ込める情けない姿勢をあらためない限り、国際社会での日本の孤立がいっそう加速するとも指摘し、この政権が、海外で軍事行動を行なうために改憲を推進することの危険性を警告しています。——7月31日付け『しんぶん赤旗』の「論壇時評」欄(谷本諭氏・筆)が伝えています。

 同欄は、先に本ブログが紹介したスタジオジブリ発行の『熱風』7月号で、映画監督の宮崎駿・高畑勳両氏が、それぞれ「選挙をやれば得票率も投票率も低い、そういう政府が…思いつきのような方法で憲法を変えようなんて、もってのほか」、「憲法九条という、世界に向かって掲げた…理想の旗を絶対に降ろすべきでない」などの思いを語っていることも紹介しています。

 私たちの憲法9条を守り活かす運動が、ますます重要になっています。

多幡記

2013年7月22日月曜日

スタジオジブリの『熱風』2013年7月号が「憲法改正」を特集:期限付きダウンロード可


 スタジオジブリ発行の小冊子『熱風』2013年7月号(7月12日発売)が「憲法改正」を特集しました。特集の目次は次の通りです。

  • 憲法を変えるなどもってのほか……宮崎駿
  • 9条 世界に伝えよう……鈴木敏夫
  • 戦争は怖い……中川李枝子
  • 60年の平和の大きさ……高畑勲

 この問題に対する意識の高さを反映して、同号は多くのメディアで紹介され、『熱風』編集部には「読んでみたい」というたくさんの問い合わせがあったそうです。しかし、取扱書店では品切れのところが多く、入手困難となっているため、同編集部では特集の全文を緊急配信することになりました。ダウンロードは無料、配信期間は8月20日18時まで、こちらから、となっています。

 なお、2013年7月号の表紙には、上掲のイメージのように、目下上映中の映画『風立ちぬ』のポスターから取られた絵が使われていて、その大きなイメージは、多分次号の発行まで、スタジオジブリ出版部のトップページでご覧になれます。

多幡記

2013年6月12日水曜日

安倍首相に読んで貰いたい記事、そして私たちも覚えておきたい事実


 安倍首相は4月23日の参議院予算委員会で、「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と述べました。6月11日付け『しんぶん赤旗』の「朝の風」欄はこの発言に対し、「日中共同研究の成果を忘れたのか」と題して、学界での事実を一つ紹介しています。その記事の本論部分は次の通りです。

 第1次安倍内閣の2006年に日中歴史共同研究を行なうことが合意された。2010年1月に公表された報告書は、時期ごとに日中関係を軸にしたテーマを設定し、日中の研究者がそれぞれ執筆した論文を併載している。
 日中戦争を扱う近現代史第2部第2章のタイトルは、日本側の論文が「日中戦争—日本軍の侵略と中国の抗戦」、中国側の論文が「日本の中国に対する全面的侵略戦争と中国の全面的抗日戦争」となっている。表現に違いはあるが、日本または日本軍の「侵略」としている点は共通している。この章では、平頂山事件、南京虐殺事件、重慶爆撃、三光作戦、強制連行などの具体的史実についても、日中双方がかなり詳しく記述している。
 日本側研究者の人選は政府主導で進められたので、座長は北岡伸一氏*が勤めたが、それでも日中戦争を中国への侵略とみる点では一致している。安倍首相は自分がはじめた共同研究の成果を忘れたのだろうか。

 * 引用者注:小泉首相の私的諮問機関「対外関係タスクフォース」委員、日本版NSC設置検討のために設置された「国家安全保障に関する官邸機能強化会議」委員、日本の集団的自衛権保持の可能性について考える安倍首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」有識者委員などを歴任した人である。

 作家の赤川次郎さんも、『図書』6月号のエッセイ「西部劇における人生の汚点」において、安倍首相の戦争観や武力対抗主義を念頭において、次のように記しています。

 鶴見俊輔さんは「戦争に負けた国は戦争を失うことができる」と言ったが、敗戦によって自国の歴史を批判的に振り返ることこそ、戦争の犠牲者への一番の追悼となる。
 かつて、フォークランド紛争での勝利に狂喜するイギリス国民の映像に、私は「いまだにイギリス人は大英帝国の夢が忘れられないのか」と愕然とし、しばらくは好きなアガサ・クリスティさえ手に取ることができないほど落胆したものだ。国内での不人気を戦争で取り戻す。歴史はうんざりするほどの単純さでくり返すのだ。

 過去の侵略の否定や、領土問題に対して武力増強で対応しようとする姿勢などは、日本を「美しい国」にするどころか、世界から疎まれる国にするだけです。

多幡記

2013年6月2日日曜日

9条改憲に狂奔する為政者たちに痛言:『図書』誌「こぼればなし」欄


 岩波書店発行の『図書』2013年6月号巻末の「こぼればなし」欄は、同書店がさる4月に刊行を完結した『世界史史料』(全12巻)に関連して書き始めています。そして、戦後の新教育発足のさい高校社会科に「世界史」が設けられることになった背景、当時の日本人の日本国憲法についての確信、日本における平和と民主主義の歴史、9条改憲に狂奔する為政者たちへと話を進めています。以下にその概略を紹介します。

 まず、「世界史」教科の設定は、「敗戦後、もう二度と戦争をしないと決意した日本国民が、世界的視野をもった子どもたちを育てて、世界に積極的に働きかけていく以外に、日本の平和を確保する道はないと実感していた、という事実」に後押しされたもので、「平和憲法と深いつながり」があると指摘しています。

 次いで、国際連合憲章前文の平和に関する箇所を引用して、この憲章が「日本国憲法、とりわけその前文や第九条と深い呼応関係に」あり、「これらこそ、二〇世紀の『言語に絶する戦争の惨害』という犠牲を払って人類がつかみとった、かけがえのない成果だと、当時多くの日本人が確信して」いたことを述べています。

 続いて、「敗戦後日本を占領していた米国は、当初こそ日本の民主化と非軍事化を押し進め」ましたが、「日本を去る前に方向を逆転させた。…にもかかわらず、平和と民主主義と言う理想は、日本に根をおろした」と、あとのカッコ内の言葉をジョン・ダワー氏の『敗北を抱きしめて』から引用して説明しています。

 これらの流れを受けて、「この歴史をなかったことにして、いま九条改憲に狂奔する為政者たちは、自分たちが憲法にふさわしい存在になるのではなく、憲法を自分たちにふさわしい存在に引き下げようとしているとしか言いようがありません」と結んでいます。

 痛快な言葉ではありませんか。

多幡記

2013年5月30日木曜日

「なぜ96条を変えてはいけないのか」:伊藤真氏の『世界』誌論文


 雑誌『世界』2013年6月号は『「96条からの改憲」に抗する』と題する特集をしています。その中の、弁護士・伊藤真氏による論文「なぜ96条を変えてはいけないのか」が、5月29日『しんぶん赤旗』の「論壇時評」(田代忠利氏執筆)に取り上げられていますので、その記事によって紹介します。

 自民党などの憲法96条改定の動きは、立憲主義に反するとして、9条改憲派の人々も含めて、多くの国民から批判を受けています。伊藤氏の論文は、立憲主義をその原点から擁護しているということです。

 立憲主義とは、そもそも何でしょうか。伊藤氏は次のように説明しています。多数意思もしばしば誤りを犯します。それを避けるため、「多数決でも変えてはならない価値を前もって憲法の中に書き込み、多数意思を反映した国家権力を制限する」、それが「立憲主義という法思想」です。憲法改正権をもつのは国民のみであり、国民から命令される側が自由に改憲できないよう、改正要件を厳しくしているのです。

 伊藤氏は「手続要件を緩和する意図は憲法9条改正のための下準備にある」と看破しています。そして、9条改憲で可能にされる集団的自衛権と国防軍創設が日本に危険をもたらすことを指摘しています。「『戦力によらなくても外交努力によって自衛はできる』という考え方を押し進め、より外交交渉力を高めるほうが、日本の国民を守ることにつながる」という優れた主張が述べられています。

 なお、『世界』誌には、青井未帆さん(学習院大学)の「憲法は何のためにあるのか──自由と人権、そして立憲主義について」という論文もあります。執筆に際しての青井さんからのメッセージが岩波書店の『世界』6月号目次ページにリンクされています。その中で青井さんは、『「今あるルールを変更したいのだけど、変更する手続きは煩瑣だし、変更できるか分からない。だから変更のルール自体を変えちゃいましょう!」というのは、私たちの社会常識からしても、相当におかしいことです』と96条改定の動きを批判しています。

多幡記

2013年3月23日土曜日

「いつの間にか始まっている」戦争こそが恐ろしい:赤川次郎氏

 赤川次郎さんが『図書』誌に連載しているエッセイ「三毛猫ホームズの遠眼鏡」は、3月号で第9回となりました。今回の題は「灯台はどこを照らすのか」です。先般、NHK の「クローズアップ現代」(注 1)で、「木下恵介の映画が、いま、世界で注目され、また現代の日本の若い世代に共感を持って見られていることが報告されていた」と始まっています。

 そして、「木下恵介の原点は、『戦争』、『貧困』、そして『封建的な因習』への怒りである」、「灯台守夫婦の歳月を描いた『喜びも悲しみも幾歳月』にも、戦時下、アメリカ軍の標的となって攻撃を受け、何人もの灯台守が犠牲になったことが描かれている」と述べています。

 赤川さんは続いて、尖閣問題で硬直化した安倍政権の姿勢に関連して、「初めは、戦争とも戦闘とも呼べない小ぜり合いが、やがて、犠牲者を出し、その報復を叫んで攻撃し、という風に、『いつの間にか始まっている』戦争こそが恐ろしいのだ」と警告し、「私たち一人一人が、『戦争をしない』という意志を強く持つしかない」と訴えています。まさに、私たち一人一人が、憲法9条を守りいかす決意を新たにしなければならない、ということです。

 赤川さんはさらに、「戦争」だけでなく「貧困」も目の前の問題であるとして、「今、木下作品を見る人は、どんな涙であれ、この社会と深くつながっていることを忘れないでほしい」と望んでいます。

 木下恵介の映画という灯台が、領土問題をめぐる戦争への危険や、生活保護費の不当な切り下げによる貧困の加速などの、現在の状況をも照らしていることに、私たちは気づき、そういう状況の改善を求めて行かなければなりません。


  1. 赤川さんの文の末尾に、「映画用語としては『クローズ』と濁らず、『クロースアップ』が正しい、のだそうである」とあり、私も辞書を引いてみたところ、そうだと分りました。

多幡記

2013年2月28日木曜日

大江氏が「希求する」を好んで使う理由

 『図書』誌2013年3月号の大江健三郎さんのコラム「親密な手紙」は「同じ町内の」という題です。このエッセイには、同じ町内の人が二人登場します。一人は小澤征爾さんで、新首相の会見記事を見て、「原発の見通しをいってるが、自分が海外で会って来た友人の誰一人、あれだけ楽観的な者はいない。この報道に抗議は送られて来ないか?」と電話で彼がいうのを聞き、暗然と話し続けたことが記されています。

 もう一人の同じ町内の人は、ベアテ・シロタ・ゴードンさんの死に際し、娘さんが献花を望まれるなら「九条の会」に寄付してもらいたいといわれたとの報道に応じて、大江さんに寄付を託した老婦人です。その婦人は大江さんに、「シロタさんは日本国憲法についてどういう文案または訂正案を出されたのか」という質問をしたので、大江さんはそれに応えて、野上弥生子さんと話した思い出を語ったことが述べられています。

 その思い出は次のようなものです。大江さんは若いときから、エッセイに「希求する」という表現を好んで使っていました。野上さんに、「どうしてあんな古くさい言葉を?」と訪ねられ、大江さんは「新制中学の教室で、出来たばかりの憲法に感動したのがきっかけです」と答えました。憲法第9条に、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」とあるのです。

 大江さんはさらに、この日本文の資料法令とされている英文の、「希求」に相当する部分には、aspire という言葉が使われていて、その言葉の穏やかさと強さに、シロタさんの女性らしい働きを感じる、などと述べたところ、野上さんから、「aspire が女性的というのは、単にあなたの語感です」とやり込められたそうです。

 ——それはともかく、いま日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求しているでしょうか。安倍政権の進める軍事対抗主義、そして憲法を変えようとする勢力の動きは、この希求の誓いを裏切るものではないでしょうか。

多幡記

2013年2月2日土曜日

赤川さんが批判する恐ろしい現実:再び起る原発大事故を考えようとしない安倍氏、経団連、電力会社

 『図書』誌に連載の赤川次郎さんのエッセイ「三毛猫ホームズの遠目鏡」が、2013年2月号では第8回となり、「フィクションと現実」と題されています。フィクション部分は、「時計の針を大きく逆に戻したような」昨年末の総選挙結果にからんで、二つの「謎」に注目し、それらを「私がポリティカルフィクションを書くなら」として、選挙の舞台裏を想像した話です。

 「謎」の一番目は、「この時期に総選挙になれば民主党の惨敗は目に見えていたのに、突然の野田首相の解散」であり、二番目は、「北朝鮮のロケット発射」です。これらについて、赤川さんでなくても、裏を想像することの好きな人ならば考えなくもないかと思われるフィクションの筋書きが示されています。その話はご想像にまかせるとして、もっと不気味なのは、このエッセイの現実についての部分です。

 赤川さんはその現実を最大の「謎」であり、「これこそ、どう作家が想像力をめぐらせても理解しがたい」として、次のように記しています。
 安倍氏、経団連、電力会社、その誰もが、「3・11」の、あの大地震の凄まじさ、大津波の破壊力、そして爆発した建屋の中すら今も分らないという原発事故の恐怖を経験していながら、これから起る大地震——間違いなく起るのだ——で再び原発が大事故を起すことを「考えようとしない」ことである。
 赤川さんはさらに、ベルギーに住むヴァイオリニスト、堀米ゆず子さんが「3・11」後のメールで、「初めのうちこそ日本を被害者として同情してくれていたヨーロッパの人々が、次第に日本を加害者と見るようになっている」といって来たことを紹介し、以下のように指摘しています。
 日本のマスコミは、あえて震災とその復興ばかりを取り上げているが、世界の関心はむしろ原発事故の方にあるのだ。…中略…今、正に日本は目をふさぎ、耳をふさぎ、口を閉じて危険に向かって歩き出しているのである。
多幡記

2012年12月13日木曜日

投票は「巨人、大鵬、卵焼き」ではいけない


 1960年代に、子どもたちの好きなものを表す「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉が流行しました。野球界では巨人軍の王貞治・長嶋茂雄の ON コンビが大活躍していた時代であり、相撲界では大鵬が双葉山以来の圧倒的な強さを誇っていた時代でした。

 子どもたちが強いものに憧れるのは自然だとしても、大人が選挙権を行使する際には、政党の過去の強さや人気、そしてマスメディアのあおりなどで候補者・政党を選んではいけません。私たちの一票には、私たちの暮らし、この国の将来、私たちの子孫の将来などがかかっているのです。

 各候補者や政党がどういう政策を行なおうとしているかをよく吟味して投票しましょう。とくに、基地問題に悩む沖縄の人たち、震災と原発事故の被災地の人たち、いろいろな障がいや病気を持っている人たち、職を失っている人たち、などなど、困っている人たちのことを十分に考える候補者・政党や、また、国のあり方を健全な国際的な視野で進めようとしている候補者・政党を見きわめて選ぶことが大切でしょう。

 参考資料の一部として、ブログ「[堺からのアピール]教育基本条例を撤回せよ」が本日付けで紹介している選挙関連情報へのリンクを記しておきます。
多幡記