2012年1月31日火曜日

宇宙の軍事利用拡大は見過ごせません


 政府は、独立法人宇宙航空研究開発機構法(JAXA 法)が宇宙開発を「平和の目的」に限定している規定を削除する方針で、そのための関連法案を今国会に提出することが報じられました。

 JAXA 法はその第4条に、人工衛星の開発や打ち上げ、追跡などの業務を「平和の目的に限り」実施すると明記しています。この「平和目的」規定は憲法の平和原則を反映したものであり、守り抜くべきものです。

 JAXA 法から「平和の目的に限り」との規定を削除するのは、宇宙の軍事利用を禁じた法的歯止めを取り去ることによって、JAXA がもつ技術などを軍事政策に組み込むのが狙いです。戦争を放棄した憲法をもつ日本が宇宙の軍事利用を拡大して、戦争態勢づくりを強めるのを、私たち平和を望む国民は見過ごすことが出来ません。

 JAXA 法の改悪は、財界・兵器産業界の要求に従ったものです。経団連は昨年5月の「宇宙基本法に基づく宇宙開発利用の推進に向けた提言」で、JAXA 法の「平和目的」規定が宇宙基本法の宇宙利用規定と整合性がとれていないとして、JAXA 法の「改正」を求めています。

 実は、宇宙基本法は、日本の宇宙開発を「非軍事に限る」とした1969年の国会決議を投げ捨てて、軍事利用に道を開いた悪法なのです。軍事衛星打ち上げによって大きな利益を図ろうとする財界の身勝手な要求を許してはなりません。また、JAXA の研究者・技術者を軍事研究に追い立てるという事態も、あってはならないことです。

 わが国が第2次世界大戦の前に歩んだのと同じ道を、いまふたたび歩んでいると危惧するのは、私たちだけでしょうか。

多幡記 

2012年1月30日月曜日

「堺アピール:教育基本条例案を撤回せよ」への中井正弘さんのメッセージ


 「堺の歴史から」と題する中井正弘さんのメッセージが、「堺からのアピール:教育基本条例案を撤回せよ」のブログサイトに掲載されました。中井さんは、日本ペンクラブ会員・『大阪春秋』編集委員で、「堺からのアピール」の発起人のお一人です。

 中井さんは、ご自身の戦時体験から、ほとんどの市民がいつの間にか軍部に協力し戦争を容認して行く状況が、10年ないしはそれ以上前の平和なときから準備されていたことを述べておられます。そして、「いつの世も、もの言えぬ人間、ロボット人間であってよいのでしょうか。そんな人間が増えて喜ぶのは誰でしょうか。儲けさえすればよいとする会社やそれを代弁する政治家や政治グループではないでしょうか。そんな人間を作ろうというのが今度の『教育基本条例案』」と、条例案を厳しく批判しておられます。

 私も先日このブログサイトで「私の戦時体験」の連載を開始して、同様なことを書こうとしており、中井さんのご主張に全く同感です。皆さんもぜひここをクリックしてお読み下さい。

多幡記 

2012年1月29日日曜日

教育基本条例に反対するシンポジウム盛会


 橋下大阪市長の率いる「維新の会」が大阪府議会に提出した教育基本条例案に反対するシンポジウムが昨28日、大阪府守口市で開かれ、会場のロビーにまであふれる800人が参加しました。主催は、東京大学・佐藤学教授ら、条例案に反対する学者・文化人アピールの呼びかけ人で、「大阪の条例案は全国に悪影響をおよぼす」と、大阪入りして訴えました。

 佐藤氏は「教師、子ども、保護者らの信頼関係がなければ教育は成立しない。それを破壊する条例は決して許してはならない」と強調しました。また、「君が代」の起立斉唱の職務命令に違反した東京の教員の停職・減給処分を取り消した最高裁判決にふれて、「条例案の違法性は明らか。たたかって廃案に持ち込もう」と呼びかけました。

 他に前大阪市教育委員会委員長・池田知隆、前京都女子大学教授・前田佐和子、関西学院大学教授・野田正彰、精神科医・香山リカの各氏が意見を述べました。教師や若者ら、条例案に反対する人びとも壇上で発言し、会場には拍手と「そうだ」の声が飛び交いました。映画監督・山田洋次、脚本家・小山内美江子、前大阪市長・平松邦夫各氏からのメッセージの紹介もありました。

 以上は、『しんぶん赤旗』の記事を要約してお知らせしました。

 「堺からのアピール:教育基本条例案を撤回せよ」への賛同人も794人に増加しました。毎日新しい記事を掲載している同アピール事務局のブログを活用して、賛同と賛同人をさらに広げましょう。

2012年1月28日土曜日

私の戦時体験 1:国民学校

多幡達夫 

 私自身のささやかな戦時体験について、何回かにわたって述べたいと思います。私が生まれたのは1935(昭和10)年4月です。日本の歴史をひもといてみますと、この年には「天皇機関説事件」がありました。「天皇機関説」とは、自由主義的な憲法学者・美濃部達吉の学説で、「統治権は国家に属し、天皇は国家統治の主体ではなく、国の最高機関として統治権を行使するもの」として、天皇に絶対的な権限を与えることを否定したものです。

 これは公認の憲法論として、政府要人にも支持されていたのですが、軍部・右翼が機関説撲滅同盟を作って、政友会という政党も巻き込み、政府に天皇機関説否定を迫りました。その結果、政府は二回にわたって「国体明徴の声明」を出し、美濃部は公職から追われることになりました。そして、日本の思想・教育界は教育勅語と「天壌無窮*」の神話に基づく国体観を基準とする超国家主義に支配されて行くのです**。

* 「天壌無窮」とは、天地とともにきわまりなく、永遠に続くという意味で、天皇の神格化に使われた言葉です。
** 以上の歴史は加藤文三・他『日本歴史 下』改訂版(新日本新書, 1978)を参考にしました。


 私が生まれたのは石川県の金沢市でした。父は旧制中学校の教員でしたが、私が四、五歳の頃、病気がちになり、通勤その他において勤務の比較的楽な、同じ県内の七尾市にあった中学校へ転勤させて貰いました。したがって、私は1942年に七尾市で小学校に入学しました。それは、太平洋戦争開始の翌年です。前年に発布・施行された「国民学校令」に基づいて、小学校でなく、国民学校と呼ばれるようになっていました。

 校門を入ると、天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めた奉安殿という建物があり、まず、その前で最敬礼をしてから校舎に入らなければなりませんでした。祝祭日に学校で行われる儀式では、校長が教育勅語を「奉読」(朗読)することが小学校令で決められたいました。そこで、私たちは祝祭日のたびに、講堂に整列して、「直立不動の姿勢」で教育勅語に聞き入りました。

 体育の時間だけでなく、講堂に集まるときでも、児童は軍隊式の号令のもとに、整然と行動しなければなりませんでした。講堂での儀式や朝礼の際に、児童は学級ごとに男女各々が縦一列になって並びます。男子の列の先頭には級長が、女子の列の前には女子の副級長が立って、まず後ろを向き(このときにも軍隊式の「回れ右」の方式で向きを変えなければなりません)、それぞれの列の児童の間隔、列の真っすぐさを、「気をつけ!」「前へならえ!」などの号令で正します。級長や副級長は、途中の誰かのところで列が歪んでいるのを見つけると、その児童の名を呼んで注意します。

 1年生の1学期には、級長、副級長がまだ決まっていませんでしたから、学級担任がその役をしていたと思います。私は1年の2学期に早速担任から級長に任命され、講堂でそうした号令を掛けなければなりませんでしたが、それはやや苦手でした。その頃から私は近視になりかけていたので、列の歪みが後ろの方で起こっているのを見ても、注意すべき児童が誰か分かり難かったというのが原因だったと思います。

 運動会(いまの体育祭のこと)のときにも、軍隊式の行進をしました。運動場の正面中央の指揮台の上には校長が立っていたのでしょうか。その前を通るときに、級長は「頭(かしら)右!」の号令をかけて、後続の同級児童全員の頭を指揮台の方に向かせ、壇上に敬意を表させました。

(つづく)

2012年1月27日金曜日

「堺アピール:教育基本条例案撤回せよ」ブログ・アクセス3万回超える


 「堺アピール:教育基本条例案撤回せよ」事務局からのメールによれば、同事務局作成のブログへのアクセスが、昨年11月7日の開設から80日あまりの昨1月26日までに、3万回を超えたとのことです。これは、条例案に対する関心の高さを物語っています。最新のブログ記事は「橋下市長『ここは、文科省と勝負になる』条例案」と題する読売新聞記事を紹介しています。

 事務局では、「明日は守口で教育シンポ(概要既報)です。引き続きブログを活用して、アピールへの賛同と賛同人を広げましょう」と呼びかけています。

(多幡記)

2012年1月26日木曜日

根っこ



浅井千代子   

でっかい根っこ
そこからチョロッと生えた
若い芽が
失言?暴言?をくり返すチョロッと
あれは
失言でも暴言でもなんでもない
本音中の本音
そのでっかい根っこは永田町にあるんだョ
その根っこには
更にでっかいでっかい日本という根っこが
そのでっかいでっかい根っこは
更に更にでっかいでっかいでっかい根っこに
がっちりとつながれているのさ
アメリカという——
沖縄を救うには
その根っこをたたなきゃあ——
さて!どうする?

(本会世話人。写真は多幡による)

2012年1月25日水曜日

「九条の会」メルマガ第133号:情勢を学びあい運動を強めましょう


 表記の号が2012年1月25日付けで発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。主な内容は次の通りです。
  • 事務局からのお知らせ
    • 「第4回九条の会全国交流集会報告集」およびDVD「第4回九条の会全国交流集会 全体会の記録 」刊行
    • ブックレット「加藤周一が語る」:重版できました
    • 「九条の会」リーフレットは、いま2種類
    • 「未来世代にのこすもの 私たちは何を『決意』したか:九条の会講演会」のDVD、好評発売中
    • 憲法セミナーブックレット「核のない平和な世界と憲法9条」
     など
  • 各地から:全国の草の根にはこんなに多彩な活動が
    • 東郷9条の会(愛知県東郷町)
    • 小岩九条の会(東京都江戸川区)
    • 9条の会 ところざわ(埼玉県所沢市)
    • 花月九条の会(神奈川県横浜市)
    • 九条の会 徳島(徳島県)
     など
  • 編集後記:24日から通常国会が始まりました(以下に引用)
 両院憲法審査会の議論も目が離せません。自民党は1月22日の党大会で、改憲の動きをいっそう強めるために同党の「新憲法草案」(2005年発表)を、4月28日のサンフランシスコ条約発効60周年までに改定することを決めました。この際、しっかりと情勢を学びあいながら私たちの運動を強めたいものです。

2012年1月24日火曜日

朝日紙に大阪府基本条例案を批判する二つの記事


 2012年1月24日付け朝日新聞は第10面「記者有論」欄に「教育委員会 直接統治は行き過ぎだ」(社会部・山上浩二郎記者)、また、第34面に「まず委員長職を常勤に」(大阪府教育委員長・生野照子氏)の記事を掲載しました。

 前者は、「現場まで首長が直接統治するのは行き過ぎだ。修正論議もあるが、まずは条例案を撤回し、真に多様な民意が反映出来る教育制度を考えよう」と主張しています。後者も「万一政治が暴走したときの歯止めはやはり必要だ。問題があるから土台から壊すのではなく、改良の努力を続けることこそ必要だと思う」と述べています。

 「堺アピール:教育基本条例案を撤回せよ」のブログページには、「『朝日の良識』の発揮でしょうか? ただあの男にそれが通じるかどうかは大いに疑問です」としながら、両記事の全文を、切り抜きのコピーで紹介してあります。

 同上のブログサイトの別記事で紹介してある「教育は誰のものか:マンガで知る橋下教育基本条例案」も、基本条例案反対の運動に大いに役立ちます。活用しましょう。

(多幡記)

2012年1月23日月曜日

「1/28 教育基本条例に反対するシンポジウム」のお知らせ


 アピール「大阪教育基本条例案に反対します」(本ブログ2011年11月19日付け既報)のよびかけ人10氏(東京大学教授・佐藤学、小森陽一両氏ほか)が、下記の通り、1月28日に大阪でシンポジウムを開催することになりました。アピールの賛同も100人を越えて広がっています。お近くの方はぜひ、お越しください。

◆名称:教育基本条例に反対するシンポジウム
 ――ともに考えよう 子どもたちの未来と大阪の教育
◆主催:「大阪教育基本条例反対アピール」よびかけ人
◆日時:1月28日(土)午後1時30分~5時
◆場所:守口文化センター「エナジーホール
◆登壇者:
  • 池田知隆(前大阪市教育委員会委員長、元毎日新聞論説委員)
  • 香山リカ(精神科医)
  • 佐藤学(教育学者、東京大学教授、前日本教育学)
  • 野田正彰(精神病理学者、関西学院大学教授)
  • 前田佐和子(地球物理学者、前京都女子大学教授)
・参考:「大阪教育基本条例反対アピール運動」のブログはこちら

2012年1月22日日曜日

巡りくる春を待つ



浅井千代子  

大阪知事市長選挙が終わった
と間も無く両当選者のニュースが流れた
横山ノックが大量の票を掻き集め
楽々と知事の座についた時もそうだったが
今回維新の会の圧勝は
それ以上に深刻で
大阪に幻滅を感じた
維新という地域政党への
不信感と不気味さ
何か弱者が追いつめられてゆく
悲しい予兆のような気がする
その上反対派であった
複数の既成政党が早々に
餌にたかるハエのようにすり寄ってゆく節操のなさには
 憤りさえ覚える

期間中
じっとしていられない思いで
知人兄弟達に支持している候補者のビラを
送るっていたので挨拶かたがたペンをとる
妹にはついペンが滑った
—自分は信州人でよかった?—
そして慌てて書き添えた
—あんた大阪生まれやったね!失礼!—
怒ったのかその後妹からの反応はない
生粋の大阪人である夫はというと
わたしの言動を
例の独りつぶやきと承知してか
机に向って黙したまま

十二月 初冬の庭
育んでいる
ミヤマシャクナゲの蕾と向き合う
凛として健気
確かな生命の営みの前
思わず心がほぐれる
空気の澄んだ
冷たい早朝であった

(本会世話人。詩は同人誌『異郷』への投稿原稿で、同誌2012年1月号に掲載された。挿絵は多幡)

2012年1月21日土曜日

「九条カフェ:1月29日(日)」のお知らせ


九条カフェ:武器輸出三原則の見直しについて

【日 時】2012年1月29日(日)13:00~17:30
【講演者】 本田浩邦氏(九条科学者の会事務局長・
 獨協大学)
【テーマ】「武器輸出三原則の見直しについて:
 世界の武器市場の動向との関連で」
【場 所】 東京都文京区内「アカデミー茗台」
 (アクセスマップはこちら
【参加費】 無料。資料準備の都合上、事前にメール連絡
 (アドレス:newsletterアットマーク9-jo-kagaku.jp)
 をお願いします
【主 催】 九条科学者の会(ホームページはこちら

2012年1月20日金曜日

「2.11 大阪府民のつどい」ご案内



「建国記念の日」不承認 2.11 大阪府民のつどい

 戦前、「紀元節」は初代神武天皇即位の日とする天皇制国家の重要な祝祭日でした。戦後、「紀元節」の復活をねらう政府は1966年に「紀元節の日」であった2月11日を「建国記念の日」と制定しました。「建国記念の日」は国民主権を基本とする憲法の民主主義的原則に反し、歴史の真実を歪めるものです。

桂 敬一(元東京大学新聞研究所教授・
 ジャーナリズム論):
橋下・維新の会「圧勝」はどこに向かうか
——国家主義の台頭を許すメディアの責任を問う——

老楽亭ぼちぼち:
創作落語「教育基本条例を斬る」

日 時:2012年2月11日(土・休日)午後1時30分開会(1時開場)
場 所:府教育会館 たかつガーデン8階

TEL 06-6768-3911
近鉄上本町駅から徒歩約3分
地下鉄「谷町九丁目」駅から徒歩約7分

参加費:500円(高校生以下無料)

主 催:「建国記念の日」反対大阪連絡会議
事務局団体:大阪教職員組合・大阪歴史学会・
 大阪歴史科学協議会・大阪歴史教育者協議会・
 関西マスコミ文化情報労組会議・大阪民衆史研究会
連絡先:大阪教職員組合(TEL 06-6768-2330)

2012年1月18日水曜日

あなたも「堺からのアピール」の賛同人になって下さい




 『【堺からのアピール】子どもたちを教育破壊から守るために~堺から呼びかけます:大阪維新の会は「教育基本条例案」を白紙撤回せよ』が発表されました(2011年11月4日、2012年1月6日一部修正)。

 発起人は、小股憲明(大阪府立大学名誉教授・教育学)、中井正弘(日本ペンクラブ会員、『大阪春秋』編集委員)、平良仁志(堺キリスト教会牧師 )、松永直子(与謝野晶子研究家)の各氏です。

 アピールへの賛同人は、2012年1月18日現在で約771名です。同アピール事務局(そのブログ・サイトはこちら)では、当面1000名を目指し、もっと大きく、幅広く広げたいと願っています。

 あなたも賛同人になりませんか。アピールの全文はこちら、賛同申し込みの要領はこちらでご覧になれます。メールでの申し込みも可能になっています。

(多幡記)

2012年1月17日火曜日

お知らせ:浅井さんの詩「サザンカ」、残りを追加



 さる1月5日付けで掲載した浅井千代子さんの詩「サザンカ」は、本会ニュース『憲法九条だより』では、編集の都合で「次号につづく」としていましたが、その後、作者から本会世話人等に全編掲載の同人誌『異郷』2012年1月号を貰いましたので、ブログ上では最終節を追加しました。表題も同人誌掲載の「寒風に咲くサザンカ」に合わせました。

「寒風に咲くサザンカ」を読む

2012年1月15日日曜日

がんばっています、このブログ


 この 福泉・鳳地域「憲法9条の会」ブログは、本会3周年を記念する集会「守り広げよう憲法9条」(2009年11月1日に開催)を宣伝することを最初の目的として、2009年10月5日にたちあげました。(それより古い日付の記事も、記録として後日追加しています。)しかし、このブログのプロバイダー、ブロッガー社はアメリカにあるので、国内の人たちによるアクセスがあまり期待出来ないように思われ、従来、こちらは第2サイトとして、第1サイトを別に設けていました。

 ブロッガー社は、グーグル社と提携したこともあって、その後、国内でもかなり知られるようになって来ました。そこで、昨2011年の2月から、こちらを第1サイトに変更し、記事を次第に多く書くように努めて来ました。その結果、昨年1年間の本ブログ・サイトへの月毎のアクセス数が、下図のように増加する傾向を示しました。これからもよい記事の掲載に努めますので、ますますのご愛読をお願いいたします。(多幡記)


2010年12月から2011年12月までの各月の本ブログ・サイトへのアクセス数。黄色はホームへの訪問数、赤色はページ閲覧数。Sitemeter 社の統計による。

2012年1月14日土曜日

日野原さん(100歳)の決意


 聖路加国際病院理事長の日野原さんは、自らの新世紀(101歳)への約束、決意(コミットメント)をすることが自分に与えられた使命だとして、具体的には、平和な世界を残すことを挙げ、次のように述べています[2012年1月14日付け朝日紙 e5面、「日野原新世紀」に向けて(下)]。
 私は、平和の礎を築くために、戦争放棄を明文化した日本の「憲法9条」は大きな役割を担うと考えています。もし今後、憲法9条改正が国会で可決されたとしても、国民投票で国民の過半数が NO と言えば改正はできません。確固たる平和への意識を持った若い国民が育つことは、私の悲願です。

 沖縄の普天間基地問題についての日野原さんの考えは、「沖縄住民にこの先10年の猶予期間をもらい、その間に在日米軍が撤退し、自衛隊も武器の使用を放棄する」というものです。「在日米軍が撤退」以下はまことに結構です。ただし、「10年の猶予期間」は、長寿に恵まれた日野原さんにとっては長くはない期間かも知れませんが、これまでも長期にわたってガマンを続けて来た沖縄住民にとっていかがなものでしょうか。

 ともあれ、憲法9条を守り活かす点では、日野原さんは心強い味方です。

多幡記

2012年1月13日金曜日

「終末時計」が1分進む


 核戦争による地球滅亡までの残り時間を示す「終末時計」が、さる1月10日、1分進められ、残り5分となりました。時計を管理しているのはアメリカの科学誌 Bulletin of the Atomic Scientists です。

 終末時計は2010年1月、核軍縮機運の高まりや地球温暖化対策をめぐる国際協調の動きが評価されて、1分もどされ、人類の滅亡を表す「深夜」まで残り6分になっていました。しかし、その後、世界の指導者たちが地球規模の脅威に対処する動きを続けていないか覆している傾向にあるとして、今回の変更となったものです。

 声明文は福島第一原発の事故にふれて、原子炉の安全性の問題が検討すべき重要な課題になった、とも述べています。

 私たちは核兵器と原発の恐怖のない世界の実現に向けて、いっそう努めなければなりません。

 発表の原文はこちらでご覧になれます:Doomsday Clock moves to five minutes to midnight. Bulletin of the Atomic Scientists.

情報短信 その2:アフリカにも9条の碑がある、など


アフリカにも9条の碑がある

 本会の「5周年のつどい」での伊藤千尋さんのお話は大好評でした。「世界から基地が消えている。これが常識」「アフリカにも9条の碑がある*。世界中が9条の精神で満ちる日が来るかも」など、たくさんの元気をいただきました。感謝です。

 * アフリカ沖のスペイン領カナリア諸島の島に、「ヒロシマ・ナガサキ広場」があり、畳1枚ぐらいの大きさの白いタイルに青い文字で、憲法9条の条文がスペイン語で焼き付けてあるということです。伊藤さんの著書『活憲の時代:コスタリカから9条へ』に詳しく紹介されています。

岡島傳兵衛さん

 『憲法九条だより』15号で戦争体験を語っていただいた岡島傳兵衛さんが、さる12月22日、満100歳で生涯を閉じられました。ご家族の皆さまに謹んでお悔やみ申し上げますとともに、岡島さんのご冥福をお祈りいたします。

(『憲法九条だより』16号、2012年1月1日から)


本会世話人・浅井さん自製の「9条年賀状」2012年版

2012年1月11日水曜日

「5周年のつどい」への感想


 本会の「5周年のつどい」は、2011年10月30日、堺市・西文化会館で102名の参加を得て開催されました(既報「5周年の集い成功!」「福泉・鳳地域『憲法9条の会』5周年のつどいの情景」参照)。朝日新聞記者・伊藤千尋さんのお話は参加者の眼と心をくぎ付けにしました。「野のちから」の武南千賀子さんから次のような感想を頂きました。

元気になりたければ、伊藤千尋さんの話を聞こう

 地球のそこかしこにいる、普通の人びとの「すごーい闘い」をさらーと話してくださいます。「すてき!」と、目を白黒しているうちに、講演はおしまいになりましたが、後味は格別です。「日本の憲法九条が世界中でどんなに輝いているか」、「平和を守る運動はたのしくなくちゃ」など。好奇心と、探究心と、感性の豊かさをもって、どんな時もわくわくしながら取材する伊藤千尋さん。「民主主義って一人ひとりが自立すること」、当たり前のこの言葉が、いつにも増して心に響きました。

(『憲法九条だより』16号、2012年1月1日から)

本会世話人・浅井さんの自製「9条年賀状」
(2011年版)

2012年1月9日月曜日

戦争体験を語る:「内地の人には、申し訳ないような話です」——野村厚夫さん


鳳東町・野村厚夫さん

獣医が夢

 私は少年兵として戦地に行きましたが、怖い・苦しい体験話はありません。敵の飛行機も船も兵隊も見たことはありません。食べ物も着るものも不自由したことはありません。そんなんでお役にたてるかどうか不安ですが、[体験を聞かせて欲しいとの]お話をもらってから思い出してはメモをしてきました。

 私は大正15年4月3日、桜島のふもと、鹿児島県垂水市8人兄弟の5番目で生まれました。経済的に恵まれ、何の苦労もなくのびのびと育ちました。特に楽しみなのが家で飼っていた牛や馬や豚や鶏を世話することでした。裸馬に乗って駆け回ることも大好きでした。時々さっそうと馬に乗ってやってくる獣医さんに憧れていました。

 尋常高等小学校を卒業し、親や先生の勧めで技術院養成所に入りましたが、獣医になる夢が捨てきれず、そこをやめて単身で支那へ渡り、南京ちかくの鎮江にある陸軍獣医務下士官候補者隊に入隊しました。看護婦のような手伝い仕事で、ここにいても獣医にはなれないと分かり、1年程してから少年兵として志願しました。

恵まれた軍隊生活

 このころは戦況も悪く、出征を送り出すばかりの自分が恥ずかしい気持ちになっていたことがありました。志願して出征することは死を覚悟することでした。親に相談すると「好きにせい」と、反対はありませんでした。

 昭和20年2月に入隊し、北朝鮮、会寧にある陸軍14飛行教育隊に配属されました。近くを豆満江が流れており、そこでやらされたことは、毎日のようにツルハシとスコップで壕掘りするばかりでした。飛行場はありましたが、飛行機はなく、通信・整備の勉強を雨の日には若干しました。飛行機に触れたのは2~3回だけでした。

 ここの中隊長はお寺の坊さんと聞きましたが、とってもよい人でした。隊内でビンタとかいじめもありませんでした。ただ、戦陣訓の暗唱が命じられていて、覚えていない人は叩かれているところを見かけました。帰ってから他の人に聞いて分かったのですが、私の軍隊生活は本当に恵まれていたと思います。

勝てるとは思えない

 教育が終わり、それぞれ各地に配属され、私は隣にあった飛行隊になりました。ここも飛行機はありませんでした。飛行場にムシロを飛行機の形におき、上からペンキを塗り日の丸を描き、飛行機があるかのように偽装し、近くにタコツボを掘って機関銃を据え「敵が来たら反撃するように!」言われましたが、敵が来たことはありませんでした。こんな子どもじみたことをしているようでは、この戦争を勝てるとは思えませんでした。

 8月9日、ソ連が参戦し、清津では艦砲射撃がはじまったと聞き、部隊ごと逃げることがうわさされ始めました。8月13日、会寧駅から食料など何でも積んで、70~80人の部隊ごと貨車で移動を始めました。日本が負けることを予想しての行動だと思いました。汽車はソ連の飛行機に見つからないようにと、夜間だけ走りました。敗戦前日の8月14日夜、同乗していた報道関係の人から、「日本は負けた」と聞きました。部隊長は「でたらめだ!」と怒っていました。

少しでも日本に近い方へ

 8月15日朝、朝鮮人がわれわれの貨車に向かって「朝鮮独立万歳、独立万歳!」と叫びながら、貨車にぶら下がったり、石を投げたりしてきました。汽車は引き込み線で平城飛行場の兵舎に入りました。飛行機で逃げる話もありましたが、ソ連が南下しており、上空にはソ連機が飛んでいる連絡があり、少しでも日本に近い方へ逃げようと、朝鮮人の運転手と交渉し同じ貨車で南下しました。

 8月16日朝早くに大田駅まで逃げてきました。ここで銃や武器を返納させられましたが、特に危険を感じることはありませんでした。駅近くの女学校に入り教室に宿泊し、10月まで1ヵ月半滞在しました。ここでの生活は、日本でご苦労されていた人たちには申し訳ないような、贅沢に過ごした期間でした。貨車に積み込んできた物資で、さんざん食べ放題、飲み放題、演芸会や運動会や相撲大会などもあり、楽しくブラブラしていました。町へ出かけるのも許可されていました。どうしてこんなにさせてくれたのか、今考えても不思議です。

 10月12日に女学校を出て、一般の汽車で釜山に向かいました。そのとき布団袋を半分に切り、糸と針を使ってリュックを作り、毛布や毛糸の肌着やお米、砂糖は枕カバーに詰め込んで、持てるだけもって汽車に乗りました。こんなことができたのは私たちの部隊くらいだと思います。

戦争の犠牲となった少年たち

 先の戦争は間違っていたと思います。私が考えても勝てないことは分かったのに、戦争を始めて多くの国民が犠牲になりました。戦後、梅田の地下に靴磨きの浮浪児がたくさんいました。国が始めた戦争の犠牲となったこの少年たちを、なぜ国は面倒見てやらんのだろうと、怒りのようなものを感じたことがありました。

 昭和18年と19年に長兄と次兄が戦死しました。長兄が招集されたのは35歳で、結婚して子供も2人いました。農業指導員で、ミカン農家に大変信頼され、社会的にも期待されていました。父親もこの時だけは涙を流して悲しみ、見ていて辛いほどでした。

 戦争は絶対にしてはいかんです。犠牲になるのは弱い国民です。しかし、他の国に侵略されたくないから軍備は国を守るために必要だと思います。戦争させないためにも必要だと思っています。

(インタビュー2011年12月8日、小倉・荒川)
(『憲法九条だより』16号、2012年1月1日から)

2012年1月7日土曜日

情報短信 その1:改憲へ危険な動きが活発化、など


絵手紙 上・井崎孝子

改憲へ危険な動きが活発化

 3・11大震災後静かだった改憲の動きが、暮れ頃から新たな段階を狙っています。
  • 11月、衆院憲法審査会の開催。同じころ、自民、民主、公明、国民新、みんな、立ちあがれの各党改憲派議員で改憲推進会議開催。
  • 参院でも2007年8月の設置以来初めて、憲法審査会の開催を決定。自民党では起草委員会を開催し、今年4月をめどに改憲案の発表を決定。
  • さらに、民主党は「審査会委員の選定に着手している。次国会の冒頭、早い段階で対応したい」。
 委員名簿提出は、憲法審査会の正式始動を意味し、改憲策動が新たな段階に入ることにつながります。

ちょっといい話

 2011年10月19日の九条宣伝・署名活動に鳳北町8丁を訪問しました。終わって鳳北町公園で仲間を待っていると、七十代ぐらいの女性が通りかかりました。「こんにちは、私たちは日本が二度と戦争を起こさないように憲法九条を守る署名活動をしています」と声をかけると、「署名は夫の関係でダメだけど、5周年の券は買いますよ、頑張ってくださいね」といってくれました。そしてビール2缶を差し入れて貰いました。こんなことは初めてで、とてもうれしく、元気が出ました。もちろんビールも美味しかった!(K・U)

(『憲法九条だより』第16号、2012年1月1日から)

2012年1月5日木曜日

寒風に咲くサザンカ

鳳東町・浅井千代子


―原告敗訴―
その瞬間
廷内の空気が沈滞した
わたしは傍聴席の椅子から
暫く立ち上がれなかった
心の中を冷たい風が
吹き抜けた
二〇一一年十二月七日
大阪空襲訴訟
提訴から三年
その間猛暑の夏厳寒の冬
大阪北 南まであちこちの街頭に立ち
弁護士 原告 支える会
声をあげての訴え 署名活動度々
手弁当の戦争を知らない若い弁護士さん達の
昼夜分たぬ資料研究訴状作成等
数限りない努力の日々が
一瞬にして崩れた

これまで
口頭弁論十回
原告二十三名中十二名
専門家証人二名の尋問が行われた
戦後一切の救済なく
六十六年間の苦しみ背に
年老いた身を運んで
とつとつと語る
戦争障害者 被災者の方の(内二名死去)
涙の訴えは今も耳に残っている
ー国に救済の立法義務はないー
心臓も凍る冷たい言葉で
訴えは退けられた

あの激戦の地沖縄に
無用とも思う戦車を走らせ
最新の自衛隊戦闘機が空を飛ぶ
無制限に戦費をつぎ込みながら
この国は戦争犠牲者を見捨てる
許せない
明日十二月八日は
七十年目のアジア太平洋戦争開戦の日
裁判所からの帰り道
寒風に咲くサザンカが
今日はとても寂しい

(『憲法九条だより』第16号、2012年1月1日から。最終節は編集の都合で次号回しになっていましたが、ここでは追加して、全編を掲載ました。)

2012年1月3日火曜日

大阪空襲訴訟 敗訴


空襲被害者置き去り許せぬ!

原告団代表世話人 安野輝子


 私たち、大阪大空襲などの被災者と遺族ら計23人が、国を相手に謝罪と賠償を求めた訴訟を起こしたのは2008年12月8日のことだ。提訴から3年。太平洋戦争開戦70年を控えた7日、判決を迎えた。ほとんど手弁当の弁護士の先生方、多くの支援者のお陰でたどりついたこの日。敗訴に無念がこみ上げた。空襲被害を含む「戦時災害援護法案」は14回、国会に提出されたが、ことごとく廃案。「もう裁判しかない」と、人権保障の砦である裁判所に私たちは訴えた。空襲で片足を奪われ、尊厳を踏みにじられて66年生きてきた心の叫びを私も訴えた。

 しかし判決は「国会の広い裁量で講じられた軍人らへの補償との差が明らかに不合理とは言えない」とした。旧軍人・軍属らには50兆円もの補償・援護がなされた一方、民間の空襲被災者にはない。これは明らかな不合理ではないか。米軍の空襲に際し、国は「防空法」で市民に消火義務を課して退避を禁じ被害を拡大させた。それでも私たちが背負ってきた厳然たる事実は自己責任なのか。洞察力を持って頂きたかった。判決後、一人の青年が言った。「戦争は起きる前に必ず止めないといけない。誰も責任をとらないのだから。」

 (安野さんは鳳南町在住。文は判決直後、朝日新聞に投稿のもの。同紙に掲載された。『憲法九条だより』第16号、2012年1月1日から)

2012年1月1日日曜日

2012年、九条を守り活かす運動に昇竜の勢いを!


年頭に当たっての本会代表の言葉
 

 昨年のわが国は、東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故で、太平洋戦争以来といわれる大きな打撃を受けました。野田首相は12月16日、原子炉が依然として予断を許さない状況にある中、事故の「収束」を宣言しました。住民目線での復興が大切なときに、被災者の心を逆なでするばかりの、形式的な宣言を出したことは、復興と原発収束へ全力をあげるとして昨年9月に発足した野田内閣が、早くも馬脚を現したものといえるでしょう。

 私たちが政府の姿勢に疑問をもつのは、それだけではありません。昨秋から、これが平和主義を一つの大きな柱とする憲法をもつわが国の出来事かと疑われるようなニュースが続いています。武器輸出三原則を緩和する方向での見直し、実質的な偵察衛星の打ち上げ、1機100億円という次期戦闘機の選定などがその例です。更に、政府は沖縄住民の意思に反して、米軍普天間基地の辺野古への「移設」にこだわり続けています。野田首相はまた、国内の多くの反対を押し切って、環太平洋経済連携協定 (TPP) 交渉に参加を表明し、アメリカのいいなりになる姿勢を裏書きしました。

 国会では昨年11月から、衆参両院の憲法審査会が動き出しました。改憲派の委員から、「非常事態条項」の導入、自衛隊の明記、改憲のハードルを引き下げるための96条改憲、新しい人権条項導入などの発言が相次いで出されています。改憲派は憲法9条を標的としながらも、現行憲法へのいろいろな批判を行って、改憲のための世論づくりをしようとしているものと思われます。辰(竜)年の今年、私たちは9条を守り活かす運動の拡大に、昇竜の勢いをもってのぞみ、9条改悪のたくらみを打ち砕こうではありませんか。

多幡 達夫
(『憲法九条だより』第16号、2012年1月1日)