2012年10月31日水曜日

ニュース「国連が対日人権審査へ:慰安婦、死刑議題に」


 国連人権理事会は10月31日、全ての国連加盟国を対象に人権に関する政策や状況を審査する「普遍的審査」制度に基づく対日作業部会を開きます。各国は日本に対し、死刑制度に対する見解を求めているほか、旧日本軍の従軍慰安婦問題についても、韓国などから提起されるとみられます。ジュネーブ共同のニュースを東京新聞などが伝えています。詳細はこちらをご覧下さい。

 人権問題について、国際的に恥ずかしいような発言を繰り返す政治家を選挙の際に選ばないよう、国民は注意しなければなりません。

多幡記

2012年10月29日月曜日

10.28 本会主催の学習会:写真入り報告


 昨10月28日、堺市立西文化会館セミナー室で開催された本会主催の学習会「戦争と原発—アフガン、シリア、福島の現場から」の模様を、上田孝さん撮影の写真を交えてお知らせします。

 集会は本会世話人・荒川加代子さんの司会で午後2時に始まりました。

 本会代表・多幡達夫が開会の挨拶をしました(挨拶の内容は昨日付けの記事の末尾にあります)。上の写真には、参加者たちが会場一杯に集まった様子も見られます。

 今上さん親子のアコーディオンとリードで、参加者一同が、杉山政美・作詞、小林亜星・作曲の「野に咲く花のように」と小森香子・作詞、大西進・作曲の「青い空は」を元気に歌いました。

 本会世話人・井崎孝子さんが、同世話人・浅井千代子さんの憲法9条の大切さを訴える詩「未来は」を朗読しました。

 フリージャーナリスト・西谷文和さんの、映像を使ってのお話「戦争と原発—アフガン、シリア、福島の現場から」を聞きました。(お話の内容は昨日付けの記事に簡単に記しました。)上の写真は、西谷文和さんがお茶のペットボトルをかざして、「劣化ウラン弾の大きさはこれくらい」と説明しているところです。

 西谷さんのお話のあと、参加者たちから盛んな質問もありました。

 本会事務局長・上田規美子さんが西谷さんへのお礼と学習会のまとめを述べ、「きょう学んだことをご家族やご近所の方々にも伝えて、憲法9条を守る意思を広げて行きましょう」との行動提起をしました。

 集会後、西谷さん持参の著書やCDに人気が集まり、多くの参加者たちが求めました。

 皆さんのご協力でこの学習会が成功したことを感謝いたします。

多幡記

2012年10月28日日曜日

本会学習会「戦争と原発—アフガン、シリア、福島の現場から」盛会


 本日午後、堺市立西文化会館で開催した本会主催の学習会は、会場のセミナールーム一杯の参加者があり、盛会でした。

 お話をお願いしたフリージャーナリスト西谷文和さんの演題は表記の通りでしたが、実際に話された内容には、もう一つ「トオルちゃん」が加わりました。これは橋下大阪市長の率いる維新の会がいかに危険なものかという話で、戦争、原発、「トオルちゃん」に共通する危険は、富裕層とマスコミが一体となってのPRであることを指摘されました。

 西谷さんが先月取材のため訪問したシリアで内線のため急増している難民たちや、それよりも先に訪問したアフガンで劣化ウラン弾による放射線被ばくのため高い割合で生まれている障害児たちの、生々しい映像も見せて貰い、参加者一同、戦争とその背後で金儲けを企んでいる人たちの恐ろしさをひしひしと感じました。

 いずれ、写真を交えた報告を掲載する予定ですが、以下にとりあえず、本会代表・多幡の開会のあいさつを掲載します。

多幡記

 皆さん、こんにちは。心配された雨も晴れ上がり、幸いでした。
私たちの福泉・鳳地域「憲法9条の会」は、2006年に発足し、日本は国際紛争の解決に武力を使わないとしている憲法9条を守り活かそうという活動を続けています。その一環として、毎年1回、講演会あるいは学習会を行なってきました。きょうは、今年のそういう催しとして、西谷文彦さんのお話を中心に開催することになりました。
 領土問題が浮かび上がってきたこともあって、憲法を変えようという動きが強まっています。また、憲法の解釈を変えて、集団的自衛権の行使を認めようという動きもあります。このような情勢の中で、私たちは、どんなことがあっても、戦争を起こしたり、アメリカが起こす戦争に参加したりするような事態を招いてはいけないとの思いで運動を続けています。
 ことしの『防衛白書』は、近隣の国々が軍事力を増強していることを理由に、米軍と自衛隊の「動的防衛協力」という、憲法9条の精神に反する方針について盛んに述べて、「軍事対抗主義」をあらわにしています。近隣の国々が軍事力を増強しているのは、アメリカが核兵器を持っている上に、他の国に対する軍事的干渉をいとわない国であることへの警戒のためなのです。それにもかかわらず、日本がアメリカとの軍事協力を深めれば、日本の安全にとって全く逆効果でしかありません。
 このように見てきますと、日米安全保障条約、略称「安保」があるために、日本は不必要な戦争の準備をしていると思われてなりません。そして、沖縄の米軍基地問題、危険きわまりない輸送機オスプレイの配備、米兵による暴行事件などなど、安保のもたらす弊害が際立ってきているこの頃です。
 また、安保を理由に、アメリカは日本の原発政策にも口出しをしています。昨年の原発事故によって、国民の原発ゼロを願う声が大いに高まりました。平和とは戦争のないことだけでなく、あらゆる危険のないことでもあります。この意味で、憲法9条を守ることは、速やかな原発ゼロを願うことに通じます。
 9条の会の呼びかけ人の一人、大江健三郎さんは、野田政権が一旦発表した 2030年代に原発ゼロをめざす政策を、アメリカと財界の圧力に押されて、あいまいにしてしまったことに対し、この国に民主主義があるのかと批判しています。そして、こういう時に私たちに出来ることは、私たち市民の意思を表明し続けることしかない、と述べています。
 この学習会が、平和を願う私たちの意思を大きく広げて行く一助となれば幸いです。
 以上、開会の挨拶といたします。

2012年10月26日金曜日

「九条の会」メルマガ第151号:地域の九条の会がつくった「平和ガイドブック」


 表記の号が2012年10月25日付けで発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。なお、メルマガ読者登録はこちらでできます。

 以下に編集後記を引用して紹介します。

編集後記:
地域の九条の会がつくった「平和ガイドブック」

 講演で招かれて東京・大田九条の会結成7周年記念集会に行ってきた。そこで紹介されたのが、「未来につたえる大田の平和」というガイドブック。東京の大田区という地域に絞って、九条の会がアジア太平洋戦争の住民の経験を克明に調査し、発掘した貴重な記録集。「未来に平和の尊さをつたえるために、九条の会の運動にもってこいの一冊です」と銘打っている。地域の九条の会でこのような活動もできるんだ、と目を開かされる思いがした。A5判104ページ、頒価500円、連絡先03-3736-1141(中川さん)。

2012年10月25日木曜日

「九条の会ニュース」164号発行:9/29「九条の会講演会」講演要旨掲載


 表記のニュースが10月16日付けで発行されました。9月29日に東京で開催された「九条の会講演会」については本ブログサイトでもこちらこちらで簡単に紹介ましたが、同ニュースには、その講演会で呼びかけ人から出された、草の根からの世論をもりあげることの重要性などについての『「九条の会」からの訴え』や、大江健三郎さん、奥平康弘さん、澤地久枝さんの講演のかなり詳しい要旨を含めて、報告されています。こちらでご覧になれます。

「あの日の授業-新しい憲法のはなし-」


 先日、堺市・西区で開催された「歌声喫茶 IN ウェスティ」のレンタル歌集の1冊『うたの世界 2010年版』(ともしび, 2009)を見ていて「あの日の授業-新しい憲法のはなし-」という歌を見つけました。「語り」の部分は1947年、当時の文部省が発行し、52年3月まで使われた教科書『新しい憲法のはなし』中の「六 戦争の放棄」の章から引用されています。

 この歌の歌詞と楽譜を掲載しているウェブページ『うた新「歌の小箱」17』には、フォーク・シンガー笠木透さんが中東湾岸戦争の翌年の1992年にこの歌詞を創作したこと、それは国連のPKO(Peace Keeping Operation)の名のもとに自衛隊海外派兵が立法化されたときで、コンサートの新曲を考えていた笠木さんはこの教科書と、それを教えた先生を思い出したということ、そして、「戦争に負けて突然 "民主主義" "自由" "基本的人権" といった言葉が先生の口から発せられ、めんくらった」、「よく理解はできなかったが、先生が一生懸命だったことだけは覚えている」と述懐していることが記されています。

 ユーチューブに掲載されているこの歌の演奏をお聞き下さい。下に歌詞も掲載しておきます。

多幡記



あの日の授業-新しい憲法のはなし-
笠木 透 作詞、安川 誠 作曲
    
あの日の先生は 輝いて見えた
大きな声で教科書を 読んでくださった
ほとんど何も 分からなかったけれど
心に刻まれた あの日の授業

(語り)
「そこで、今度の憲法では日本の国が、決して二度と戦争をしないようにと、二つのことを決めました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさい持たないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。『放棄』とは『捨ててしまう』ということです。しかし、みなさんは、決して心細く思うことはありません。日本は正しいことを、他の国より先に行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」


あの日の先生は 熱っぽかった 
これだけは決して 忘れてはいかんぞ
あわをふいて ほえたり叫んだり
心に刻まれた その日の授業

(語り)
もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、決して戦争によって、相手を負かして、自分の言いぶんを通そうとしないということを決めたのです。おだやかに相談して、決まりをつけようと云うのです。なぜならば、いくさをしかけることは、結局自分の国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で相手をおどかすようなことは、いっさいしないことに決めたのです。これを戦争の放棄というのです。そうして、よその国となかよくして、世界中の国がよい友達になってくれるようにすれば日本の国は栄えてゆけるのです」


あの日の先生は 涙ぐんでいた
教え子を戦場へ 送ってしまった
自らをせめて おられたのだろう
今ごろ分かった あの日の授業

あの日の先生は 輝いて見えた
大きな声で教科書を 読んでくださった
ほとんど何も 分からなかったけれど
心に刻まれた あの日の授業

2012年10月23日火曜日

10/23 橋下市長に反論! 吉見義明さん語る:「強制連行」はあった


 表記の集会が下記の通り開催されます。
  • と き:10月23日(火)午後6時30分から
  • ところ:エルおおさか 709号室
       地下鉄・京阪「天満橋駅」下車 西へ300 m
  • 資料代:500 円
  • 主 催:日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク
 橋下大阪市長は何度も「『慰安婦』の強制性を示す証拠はない」と繰り返していますが、8月24日の記者会見で、「吉見さんという方ですが、あの方が強制連行の事実までは認められないとか、そういう発言があったりとか」と発言しました。
 吉見さんは、1991年、防衛庁防衛関係図書館で、政府が慰安所の設置、運営に関与していたことを示す資料を発見された方であり、「慰安婦」問題の真実を追究する第一人者です。今回の橋下発言をはじめとした政治家などの歴史わい曲発言に対し、全面的に反論をして下さいます。
 私たちにとっても貴重な学習の機会です。多数ご参加ください。

吉見義明さんプロフィール:
 1945年山口県生まれ、東京大学文学部卒業後、現在中央大学商学部教授。 専攻日本近現代史。主著に『従軍慰安婦』(岩波新書)、『従軍慰安婦資料集』(大槻書店)、『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(岩波ブックレット)など多数

 以上、ブログサイト「【堺からのアピール】教育基本条例を撤回せよ」の記事から紹介しました。

2012年10月21日日曜日

世界に恥ずかしい日本政府:国連委の16カ国声明案「核非合法化」署名を拒否


 ニューヨークで開催中の国連総会第1委員会(軍縮)を舞台に、スイスやノルウェーなど核兵器の非人道性を訴える16カ国が「核兵器を非合法化する努力の強化」を促した声明案を作成し、日本にも署名を打診しましたが、日本政府は拒否を決めました。10月18日付けで東京新聞(記事「日本、核非合法化署名を拒否 国連委の16カ国声明案」)などが伝えています。

 日本は米国の核戦力を含む「抑止力」に国防を依存する政策をとっているため、核の非合法化を目指す声明案に賛同すれば、論理上、政策的に整合性が取れなくなることが理由だということです。「核の傘」への影響を懸念して、非人道性を強調する意見表明に同調しなかったとは、一日も早い核兵器廃絶を願う国内外の多くの人びとの気持を逆なでする、まことに具合の悪い、また、恥ずかしい態度ではありませんか。

多幡記

10/28 本会主催 学習会「戦争と原発—アフガン、シリア、福島の現場から」のお知らせ(再掲載)



戦争と原発
—アフガン、シリア、福島の現場から—

 この学習会の日が一週間後となりました。お話いただく西谷文和さんのご活躍については、昨日の記事にも書いたところです。みなさん、ぜひ声をかけあって、多数ご参加下さい。
  • 日 時  10月28日(日)午後2時~4時
  • 場 所  ウェスティ(堺市立西文化会館、
         地図はこちら
         7 階セミナールーム
  • お 話  西谷 文和さん
         (イラクの子どもを救う会代表)
  • 参加協力券  500円
  • 主 催  福泉・鳳地域「憲法9条の会」
  • 連絡先  TEL・FAX 072-273-5367 上田
 西谷さんは、9.11事件後に始まった「テロとの戦い」以降、イランとアフガンを精力的に取材しておられます。この学習会直前にもシリアへ取材に行かれました。視野の広い、現実を見据えたお話が聞けることと思います。

2012年10月20日土曜日

西谷文和さん(10/28 本会学習会講師)のシリア激戦地訪問、毎日紙が伝える


 来る10月28日に堺市立西文化会館(ウェスティ)で本会主催で開催予定の学習会(こちらに詳細)でお話していただく予定のフリージャーナリスト西谷文和さんが先月、同業の山本美香さんが殺害されたシリア・アレッポに潜入し、取材しました。その模様を10月2日付け毎日新聞大阪夕刊が報じています。その記事はこちらでご覧になれます。

 記事は、西谷さんが「政府軍はジャーナリストを狙い撃ちしているから、アレッポは報道されないが、山本さんが亡くなった時より危ない」と語り、「政府軍は、自由シリア軍の隠れ家がどこかわからないから無差別に空爆する。イラクでもリビアでも、国連が飛行禁止区域を設けたが、シリアには設けられてない。なぜなら、シリアは石油が出ないから。でもこれ以上、子どもや老人が死ぬのを国際社会は黙って見ているのか。国連が積極的に介入すべきだ」と、日本を含めた国際社会に訴えていることを伝えています。また、なぜ危険な所に行くのかとの毎日紙記者の問いに対して、西谷さんは「好奇心。何が起こっているか、自分の目で確かめたい」と答え、11月には9回目のアフガン取材に赴く予定も話しています。


 なお、公務員からフリージャーナリストに転じた西谷さんは、近著『戦火の子どもたちに学んだこと―アフガン、イラクから福島までの取材ノート(13歳からのあなたへ)』(かもがわ出版、1575円;下のイメージはその表紙)において、アフガンやイラクを中心に10年以上にわたる取材で見た戦争の真実や、困難に押しつぶされながらも夢を捨てずに生きようとする子どもたちの姿などを記しています。

多幡記

2012年10月18日木曜日

10/19 大阪で集会「忍び寄る影に抗して~侵略の歴史を繰り返してはならない~」


 表記の集会が下記の要領で行なわれます。
  • 日 時:10月19日(金)PM 6:30~8:45
  • 場 所:エルおおさか南館101号室、地下鉄・京阪天満橋駅下車西へ5分
  • 資料代:800円
  • 主 催:南京大虐殺60ヵ年大阪実行委員会
  • 講 演:「橋下の濁流はどこへ行く? いま問い直
         す、ファシズムの歴史と現在」
         池田浩士さん(京都大学名誉教授)
  • 報 告:日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク
         方 清子(パン・チョンジャ)さん
        リバティ大阪の灯を消すな全国ネット
         太田恭治さん
 池田さんはナチスドイツ、天皇制日本など広義のファシズム社会における表現文化の研究者。著書は、『「海外進出文学」論・序説』(1997)、『火野葦平論―海外進出文学論 〈第1部〉』(2000)、『石炭の文学史―「海外進出文学」論 〈第2部〉』(30年をついやしてこのほど、2012年9月刊行)、『虚構のナチズム―「第三帝国」と表現文化 』(2004) など多数[参考:池田浩士の書籍, アマゾン]。

 (以上、ブログ「【堺からのアピール】教育基本条例を撤回せよ」の記事を参考にしました。)

2012年10月17日水曜日

「原発ゼロの会・大阪」1周年の集いに800人超


 原発ゼロの会・大阪は、さる10月7日午後、大阪市中央区のエルおおさかで「発足1周年記念の集い」を開催しました。府下各地域から会場いっぱいの、800人を超える参加があり、第1部では、主催者あいさつのあと、福島から大阪に避難してきている方の訴えと安斎育郎さんの記念講演「原発ゼロへ:生命とくらしを守るために」がありました。

 第2部では冒頭、Twit No Nukes 大阪有志の代表のあいさつがあり、その後、各地域での原発ゼロをめざす取り組みが "1分間スピーチ15連発" で報告され、さらに原発ゼロの会・大阪からの報告と今後の取り組みの提案、合唱、集会アピールの朗読と続きました。そのあと「集い」参加者は北大江公園に移動し、そこから大阪市役所までパレードを行いました。(以上、原発ゼロの会・大阪のホームページの記事を参考にしました。)

 なお、上記の安斎育郎さんの記念講演の要点が、『日本科学者会議大阪支部ニュース』No. 453 (2012.10.12) に記されていますので、それをもとに、以下に紹介します。

 安斎さんはまず、自分も福島が生まれ故郷であり、5歳まで過ごした土地が目に見えない放射性物質で汚染されたことへの憤りとともに、原子力工学を研究してきた者として、今回の大災害を防止出来なかった悔悟を述べました。

 その上で、放射線は、外部被ばくにせよ、内部被ばくにせよ、あびないに越したことはなく、実効的な対策が急務であると指摘しました。放射線に対しては、「過度に恐れず、事態を侮らず、理性的に怖がる」べきだといわれるが、産地名で恐れず、実態で恐れることの必要性を強調しました。

 次に、原発事故の「理科」は多くの人が知るようになったが、「社会科」も大切だとして、米ソによる核兵器開発競争の愚、原子力の「平和利用」の問題点、「原子力ムラ」形成の過程などを明らかにしました。

 最後に、私たちは「水戸黄門症候群」や「鉄腕アトム症候群」というべき英雄待望論におちいることなく、一人一人が正しい目を開き主権者として行動することが必要と呼びかけました。

多幡記

2012年10月16日火曜日

「さようなら原発集会 in 日比谷」に6500人:「経済でなく人の命・尊厳を最優先に考える政府に変えよう」——高橋哲哉氏


 10月13日、東京・日比谷野外音楽堂で「さようなら原発 in 日比谷」が開催され、約6500人が参加しました。呼びかけ人で作家の大江健三郎さんらの発言の後、銀座方面へ向けてパレードを行いました。(さようなら原発1000万人アクション・ホームページによる。発言録などの詳細は後日掲載とのこと)

 なお、『しんぶん赤旗』は14日付けでこの集会を報道しており、こちらでご覧になれます。東京大学大学院の高橋哲哉教授が、大飯原発再稼働の強行など、国民多数の原発ゼロの意思を無視してきた政府を批判し、「経済でなく人の命や尊厳を最優先に考える政府になるよう変えましょう」と語ったことなどを紹介しています。

2012年10月14日日曜日

赤川氏の橋下市長批判は続く


 先に『図書』誌 2012年10月号掲載の赤川次郎氏のエッセイ「三毛猫ホームズの遠眼鏡 4:フクシマの壁」から、原発についての言葉を紹介しました(こちら)が、そのあとには橋下大阪市長を批判する文が、1ページ近くにわたって述べられています。氏がこの連載エッセイ「三毛猫ホームズの遠眼鏡」の中に橋下市長批判を記すのは前々回あたりから続いており、その都度、このブログで紹介して来ました(こちらこちら)。10月号での批判も、ここにその一部を紹介しておきたいと思います。

 以下の文は、先に紹介した「反原発の運動は、人間の『生きる権利』の主張から発している」という文に続けて、巧みに橋下市長の「大阪人権博物館」に対する姿勢について述べているものです。
 一度は「原発再稼働反対」のポーズを作って見せた大阪の橋下市長だが、国内唯一の人権に関する博物館「大阪人権博物館」を、補助金を打ち切ることで閉館に追い込もうとしている。「被差別部落」の問題から、アイヌ、在日、ハンセン病まで、差別の歴史を展示した博物館である。
 過去の誤ちの正体を見据えなければ、未来への展望は拓けない。橋下市長にとって、しょせん「人権」とは邪魔なものでしかないのだろう。
 このような人権軽視あるいは人権無視の政治家(というに値しませんが)をのさばらせてはなりません。

 なお、大阪人権博物館(リバティおおさか)のホームページはこちらにあり、目下「全国の皆さんへのアピール:リバティおおさかの運営継続と発展のため、皆さんに支援を訴えます」が掲載されています。

多幡記

2012年10月12日金曜日

「九条の会」メルマガ第150号:九条の会講演会の成功、憲法をめぐる情勢が大きく動いている


 表記の号が2012年10月10日付けで発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。なお、メルマガ読者登録はこちらでできます。

 以下に編集後記を引用して紹介します。

編集後記~九条の会講演会の成功
 三木睦子さんの志を受けついで「九条の会講演会――今、民主主義が試されるとき――」は皆さまのご 協力により、全国各地から1800名の参加を得て成功を収めました。大江さん、奥平さん、澤地さんの講演要旨は近く発行される予定の「九条の会ニュース」に掲載します。講演全体も何らかの形で出版となるよう努力するつもりです。しばらくお待ち下さい。
 憲法をめぐる情勢が大きく動いております。大小の学習会を積み重ね、九条の会運動の活発な前進を実現したいものです。

2012年10月9日火曜日

手をつないで原発ゼロへ



上・荒川加代子(本会世話人)
『憲法九条だより』第18号から


◇   ◇   ◇

 先に「世界平和アピール七人委員会が『原発ゼロ以外にない』の声明」という記事を載せましたが、そのときはまだ、七人委員会のウェブサイトにその声明文が掲載されていませんでした。その後、こちらに掲載されましたので、お知らせします。声明の題名は、「原発ゼロを決めて、安心・安全な世界を目指す以外の道はない」、発表の日付けは 2012年9月11日です。

◇   ◇   ◇

 今年のノーベル文学賞受賞者発表の日が近づき、村上春樹さんが話題に上っています。彼が2011年6月11日にバルセロナで行なったスピーチから、原発についての発言の一部を引用しておきます。
 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

11/26 堺:青年劇場公演「普天間」のお知らせ



沖縄「復帰」40年 いよいよ全国公演に!

秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場公演

普天間

坂手洋二=作・藤井ごう=演出
出演:上甲まち子・青木力弥・葛西和雄・藤木久美子
高安美子・吉村直・ほか
  • 日 時:2012年11月26日(月)午後6時30分開演
        (開場は午後6時)
  • 場 所:堺市民会館大ホール
  • 前 売:一般 4000円(当日4500円)
        学生・20歳以下・障がい者 2000円
        (当日2500円)
  • 主 催:「普天間」上演堺実行委員会
  • 連絡先:TEL 090-6975-5916(堺市民懇 鬼頭)
        FAX 072-223-6115(堺市教職員組合内)
  • 後 援:沖縄タイムス社・琉球新報社・ほか多数

沖縄戦。
アメリカ占領下の
米軍による事件、事故。
返還後の日本政府のアメとムチ。
そのたびに沖縄の人々は集まり、
抗議してきたが、
基地はそこにあり続けた。

今日も早朝からヘリと戦闘機の
轟音に包まれて
戦争と基地への記憶が交錯する。

沖縄三部作に続いて坂手洋二が、
青年劇場とともに
普天間を舞台に新たに沖縄の心に挑む!

2012年10月8日月曜日

10/28 学習会(本会主催)「戦争と原発—アフガン、シリア、福島の現場から」のお知らせ



戦争と原発
—アフガン、シリア、福島の現場から—
  • 日 時  10月28日(日)午後2時~4時
  • 場 所  ウェスティ(堺市立西文化会館)
    7 階セミナールーム
  • お 話  西谷 文和さん
    (イラクの子どもを救う会代表)
  • 参加協力券  500円
  • 主 催  福泉・鳳地域「憲法9条の会」
  • 連絡先  TEL・FAX 072-273-5367 上田

 西谷さんは、9.11事件後に始まった「テロとの戦い」以降イランとアフガンを精力的に取材。この学習会直前にもシリアへ取材に行かれました。視野の広い、現実を見据えたお話が聞けることと思います。

 ぜひ、みなさん声をかけあって、ご参加下さい。

2012年10月7日日曜日

戦争体験を語る:上・三池尚道さん(その2)


三池さん(初回の記事はここをクリック

戸田基地

 「丸大」とは海軍独特の名前で、いわゆる敵船に魚雷を抱いて体当たりする一人乗りの人間魚雷艇のことでした。空の特攻隊に対して海の特攻隊です。もはや飛行機がないために考えられたことだったと思いました。三十から四十機あったと思います。

丸大:体当たり自爆用なので、帰還するための脚や車輪など降着装置はない。部署によっては桜花と呼ばれていた。(東海大学・鳥飼行博研究室ウェブページから)

 基地は早稲田大学水路部所有の学校のような建物を借りており、ハンモックで寝ました。ビンタやバッタは土浦や岡崎ほどではなかったが、相変わらずここでもやられていました。

 同じ部隊に、赤紙で召集された私たちの親みたいな年寄りの初年兵がいました。私たちは当時伍長で、階級は上でしたから、出会うと敬礼してくれましたが、「そんなんせんでかまへんかまへん」と言ってやりました。申し合わせたことはなかったけど、同期の誰もが叩いたりは絶対にせず、やさしく接していました。年寄りの初年兵も叩かれることを覚悟して来ていたようで、喜んでいました。

 辺ぴな漁師町の戸田に来てからは都市のようなB29による空襲はなかったが、グラマン戦闘機の機銃掃射は一層激しくなりました。ある日かつお船を狙って急降下爆撃し次つぎと船を沈めたとき、漁師さんを助けに向かったこともありました。

 また同期生が外で作業をしているとき、三人撃たれて死にました。一人は弾は首の後ろからお尻まで縦貫し即死でした。弾が出たお尻には大きな穴が開いているのを近くで見てしまいました。終戦がもう半年か一年遅かったら、私も命は無かったと思います。訓練は毎日でしたが、結局終戦まで戸田基地から丸大に乗船して敵船に突撃したこと一回もありませんでした。

敗戦

 八月十五日は、普段と同じように訓練をしていました。玉音放送(天皇肉声の放送)があることも知らされていませんでした。

 この日、将校十三人全員が突如いなくなりました。翌日になっても姿が見えません。「おかしいな?」と話し合ってたのだが実は、敗戦を知り、部下から逃げるようにこっそり姿を消したのです。何とも卑怯で抜け目ないですね。まじめに一生懸命やってる兵隊はかわいそうなもんですね。寒い冬でも将校達は命令して見ているだけで、部下にはふんどし一丁で海に入らせたり上がらせたり、また入らせたり上がらせたり…。「いままでさんざん痛めつけておいて、見つけたら叩き殺してやる!」と怒っている人もいました。

 私たちが知ったのは、二日後の十七日です。漁師の奥さんがサクランボをとりに基地の中に入ってきて話したとき、「あんたら知らんのかいな! 日本は戦争に負けたよ!」と聞きました。その時はなぜか「よかった」とか「助かった」というような気持ちは湧かず、「しゃーないな。荷物はあるしどうして大阪の家に帰ろうか…」と、そのことばかり考えていたように思います。

 他の若い者も同じようでしたが、年寄りの兵隊だけは喜んでいましたね。待っている家族のことなどがあったんでしょうかね。

家族のもとへ

数日後土地の人からリヤカーをもらって荷物を積み、四人で沼津駅まで二十キロほどを歩きました。終戦の混乱で汽車は切符も買わずに乗れました。有蓋貨車に乗り込み大阪に向かいましたが、将校連中がたくさん乗っていました。

 当時家族の住んでいた岸和田に帰って数カ月してから、やっと「戦争がおわってよかった!」と、じわっとうれしく感じるようになりました。戦争嫌いだったのになぜなんでしょうかね? 自分でもよくわかりません…。

戦争責任

 戦後になって天皇が戦争責任はなかったと聞き、「これは世の中おかしいと違うか!」と、天皇の命令に従って戦争してきた者として理屈でなく純粋にそう考えるようになりました。

 いっしょに働いていた労働組合の人が「天皇が戦争責任がないなんて、そんなバカなことがあるかい!」と怒っているのを聞き、「ぼくと同じことを考えているんだ」と、うれしく感じたことも覚えています。

 「天皇陛下万歳と言って死ね」という教育ばかりを受け、「米英両国と戦争状態に入れり」と言ったのも天皇だし、「どんな辛抱してでも頑張らないといけない」と言ったのも天皇だし、戦死した二人の兄に赤紙をよこしたのも天皇だし、ビンタやバッタがやられたのも天皇の名のもとであり、それなのに何で責任がないのか腹が立って仕方がなかったです。

 この話は子にも孫にも何度となく話しており、よく分かってくれています。(次号に続く)

『憲法九条だより』第18号(2012年9月30日)から

2012年10月6日土曜日

オスプレイ配備よりも、国民の命を守ってください

上・井﨑孝子(本会世話人)


 今年は沖縄「復帰」40年。米軍基地はなくなるどころか、米兵・米軍による事件が繰り返されています。そこに突きつけられたのが、墜落死亡事故を繰り返すオスプレイの配備です。

 沖縄では全市町村議会で配備反対決議が上がり、9月の県民集会には息子家族と嫁のおかあさんも参加しました。まだ小さい孫たちに「県民集会どうだった?」と聞くと、「楽しかった!」といっていますが、県民のみなさんの熱気を感じてそう表現したのでしょう。

 孫たちが住む那覇の空を危険な折りたたみ飛行機オスプレイが飛ぶことを絶対許すことが出来ません。

 普天間基地がある宜野湾市をご存じでしょうか? 堺東ぐらい家いえが密集して立つ都会です。フェンスのとなりに小学校や大学があります。

 それはそうでしょう。本土の基地の成り立ちとちがって、沖縄の基地は本土を守るための捨て石としてアメリカに渡され、アメリカから銃剣とブルドーザーによって奪い取られてできた基地なのですから。

 わずかながら返還された基地跡の土地は、いま大きな商業都市になって、基地があったときよりずっと多くの働く場所があり、生き生きしています。沖縄に基地がなかったら、経済も雇用も文化もどんなに発展するだろうと、悔しくてなりません。

 孫たちの命を脅かすオスプレイ配備に断固反対します。

『憲法九条だより』第18号(2012年9月30日)から

2012年10月5日金曜日

原水爆禁止世界大会に参加して:憲法九条だより18号から



 本会の機関紙『憲法九条だより』18号が、9月30日付けで発行されました。発刊以来編集を担当してきた小倉さんに代って、本号から井崎さんが担当することになりました。

 上掲の写真で、上部の2枚は17号1面と16号2面、下部の2枚が今回発行の18号1、2面です。新しい編集では、記事本文に本式の新聞に使われているようなやや横長のフォントを使い、1段の字数も少なくして、女性担当者らしいソフトな感じの紙面になりました。

 同機関紙に掲載した記事は、従来通り、このブログ・サイトでも順次紹介します。その際には、文章にうるさいブログ担当者が、さらなる読みやすさを考慮して、機関紙に掲載の文に多少手を加える場合があります。

多幡記


原水爆禁止世界大会に参加して
耳原鳳クリニック運動トレーナー・本部勇地

 原水爆禁止2012年世界大会に参加しました。大会には福島県浪江町長も初めて参加して、「自らの利権を得るための核開発・製造を放棄し、自然エネルギー普及を実践。喜びを分かち合える世界の実現へ心ある人たちと連携し、これからも長い厳しい道のりを歩んでいく」と挨拶をされました。また、福島県の高校生の「私たちの未来に核兵器も原発もいらない」と声を震わせながらのスピーチもあり、強く心を動かされました。

 核はひとたび事故が起こると取り返しのつかない状態になるため、原発ゼロは原爆ゼロに向かう大きな問題だと認識させられました。原爆の悲惨さを経験した、世界でただ一つの国である日本は、今も20万人を超える被爆者が心と体の傷に苦しみながら、核兵器の廃絶を訴えています。一人ひとりの市民が、被爆者とともに声を上げ、草の根の運動をし続けることが必要だと感じます。

 そして被爆者の高齢化が進む中、核兵器のない世界を一人でも多くの被爆者の方と迎えられるように、核兵器廃絶を実現し、被爆者の生の声を聞けるぼくらのような若い世代が、未来をになう世代の子どもたちにも伝えていかなければならないと思いました。そして、この気持ちをこれからも忘れることなく持ち続けていこうと思いました。

2012年10月4日木曜日

九条の会講演会での大江健三郎氏の話


 既報の九条の会講演会「三木睦子さんの志を受け継いで—今、民主主義が試されるとき」で、作家の大江健三郎さん、憲法研究者の奥平康弘さん、作家の澤地久枝さんが話された内容のやや詳しい報告が、さる10月2日付け『しんぶん赤旗』に掲載されました。残念ながら、同紙のオンライン版には掲載されていませんので、ここに大江さんの分を引用させて貰います。

憲法9条を世界に向けて守り抜く
 この国は民主主義の国でしょうか?

 原発事故で現在も16万人の方たちが避難しています。政府が行なった市民の意見聴取会は「原発ゼロ」が圧倒的に多かったのです。原発廃止を考えている人たちの集まりは十数万人の大集会を開くことも出来ました。ここに希望があります。

 ところが、政府が「原発稼働ゼロ」の方針を発表した2日目から、これに反対する動きが公然と強力に起こりました。一つはアメリカでした。国内では経済界が一斉に反対しました。日本経団連会長が首相に電話で「承服しかねる」と言いました。これが日本なんです。野田政権は閣議決定せず、政府声明として言うことはありませんでした。そのまま次の政府を担当しようとしています。それは民主主義でないと私は思います。

 沖縄のオスプレイについて考える人たちと、原発再稼働反対の大きい運動は二つとも実は憲法にかかわっています。憲法9条を世界に向って守り抜く、あらゆる国に対して「守るよ」と示すことが、今の日本の民主主義にとって、最も重要なことです。

 上記の引用に当たっては、文体の統一などの変更をしました。

 なお、米軍機オスプレイ配備が憲法9条の精神に反することは分かりやすいですが、原発再稼働反対が憲法にかかわっているということを、皆さんは理解出来たでしょうか。一つには、大事故の危険に脅かされながら暮らさなければならないことは、憲法25条に「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定めている権利を奪われることになる、というかかわりでしょう。

 もう一つは、日本国憲法が前文において、「日本国民は、恒久の平和を念願し」とうたっていることにかかわっていると思います。平和とは戦争がないことだけでなく、あらゆる不安や恐怖から解放されて暮らせる状態なのです。「平和学」は近年、戦争のような「直接的暴力」だけでなく、貧困、抑圧、差別などの「構造的暴力」も問題にするようになっています。日本の住民の一部の人たちが原発事故の恐怖にさらされながら生きなければならないのは、差別であり、抑圧であるでしょう。また、原発の運転は、被曝の危険の大きい保守点検業務下請けの労働者たちにも、差別と抑圧を強いて来ているのです。

多幡記

2012年10月3日水曜日

池澤夏樹氏が石原慎太郎氏に一刺し:領土問題


 『朝日新聞』夕刊に池澤夏樹氏が連載しているエッセイ「終りと始まり」の10月2日の分は「資本主義が帰ってくる:復旧と復興の違い」と題して書かれている。——震災からの復旧段階では私利を離れての行動が見られたが、それが一段落して復興の段階になると、私利の原理が戻って来る。それを非難するよりも、人間の中にある私利を離れて公共を考える資質を助長することが大切である——という主旨の文である。

 最後にいまの領土問題に話が及んで、次のように記されている。
 私利と言えば、震災の後で石原慎太郎氏が「これは天罰だ。日本人は我欲を捨てなければならない」と言った。天罰にしては分配が不公平だと憤慨したが、しかし我欲を抑えなければならないというのはそのとおりだ。
 しかして石原氏が火を点(つ)けた昨今の領土問題だ。竹島=独島も尖閣諸島=魚釣島も、実のところ国家の我欲そのものではないのか?
 仲よくしている方がお互いずっと利があるのに、不幸なことである。
この池澤氏の指摘を除いて、発端を作った石原氏への非難がほとんど聞かれないのは、どうしたことか。

多幡記

2012年10月2日火曜日

原発ゼロへの作家たちの貴重な言葉



 『図書』誌に連載の大江健三郎氏のコラム「親密な手紙」10月号分は「キツネの教え」という題である。末尾の一節は次の通り。
 そして私は原発を全廃しようという市民運動の一員となって、集会の一つで、「次の世代がこの世界に生きうることを妨害しない、という本質的なもののモラル」こそいま大切だ、と語った。それは老齢の作家ミラン・クンデラが、la morale de l'essentiel という一句を文学表現の最終の到達点におくと、説き続けているのに共感しながらのことなのだ。[引用者注:下線の個所は原文では傍点付き]
 文中のフランス語は「本質的なもののモラル」を意味する。この文が「キツネの教え」と題されているのは、大江氏が三十代の頃から贈られ続けている京都大学フランス文学研究室の雑誌『流域』の近刊号に「『星の王子さま』のタイプ原稿」と言う記事があり、王子さまと別れて行くキツネが教えるくだりに関わる l'essentiel の語が、氏のこのところの特別な思いと重なる、というところから来ている。

 同じ『図書』誌10月号の赤川次郎氏のエッセイ「三毛猫ホームズの遠眼鏡 4: フクシマの壁」には、次の文がある。
 原発ゼロの社会を「現実的でない」と言う人々がいる。しかし、人の住むことの出来なくなった家々が荒れ果てていく現実以上の、どんな悲しい「現実」があるというのか?
 反原発の運動は、人間の「生きる権利」の主張から発している。
 このエッセイが「フクシマの壁」と題されているのは、これに先立つ次の箇所から来ている。
 しかも、ベルリンの壁は一九八九年、人の手によって破壊されたが、放射能の壁は人間の意思など無視して、一体いつなくなるものか、想像もつかない。
 再び大地震が日本を襲って、原発が崩壊すれば、第二、第三の「フクシマの壁」が、この狭い国土を寸断するかもしれないのだ。その時、私たちはその壁を「東西冷戦のせい」にはできない。自らが招いた悲惨としか言えないのである。
 原発ゼロに反対する財界の発言とそれを受けて迷走する現政権の姿勢は、いずれも「本質的なもののモラル」に欠け、人間の「生きる権利」の叫びに耳を傾けようとしないものと言わなければならない。

多幡記

2012年10月1日月曜日

[動画]オスプレイ 過去の事故


 アメリカ軍は危険きわまりない米軍垂直離着陸輸送機MV22オスプレイを、きょう10月1日、一時的な駐機先の山口県の岩国基地から、配備先とする沖縄の普天間基地に向けて飛行させることにしています。その問題点にふれた表記の動画をこちらでご覧になれます。

 沖縄県警は昨9月30日、米軍普天間飛行場の各ゲート前でオスプレイ配備に反対して座り込む市民らを強制的に排除し、ゲートを封鎖していた住民らの車を移動させました。100人以上の警察官が出動し、市民らの両手両足を抱えるなどして敷地外に連れ出し、男性3人が救急車で搬送される事態となりました(毎日新聞の記事「オスプレイ:普天間抗議市民を強制排除…1日配備を前に」から)。