2012年12月31日月曜日

「そこが聞きたい:領土問題 日野原重明氏」毎日新聞


 12月24日付け『毎日新聞』東京朝刊は、101歳の日野原重明・聖路加国際病院理事長へのインタビュー記事を表記の題名で掲載しました。全文はこちらこちらでご覧になれます。日野原氏の領土問題などについての考えは、主に次の言葉に現れています。
 本来、日本の領土は北海道と本州、四国、九州の本土だけで、他はすべて日清・日露などの戦争を介して獲得した領土だ。沖縄だって元々は琉球王国を接収したものです。領土問題を考える際、我々はその歴史をまず認識し、その自覚を元に、尖閣諸島や竹島や北方四島の問題を再検討したらどうか。

 争うのは海底に資源があるからでしょう。(領有権の整理に)あいまいさは残っても、日中・日韓境界近くの資源は日本が得意な技術を提供して共同開発し、利益を折半したらいい。

 [沖縄の米軍基地も]サイパンかグアムへ移す。資源もない丸裸の沖縄なら、世界の非難があるのに、誰が手出しできますか。できやしない。

 [自衛隊は]専守防衛に徹し、海外派遣は災害の救助に限定する。

 ドイツの哲学者カントが晩年、「永遠平和のために」という本を書いたでしょ。そこで「非戦」という思想に到達している。休戦協定や平和条約で「不戦」を取り決めるだけでは不十分なんだ。

 …自分が自分の過ちを許すように、相手の心もおおらかに許す。今の政治や外交には、愛がないね。損得条件の話ばかりで、精神がない。
 記者は前文で、日野原氏は「意表外な日本の生き方を」説いたと書いていますが、私はこういう考えこそがまっとうなもので、多くの政治家たちがこのように考えないのは、まことに浅はかだと思います。

多幡記

2012年12月30日日曜日

漱石が『それから』に映した日本


 漱石の『それから』の中の、主人公・代助が友人・平岡に対して、自分の働かない理由を述べている箇所に、次の言葉があります。
「…日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでゐて、一等国を以て任じてゐる。さうして、無理にも一等国の仲間入をしやうとする。だから、あらゆる方面に向つて、奥行を削つて、一等国丈の間口を張つちまつた。なまじい張れるから、なほ悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。其影響はみんな我々個人の上に反射してゐるから見給へ。斯う西洋の圧迫を受けてゐる国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、さうして目の廻る程こき使はれるから、揃つて神経衰弱になつちまふ。話をして見給へ大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考へてやしない。考へられない程疲労してゐるんだから仕方がない。精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴なつてゐる。のみならず、道徳の敗退も一所に来てゐる。日本国中何所を見渡したつて、輝いてる断面は一寸四方も無いぢやないか。悉く暗黒だ。…」(青空文庫版による)
『それから』が書かれたのは、1909(明治42)年ですが、漱石の見た日本は、いまの日本をも予想しているかのようです。「西洋の圧迫」は、安保によるアメリカの圧迫に見られ、「道徳の敗退」は、原発事故の悲惨さにもかかわらず、再稼働を求める財界やそれに応じようとする政治家に最も強く見られます。ほかにも、いまの日本と酷似しているところがあると思えてなりません。この国は、明治時代からほとんど進歩していないようです。

多幡記

2012年12月28日金曜日

早速の悪政方針:第2次安倍内閣の閣僚発言など


 昨27日付け『東京新聞』は、「経産相、30年代原発ゼロ見直し 核燃サイクル継続も」と題する記事を掲載しました。その中で、茂木経済産業相が27日未明の記者会見で、2030年代に原発稼働ゼロにする前政権の方針は「再検討が必要」と述べ、原発ゼロ目標を見直す方針を明言したこと、原発から出る使用済み核燃料を再処理する核燃料サイクル政策は「完全に放棄する選択肢はない」と、継続する意向も表明したことを報じています。

 「新政権の閣僚が原発ゼロ目標の見直しを言明したのは初めて」とありますが、着任早々のことであり、また、自民党の選挙公約からも予想できたことです。

 上記の記事は、麻生財務相が2013年度予算編成で、財政規律を守るための新たなルールを策定する考えを表明するなど、第2次安倍内閣の閣僚が、前政権の主要政策からの転換を鮮明にする発言を相次いで行なったことも述べています。

 さらに、同紙同日の「安倍政権、防衛大綱見直しへ:対中など、米国と連携強化」と題する記事は、安倍政権が27日までに、国の防衛力整備の長期的な指針である「防衛計画の大綱」を見直す方針を決めたことを記しています。現行の防衛大綱は、菅政権の2010年末に閣議決定し、2011年度から約10年間の防衛方針を規定したものでした。これを、軍備増強を続ける中国の動きに対応した内容に修正するのが目的だということです。

 軍事対抗主義は、現実的にも軍拡競争を煽るだけで何の効果もないばかりか、憲法9条の「武力による威嚇…中略…は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」に違反しています。これらの悪政を多数の住民の声によって改めさせて行かなければなりません。

多幡記

2012年12月27日木曜日

「歴史観、見直せば孤立」藤原帰一氏、朝日紙「時事小言」欄で


 『朝日新聞』夕刊に月一度載せられている国際政治学者・藤原帰一氏の「時事小言」欄の今月分は、表記の題名で12月26日に掲載され、「憲法改正」について述べられていました。(こちらでご覧になれます。全文を読むには朝日新聞デジタル会員登録が必要です。無料登録でも、一定期間一定数の記事という制限はつきますが、閲覧できます。)

 私は藤原氏の論調に全面的に賛成するものではありませんが、氏が「私は憲法改正が必要であるとは考えない」と述べていることを大いに評価します。

 藤原氏が憲法改正は必要でないとする理由は、安倍首相が前回首相を務めた際に「戦後レジームからの脱却」を唱えたことに関わっています。氏はこの言葉が、日中戦争と第2次世界大戦を日本の侵略として捉えることを自虐史観として、そこから脱却することを含むと見て、このような歴史の見直しには賛成できないと述べています。

 そして藤原氏は、そのような日本軍国主義の事実上の名誉復活は、第2次世界大戦後の世界の基礎をなしてきた国際社会の基本的合意に背を向ける行動にほかならないとし、その流れのなかで憲法改正をすれば、中国・韓国ばかりでなく、欧米諸国からも日本が厳しく批判されることは避けられないだろう、と指摘しています。——これは安倍首相を初め改憲派の議員たちに、ぜひ考えて貰わなければならないことの一つです。

多幡記

2012年12月26日水曜日

『はだしのゲン』の中沢啓治さん死去


 原爆投下後の広島を生きる少年を描いた『はだしのゲン』で知られる漫画家・中沢啓治さんが、肺がんのため12月19日に広島市内の病院で亡くなりました。73歳でした。

 『東京新聞』は、死去の分かった25日の夕刊に「核廃絶 ゲンに託す」の題名で訃報を掲載しています。その記事は、中沢さんが『はだしのゲン』執筆の動機について、戦後に母親が亡くなった際、ぼろぼろの遺骨を見て原爆や戦争への怒りが噴き出したと語っていたことや、また、その漫画の中で一生懸命に生き抜く人の姿を描いたことについて、「何回踏まれても大地に根を張り真っすぐに伸び、豊かな穂を実らせる『麦』がテーマ」と話していたことなどを紹介しています。

 同紙は26日朝刊にも、「ゲンは怒ってるぞ」と題する記事で、中沢さんが2009年に白内障と網膜症などで漫画家引退を表明した後も、「しゃべれるうちは言いまっせ、ゲンは怒ってるぞ、って」と、原爆への怒りを持ち続けていたことなどを報じています。そして文末で、核兵器や戦争のない世界を築いていってほしいとの中沢さんの遺志を、未来を担う若い世代がゲンとともに受け継ぎ実現させてほしい、と訴えています。

 2010年5月の核不拡散条約 (NPT) 再検討会議では、核保有国を含む189の国々が「核兵器のない世界の平和と安全を達成する」ことを決めています。いま、全ての国の政府がすみやかに核兵器禁止条約の交渉を開始することが求められます。

多幡記

2012年12月25日火曜日

「九条の会」メルマガ第155号:澤地久枝さん、毎日新聞のロングインタビューで語る


 表記の号が2012年12月25日付けで発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。なお、メルマガ読者登録はこちらでできます。

 以下に編集後記を引用して紹介します。
編集後記~澤地久枝さんが毎日新聞のロングインタビューで語っています

 このたびの総選挙はすさまじい結果になりました。今後、安倍自民党はまず集団的自衛権の解釈と第96条を変え、ついで9条を変えて国防軍で戦争をする国をめざそうとしています。まさにいまこそ、「九条の会」の踏ん張り時です。澤地さんのインタビューのタイトルは「『絶望した』 言うまい」です。
 今年もはや年の瀬ですね。メルマガ、1年間のご愛読、ありがとうございました。心から御礼申し上げます。来年も投稿を含め、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

2012年12月20日木曜日

「小選挙区24%、比例代表15%:自民、民意薄い圧勝」東京新聞


 12月18日付け『東京新聞』は表記題名の記事を掲載しました。こちらこちらでご覧になれます。

 記事は、16日の衆院選で自民党が定数(480)の6割を超える294議席を確保したものの、小選挙区で自民党候補の名を書いたのは全有権者の約1/4、比例代表では15.99%だったことに注目し、「自民党の勝利は、必ずしも民意を反映したものではない。多党乱立と低投票率が自民党を利した結果であるということが、はっきり分かる」と記しています。

 記事はまた、「民意を集約して二大政党制に導く小選挙区制で自民党は、有権者全体に占める得票率の三倍以上の議席を獲得。信じられないような世論との乖離(かいり)が生じた」と述べ、小選挙区制の弊害にもふれています。

 自民党の見かけ上の「圧勝」にもかかわらず、「原発ゼロ」と「憲法9条護持」を望む国民多数の声自体がなくなったわけではありません。闘いはこれからです。

多幡記

2012年12月19日水曜日

JR大阪駅頭での宣伝活動に対する威力業務妨害罪等の適用に憲法研究者たちが抗議声明


 2012年12月9日大阪府警は、同年10月17日にJR大阪駅駅頭で「震災瓦礫」の受入れに反対する宣伝活動を行った下地真樹氏(阪南大学准教授)らを、威力業務妨害罪および不退去罪で逮捕しました。これに対して、石川裕一郎氏(聖学院大学)ら5名の呼びかけ人と62名の賛同者からなる憲法研究者たちが、12月17日、抗議声明を発表しました。

 下地氏らの宣伝活動は、駅頭でハンドマイク等を用いて、大阪市の瓦礫処理に関する自らの政治的見解を通行人に伝えるもので、憲法上強く保護されるべき表現活動でした。声明は、このような表現活動に対して逮捕を行なうことは、「憲法上強く保障された表現の自由を不当に侵害し、市民の表現活動を幅広く規制対象にする結果をもたらし、ひいては自由な意見交換に支えられるべき議会制民主主義の過程を深刻に害するもの」であり、「憲法上許容されない」として、大阪府警に強く抗議するとともに、逮捕者たちの即時釈放を要求しています。声明の全文はこちらでご覧になれます。

 このような表現の自由の侵害は、わが国が戦争に突入して行った暗い時代の再来を思わせるものであり、絶対に許せません。

多幡記

2012年12月18日火曜日

「脱原発 世論6割、当選3割:3大争点すべてズレ」東京新聞


 12月17日付け『東京新聞』は、表記題名の記事を掲載し、衆院選の結果が、原発政策、そしてそれとともに大きな争点だった消費税増税と憲法9条について、いずれも民意と隔たりのあることを報じています。

 同紙が公示直前に行った全国3600人対象の世論調査と、東京都の25選挙区に立候補した134人を対象に行ったアンケートをもとにしたものです。それによれば、3大争点に対する世論の多数意見の割合と、それらに同意見の小選挙区獲得議席数の割合との間で、差が歴然としています。記事全文はこちらまたはこちらでご覧になれます。

 上記の記事は、主として比較の結果を述べただけで、隔たりの原因に詳しくは言及していませんが、その原因の一つとしては、小選挙区制が民意を正しく国会に届け得ないものであること、また、他の一つとして、多くの票が必ずしも政党の今後の政策をよしとして投じられてはいないことが考えられます。

 このことから、比較結果は、自民党が「多数をとったからといって、決して自党の考えだけでつっ走ってはならない、もしもそうすれば、また民意の掣肘を受ける」という自覚をする必要性を強く示しているものといえましょう。

多幡記

2012年12月17日月曜日

「国民をよく畏れよ」東京新聞


 衆院選で自民党が多数を取りしましたが、12月17日付け『東京新聞』は、表記の言葉を題名に含む社説を掲載し、これは「民主党政権への厳しい審判」であり、「民意はかつてのような自民党政治への回帰を積極的に支持したわけでもなかろう」と論じています。

 社説はまた、「安倍自民党は勝利におごらず、野党の主張に耳を傾けて丁寧な国会運営に努め、地に足のついた政権運営を心掛ける必要がある」、「集団的自衛権の行使容認など、党の主張は一時棚上げすべきではないか」、「民主党は敗北したが、次期政権が引き継ぐべきもの…中略…それは原発ゼロを目指す方針だ」などの貴重な主張をしています。

 そして、「今回の政権交代は、政治は国民の手にあることを再び証明した。このことを自民党はもちろん、すべての議員が畏れるべきである」であると結んでいます。

 この結びの言葉は、まさに、全ての議員が心にとどめるべき言葉であるとともに、選挙の結果に落胆した側の国民をも勇気づける言葉です。社説の全文はこちらでご覧になれます。

多幡記

2012年12月16日日曜日

再び魯迅の言葉


 先般の記事で、大江健三郎さんのエッセイに魯迅の次の言葉が紹介されていたことを書きました。
希望は、もともとあるものとも、ないものとも言えない。
それはまさに地上の路(みち)のようなものだ。
本来、地上に路はなく、歩く人が増えれば、そこが路になるのである。
 この言葉について私は、「魯迅は、『希望』を単にばくぜんとした望みでなく、実現へと確実にたぐり寄せるべき目標ととらえ、その方策をも示唆するものとしてこの言葉を書いたのでしょう」という感想を述べました。

 本日(12月16日)付けの「堺アピール:教育基本条例撤回」事務局からのメールに、佐高信氏が昨日の講演会の締めくくりに、同じ魯迅の言葉(和訳の表現は若干異なりますが)を引用したことが記されていました。そして、「希望があるから闘うのか、希望がなければ闘わないのか。希望は、多くの人々ともに闘う中から生まれるのだと魯迅は言っています」との解説が付けてありました。

 この解説を読んで、なるほど、「希望」の語を、「闘いによって勝ち取るべき目標の達成可能性」の意味に取れば、「地上の路」へのたとえが、まことに理解しやすいと思いました。

多幡記

2012年12月15日土曜日

「だれかが犠牲 もういい」


 表記の題名は、『朝日新聞』夕刊の連載記事「ニッポン人脈記:民主主義 ここから」の、12月5日付け第10回の見出しです。この記事は、福島県生まれの東京大学大学院教授・高橋哲也さん(哲学)と、『安保と原発―命を脅かす二つの聖域を問う』(唯学書房、2012年)の著者で政治学者・東大名誉教授の石田雄(たけし)さんを紹介しています。

 高橋さんの「3・11で犠牲のシステムがあらわになった以上、これまでのように犠牲を『誰か』に押しつけ、自分たちは利益を享受することは許されない」という言葉、そして、「日本は再生可能なエネルギーへの転換を進めつつ、安全保障の分野では、東アジアとの相互信頼関係を醸成しながら、米国依存一辺倒の状態から脱却すべき」との主張が印象的です。

 石田さんも、「安保と原発は、ともに『中央が周辺を犠牲にして国策を強行する』という形の発展に根ざしてきた」と指摘し、「双方の根底にある発展の型を作り替えて、地域が自立的な発展を生み出せるよう、構想を練って実現を目指すべき」と提言していますが、もっともなことと思われます。

 私たちの、犠牲者を出さない選択がいま必要です。

多幡記

「三つの光景 安全を選ぶ原点」赤川次郎氏の投書


 作家の赤川次郎さんの投書が、表記の題名で12月14日付け『朝日新聞』の「声」欄に掲載されました。赤川さんは、昨年3月11日に東北地方を襲った大津波、福島第一原発の原子炉建屋の爆発、原発を安全と言い続けて来た専門家たちの茫然自失の姿、の三つの光景が示す現実こそが私たちの安全を選ぶ原点である、と述べています。

 そして、「狭い地震大国に原発を作り続けてきた政党が政権を取れば、原発を再稼働させる可能性が高い。首都直下型地震も南海トラフの地震もすべてはこれから」と警告し、「自衛隊を軍隊にすれば、放射能がふせげるとでも言うのだろうか?」と疑問を投げかけています。

 私たちは誤りのない選択をしなければなりません。

多幡記

「9条 この1票で:改憲論 実に愚か 92歳元兵士 岩井忠正さん」東京新聞


 12月13日付け『東京新聞』は、「憲法9条を変えるのか、守るのか。衆院選はその意思を投じる選挙でもある。…中略…投票日を前に、平和憲法の根幹をなす9条の重みを考える」として、表記題名の記事を掲載しました。

 記事は、9条「改正」が声高に語られる選挙戦について、岩井忠正さん(92歳、元兵士、東京都小平市)が、「実に愚かなことだと思います。日本もここまで来たか。私たちの年代の者が沈黙し過ぎたのか」と、声を震わせて語ったことを紹介しています。全文はこちらまたはこちらでご覧になれます。

 命の重みも左右する9条「改正」について、よく考えて明日の投票に行きましょう。

多幡記

2012年12月14日金曜日

「集団的自衛権の行使 論争は?」東京新聞、など


 12月11日付け『東京新聞』は「集団的自衛権の行使 論争は?」と題する特報記事を掲載しました。全文はこちらこちらでご覧になれます。後者のウェブページ(イメージ形式)には、同紙同日付けの「『戦争放棄』形骸化招く」の記事も合わせて上部に掲載されています。

 また、12月12日付けの『英フィナンシャル・タイムズ』紙は「安倍氏の首相返り咲きが意味すること」と題する社説を掲載しています。こちらまたはこちらでご覧になれます。総選挙の参考にしましょう。

多幡記

2012年12月13日木曜日

投票は「巨人、大鵬、卵焼き」ではいけない


 1960年代に、子どもたちの好きなものを表す「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉が流行しました。野球界では巨人軍の王貞治・長嶋茂雄の ON コンビが大活躍していた時代であり、相撲界では大鵬が双葉山以来の圧倒的な強さを誇っていた時代でした。

 子どもたちが強いものに憧れるのは自然だとしても、大人が選挙権を行使する際には、政党の過去の強さや人気、そしてマスメディアのあおりなどで候補者・政党を選んではいけません。私たちの一票には、私たちの暮らし、この国の将来、私たちの子孫の将来などがかかっているのです。

 各候補者や政党がどういう政策を行なおうとしているかをよく吟味して投票しましょう。とくに、基地問題に悩む沖縄の人たち、震災と原発事故の被災地の人たち、いろいろな障がいや病気を持っている人たち、職を失っている人たち、などなど、困っている人たちのことを十分に考える候補者・政党や、また、国のあり方を健全な国際的な視野で進めようとしている候補者・政党を見きわめて選ぶことが大切でしょう。

 参考資料の一部として、ブログ「[堺からのアピール]教育基本条例を撤回せよ」が本日付けで紹介している選挙関連情報へのリンクを記しておきます。
多幡記

2012年12月12日水曜日

「憲法改正のマジック」東京新聞


 12月9日付け『東京新聞』は表記の言葉を題名に含む社説を掲載しました。十六日投開票の衆院選挙で集団的自衛権の行使容認を訴えている政党や、容認派のいる政党の名も上げて、「憲法で禁じた集団的自衛権の行使を法律によって可能にする、こんなからくりが…中略…実現すれば平和憲法はなし崩しになります」と警鐘を鳴らしています。そして、「日本の平和を守り、国民の安全を守ってきた憲法を法律でひっくり返す『法の下克上』は断じて認めるわけにはいかないのです」と結んでいます。詳細はこちらこちらでご覧になれます。

 私たち有権者一同は、投票に先んじてこの問題を十分に考えなければなりません。

2012年12月11日火曜日

私の戦時体験:戦中戦後を思い出すままに

多幡貞子(上在住)

 自宅から徒歩で十分ほどの豊中市立克明小学校(当時の明徳国民学校)に私は通学していましたが、校庭の西北隅にあった奉安殿の壁が、やけに白かった覚えがあります。登下校のとき、「御真影」と教育勅語を納めたこの奉安殿に向って、ていねいに一礼することを厳しく申し渡されていました。四年生のときの担任の女教師は、いつも竹の棒を振りまわし、ヒステリックに児童の机を叩きまわっていました。先生のいわれるまま、「何で?」と聞き返すこともできなくて、おびえ、小さくなっていました。

 大阪工業試験所で合成ゴムの研究に従事していた父は、職場では軍から研究成果を急がされ徹夜の実験をして、家庭ではいつも不機嫌でした。大人は皆、子どもにやさしく接するような時代ではありませんでした。子どもは、目上の人への口答えはご法度で、絶対服従させられていました。

 戦局が不利になると、警戒警報のサイレンがたびたび鳴り響くようになり、学校から一目散に駈け戻り、地下防空壕に飛び込む日が多くなりました。夜もモンペ姿のまま眠り、警報と同時に枕元の防空頭巾をかぶり、ねぼけまなこで、親に叱られながら、暗くて湿っぽい土の匂いのしている壕に避難するのです。やがて、空襲警報の出る前に、B29 が編隊を組んでやってくる爆音がするようになり、爆弾投下の音がし始めると、もう生きた心地はしません。B29 が早く飛び去ることを祈るばかりの恐ろしい日々が続きます。

 私たちの小学校では、集団疎開はありませんでしたが、個人的に親類を頼って疎開する子どもはいました。同じクラスの一人の男子が奈良に疎開し、暑い日に窓際にいたところを、突然低空飛行して来た敵機に狙撃されて即死しました。終戦まであと数日のことでした。私の父は、戦時研究員ということで、出征をまぬがれたし、伯父たちも皆、復員してきたので、身近に「死」の体験がありませんでした。したがって、この同級生の死は、私にとって大きなショックで、F 君という名前をいまも忘れることができません。疎開しなければ、彼はいまも元気だったかもしれません。

 私の家から数十メートルと離れない塚にも、一トン爆弾が落ちてきましたが、周辺の人家に大きな被害がなかったのは幸いでした。終戦までの二ヵ月間に、豊中全体に六回の空襲があり、約千五百人の死者・行方不明者が出たと聞きました。いつのときにも、運・不運というのがあるのでしょう。

 終戦の日、学校へ行ってみると、あの厳しい女教師が職員室で泣いていたので、たいへん驚きました。ともかく、警報にびくびくしなくてもよくなり、また、夜は明るい電灯のもとで過ごせることを本当に嬉しいと思いました。食生活は相変わらず貧しいものでしたが、先生と学童、大人と子どもの間に自由な話し合いや笑いが生まれました。学校は活気と明るさに満ち、戦争のない生活とは、こんなに楽しい、すばらしいものかと感動したのでした。

 [大学の出身学科同期生有志による文集『戦時下の少女たち』(1998年)から]

2012年12月10日月曜日

「九条の会」メルマガ第154号:「メールマガジン[から]は、九条の会[が抱く]危機感を感じません」というKさんのご意見に答えて


 表記の号が2012年12月10日付けで発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。なお、メルマガ読者登録はこちらでできます。

 本号には、このブログ記事の表題に引用しました題名(角カッコ内は、意味を取りやすくするための追加あるいは書き換えをした部分)のやや長文のトップ記事が掲載されています。ぜひご覧下さい。以下に編集後記を引用して紹介します。
編集後記~メルマガ[本号]のトップ記事について

 札幌のKさんへのお返事を冒頭に載せました。お気持ちはよくわかり、また編集子としても、危機感一杯なのですが、「九条の会」としてどうあるべきか、慎重に考えたいところです。各地の会の皆さまの自主的ご判断に任せたいと思います。私としてはこの編集後記で、許容範囲で、できるだけ思いを書いてきたつもりでおります。お互いにもっとも効果的な方法で情勢に立ち向かう道を見つけ出したいと思います。今後ともよろしくお願いします。

2012年12月8日土曜日

「『戦争放棄』かき消すのか 民主主義再生の契機に」琉球新報


 第46回衆院選公示のさる12月4日、『琉球新報』紙は表記題名の記事を掲載しました。こちらで全文をご覧になれます。次の言葉がとくに目を引きます。
 憲法9条の一部改正を含め改憲志向を強める政党が増える一方で、護憲を掲げる政党が少ない。「平和国家」の強みを引き続き生かし切れるのか、「戦争をできる国」への一歩を踏み出すのか。各党、各候補者は国の根幹に関わる憲法問題について包み隠さず立場を明らかにし、有権者の審判を仰ぐべきだろう。
 保革を問わず県内首長が日米安保政策に異議を唱えている。背後には「差別するな」「植民地扱いするな」と考える[沖縄]県民がごまんといる。各党、本土住民には、この「公憤」が理解できるだろうか。
 本土の有権者一同も、これらの点に大いに留意して投票を行使すべきでしょう。

多幡記

2012年12月7日金曜日

「こんなに怖い選挙はない」中日新聞


 12月5日付け『中日新聞』は、社会部長・島田佳幸氏の執筆による表記題名の記事を掲載しています。衆院選のアンケート結果が、支持政党と望む政策とで矛盾していることから、その党の主張をよく咀嚼(そしゃく)しないで「何となく」投票先に決めている可能性のあることを指摘し、「『何となく』は禁物だ。この国の行く末、子どもらが生きて行く国のありようを決める投票—。そう考えれば、こんなに怖い選挙はない」と述べています。(詳しくはこちらでご覧になれます。)大切な一票を、政党や候補者の主張をよく読んで行使するようにしましょう。

多幡記

2012年12月6日木曜日

大江氏が紹介する魯迅の言葉


 『図書』誌2012年12月号の大江健三郎さんの「親密な手紙」欄は、「希望正如地上的路」と題して、魯迅の次の言葉を紹介しています。

 希望は、もともとあるものとも、ないものとも言えない。
 それはまさに地上の路(みち)のようなものだ。
 本来、地上に路はなく、歩く人が増えれば、そこが路になるのである。

題名は上記の二行目のもとの中国語表現です。大江氏は大学生時代にこの言葉に出会ったとき、感動したが引っかかりもしたということです。その気持を「二行目からの、魯迅の比喩展開のスピードについて行けず、一行目にノロノロこだわっていたのだった」と記しています。確かに、希望を路に例えるのは飛躍があります。魯迅は、「希望」を単にばくぜんとした望みでなく、実現へと確実にたぐり寄せるべき目標ととらえ、その方策をも示唆するものとしてこの言葉を書いたのでしょう。

 大江氏は反原発の大きい集会でこの魯迅の言葉を読み上げ、さらに「反・原発の世論が圧倒的であるのに(原発がある自治体、経済界、米国に配慮して、という)政府の無視があきらかとなる中でのデモにいた」[注:原文では()内の言葉に傍点をつけて強調してあります]と記しています。多くの人たちの歩く路が無視されることのない政治をこそ、私たちは選ばなければなりません。

多幡記

2012年12月3日月曜日

「国防軍創設の危うさ 自民の衆院選公約 識者ら懸念隠せず」東京新聞


 自民党が衆院選公約で国防軍を創設するとしていることについて、『東京新聞』は11月30日付けで表記題名の記事を掲載しました(こちらでも読めます)。記事は、憲法に戦力を持たないとある一方、武力としての自衛隊が存在するという長年の「混乱」を解決するためという公約について、日本が戦後守ってきた平和主義をねじ曲げる危険はないのかとの見地から、識者らの意見を聞き、おおむね以下のように伝えています。

 有識者の不安は、国防軍が自衛隊以上に巨大な存在にならないかという部分に集中しています。自衛隊は憲法との整合性に配慮して、「自衛のための必要最小限の実力」しか持つことができませんでした。しかし、憲法を改正し、国防軍を大手を振って保持することになれば、こうした歯止めが弱くなるのではないかということです。

 自民党の公約は、他国が武力攻撃を受けた場合、共同して防衛に当たる集団的自衛権の行使を可能にすることも明記しています。国防軍保持と集団的自衛権の行使が可能になった場合、日本の国防軍が海外で武力を行使することも否定できません。名古屋学院大の飯島滋明准教授(憲法平和学)は「国際平和、国際協調に違反する行為につながりかねない」と危惧しています。

 「九条の会」の奥平康弘・東京大名誉教授(憲法)は「自衛軍ならば自衛隊の延長で、現行憲法の専守防衛の概念が残る。国防軍としているのは国家を守るという意識を前面に出し、幅広い軍事行動を取れる特別な意味を込めているのではないか」と分析しています。同会事務局長で国文学者の小森陽一氏は「国防という言葉のイメージは自衛よりも好戦的。尖閣諸島問題で中国との緊張関係が高まる中、愛国心をあおる狙いがあるのではないか」と批判しています。

 国防軍保持に対して、中国と韓国はすでに反発しています。外交評論家の天木直人氏は「同盟国の米国にさえ、日本の軍国主義の復活には警戒がある」といっています。

 憲法改正の発議には衆参両院で3分の2以上が必要ですが、衆院選の結果次第では、自民党、日本維新の会、民主党の一部など改憲勢力がまとまった場合には、必ずしも不可能な数字ではありません。「こうした時代には威勢のいい改憲派の言葉が魅力的に響くが、それでいいのか。有権者は冷静に考えてほしい」と、小森氏は語っています。

 ——私たちは小森氏のこの言葉を、真剣に受け止めなければなりません。

多幡記

この道:9条改悪したら版


原詩・北原白秋
改詩・多幡達夫
作曲・山田耕筰

この道はいつか来た道
ああ そうだよ
赤い血が流れ落ちてる

あの丘はいつか見た丘
ああ そうだよ
ほら 黒い焼け跡ばかり

この道はいつか来た道
ああ そうだよ
兵隊さんが戦車で行ったよ

あの雲もいつか見た雲
ああ そうだよ
キノコの形をしている

 ——いやですね。こわいですね。ぞっとしますね。サヨナラ。サヨナラ…。

2012年12月2日日曜日

学習会「戦争と原発—アフガン、シリア、福島の現場から」への参加者感想


 本会がさる10月28日、堺市立西文化会館で開催した学習会「戦争と原発—アフガン、シリア、福島の現場から」(こちらこちらに既報)の参加者の方々がアンケート用紙に書いて下さった感想の一部を紹介します。
  • おもしろく、ためになりました。
  • 西谷文和さんの講演は大変わかりやすく、もっと大勢の人に聞いてもらえればと思います。脱原発や戦争、日本の未来についての話がよかったと思います。
  • 西谷さんのファンになりました。次回もぜひお会いしたいです。
  • ハシズム解説の続編を見たい。
  • 知らないこともたくさんあって、興味深い話でした。
    • とにかく戦争はいけない。どこの国とも戦争しないためには真剣に外交努力をしなければならない。
    • 原発も絶対だめです。お金はかかりましたが、わが家では太陽光発電を設置しました。ささやかな努力です。
  • 原発は金がかかるとか CO2 を出さないとか CM でよく流れていた。ラジオではよく聞いていたが、映像では初めて見て納得した。財界や金持ちの圧力、マスコミをにぎっているテレビの影響が大きなものだと思った。もっともっと、われわれ自身が本当のことを訴えねばならない。
  • 映像を駆使しての話、いつも淡々としての話というイメージでしたが、今回の話は大変おもしろかった。アフガン戦争から維新の会の動きを一挙につないでの話、誰がこの世を動かしているか、財界の意図でマスコミを動かし、ドンドンと右翼を利用して、国民の意識を戦争に駆り立てようとしていることがよく解った。
  • 地雷が300円と聞いてびっくりしました。劣化ウラン弾の放射線による奇形、戦争は本当によくないと思います。原発のため天然ウランを発掘して、濃縮ウランを作る、そのしぼり汁で劣化ウラン弾を作っていることにびっくりしました。私たちは知らされていないことを思いました。なぜ戦争をするのか? お聞きしたら戦争の死の商人がいるんですね。私たちは情報にだまされない真実の目をもちたいと思う。

2012年12月1日土曜日

『平和国家の原点に 憲法9条 重い沖縄の記憶』東京新聞


 11月29日付け『東京新聞』は、「争点の現場」と題するシリーズの「下」として、表記題名の記事を掲載しています。執筆した金杉貴雄記者は、世界遺産の一部として有名な首里城跡から北東3キロに位置する沖縄県西原町を訪れ、「西原の塔」と呼ばれる沖縄戦慰霊碑のそばに、同町で犠牲になった当時の村民5260人の名前が刻まれた碑が並んでいるのを見ました。名前の左わきに「0、3、45、1、14、73、…」と刻まれた数字の意味が、初めは分かりませんでしたが、それぞれの年齢だと知り、また、0歳を含む幼い子どもの多さに、胸がしめ付けられたそうです。

 記事はさらに、次のことを伝えています。
 [沖縄の人々の]怒りの矛先は、日米同盟強化を旗印に、沖縄への在日米軍の負担をさらに強めようとする政府に向かう。沖縄戦の重み。多くの政治家はかみしめてほしいと願う。
 今回の衆院選では、憲法9条へのスタンスをめぐって、各党間の違いが出ている。
 自民党は改憲で自衛隊を国防軍に位置づけることを打ち出した。また集団的自衛権の行使を可能にする「国家安全保障基本法」制定も盛り込んだ。
 自衛隊を軍として認めることは、単に名称を変更することにとどまらない。実際、安倍晋三総裁は国防軍に関して「海外と交戦するときは交戦規定にのっとって行動する」と明言。交戦規定を法的に整備する意向を表明している。
 平和憲法の理念に基づき、専守防衛に徹し海外で一発の銃弾も撃ってこなかった自衛隊。その性格が大きく変わる可能性もある。
 海外から右傾化の懸念が指摘される中、日本維新の会も集団的自衛権の行使を容認。石原慎太郎代表は現憲法破棄が持論だ。改憲発議のためには、衆参両院の三分の二以上の賛成が必要だが、自民党や維新の会などの勢力が伸びれば、その一里塚となることも考えられる。
 外交交渉で解決すべき領土問題にあおられて、国民が憲法9条改悪をもしも許すことになれば、日本はいくつもの戦争を引き起こして太平洋戦争で苦い敗戦の苦しみを味わった道を、再びたどることになるのです。そのような愚かなことを決して、してはいけません。

多幡記