2011年9月11日日曜日

「平和」あふれる8月


 「8月のジャーナリズム」という言葉があるそうです。毎年8月になると平和をテーマにした原爆や戦争の番組・記事・ニュースが集中します。これを揶揄した言葉だそうですが、今年もそうでした。それであっても私たちは、原爆や戦争の悲惨さなどと向き合い、命の大切さや平和を語ることには大賛成です。8月25日発行の当会の『憲法九条だより』には6名の方に登場していただきました。順次紹介します。

民主主義があっての平和!


鳳中町・野名龍二さん

 66年前の8月15日には、四日市市の海軍燃料兵器厰へ学徒勤労動員で行っていました。天皇の放送は、雑音だけで何を言っているのかわかりませんでしたが、日本は負けたらしい、戦争は終わったらしいという話が伝わってきました。それで、明日はどうなるのかといった不安はありましたが、もう空襲がないのかと、ほっとした安堵の気分でした。

その一か月ほど前の7月、四日市市街には焼夷弾による空襲が、海軍燃料厰には爆弾による空襲があり、二回とも恐ろしくて怖くて、必死に郊外に逃げました。同じ7月、三重県志摩半島南端の、大王崎の実家に帰省したとき、母親の野良仕事の手伝いで畑にいて、突然アメリカの艦載機グラマンの機銃掃射を受け、隠れる所もなく、これが最後かと思ったものでした。

 敗戦、終戦は、恐怖と暗黒の時代の終わりでした。恐怖と暗黒は、空襲と機銃掃射だけではありません。師範学校に入学しての,寮生活は陸軍の内務と同じでした。上級生が下級生に対して威張っていました。部屋の掃除だけでなく上級生の布団の上げ下ろしも下級生にやらせ、挨拶が悪い、眼鏡のつるが太いといってはビンタでした。学校には配属将校がおりました。配属将校は、担任の先生にも傲慢でしたし、この将校による三八銃を持っての気を付け・休め・気を付け・前へ進めの繰り返しの教練も嫌でした。

 私の父は、漁師でしたが『改造』という雑誌を購読していたためか、父が漁に出て不在の時も、特高がやってきては門に立って家の中を伺い、監視していました。戦争が終わったとたんに、上級生もおとなしくなりました。軍人・配属将校もいなくなり、特高も来なくなりました。威張っていた人たちが一様におとなしくなりました。

 それから日本国憲法の平和と民主主義で60余年。しかし、大阪府では橋下・維新の会が、教師にものを言わせない、学校での民主主義を圧殺する「君が代規律条例」を府議会で採決を強行し、さらに「教育基本条例」を準備しています。戦中・戦後を生きてきた者には、戦前の様相です。いまを戦前にしてはなりません。民主主義があっての平和です。憲法九条は宝です。

(当会の呼びかけ人)

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