今年の干支はウサギです。私が最近ウォーキングをする際に愛唱している歌の一つ、高野辰之・作詞、岡野貞一・作曲の「故郷」は、「兎追いし かの山、小鮒釣りし かの川」という歌詞で始まります。利潤ばかりを追求する乱開発のせいで、この歌詞にあるような自然が方々で失われて来ています。私たちは、人間の営みと自然の豊かさの調和を大切にする世の中をこそ、望まなければなりません。そして、乱開発以外の、これらを破壊する原因となるものとして、ぜひ避けなければならないことがあります。それは戦争です。
昨年は近隣の国ぐにに不穏な動きがありました。そのような動きを制するため、わが国は日米安保条約の堅持だけでなく、憲法9条を変えて強大な軍事力を持つべきだとの考え方が、またまた頭をもたげています。しかし、国家間の問題の本当の解決は、外交手段で行なうべきであり、また、それによってしか真の解決が得られないことを、これまでの歴史が示しています。
第2次世界大戦後の主な戦争は、いわば国内の戦争にアメリカが自国の目論みで参戦して不首尾だったり(朝鮮戦争、ベトナム戦争)、アメリカがテロに対する報復として、また、不確かな情報をもとにして戦争をしかけたり(アフガン侵攻、イラク戦争)したものです。つまり、大国同士あるいは領土の占有を目的とする戦争はなくなって来ており、これは「国際紛争の解決は外交手段で」との機運が、世界の常識になりつつあることの反映です。それにもかかわらず、アメリカだけがいつまでも軍事力に頼っており、日本の政府はそれに盲従しようとしているのです。
昨年末には、日米合同の防衛演習のニュースが、映像を伴って何度かテレビで放映されました。その映像は、私のような戦争を知る世代の目には、空恐ろしい光景に映りました。軍事力を示して近隣の国ぐにを脅そうというのは、むしろ逆効果で、先方もますます軍事力の強化に走るだけでしょう。
国連のパンギムン事務総長は昨年七月、広島で開かれた「核廃絶広島会議」へ贈ったメッセージの中で、核兵器が安全保障に役立つという「核抑止力」の考えは「幻想だ」と批判し、「安全を保証し、核兵器の使用から逃れる唯一の方法は、核兵器を廃絶することだ」と訴えました。核兵器にせよ、沖縄の米軍にしろ、憲法九条を変えようという動きにせよ、軍事力の保有あるいは強化は軍拡競争をあおるだけであり、それが戦争抑止に役立つとの考えは、パンギムン氏のいう通り、幻想に過ぎません。憲法九条こそが真の抑止力なのです。私たちはこのことを肝に銘じて、憲法九条を守り生かす運動をしっかりと進めて行こうではありませんか。
福泉・鳳「憲法9条の会」呼びかけ人代表 多幡 達夫
『憲法九条だより』No. 13(2011年1月1日)から
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