2013年9月30日月曜日

『日本国憲法を口語訳してみたら』など3冊:憲法を身近なものにする本


 インターネット上で評判になった憲法の「超・口語訳」(2013年5月14日付け本ブログの記事で紹介)が、先般、塚田薫著・長峯信彦監修『日本国憲法を口語訳してみたら』として、幻冬社から出版されました。2013年9月29日付け『しんぶん赤旗』読書欄の「口語訳や『萌えキャラ』で日本国憲法を読んでみる」という記事が、次のように紹介しています。

 『日本国憲法を口語訳してみたら』は、法学部で学ぶ大学生が、前文や条文を分りやすい日常語で口語訳したものです。たとえば、第13条はこうなります。
俺たち国民は、みんな個人としてちゃんと扱われる価値があるし、すべての人は自分なりの幸せを追い求める権利があるんだ。このためにこそ、政治家はがんばってくれよ。でも国民も権利があるからといって、横着はすんなよ。お前に権利があるように、人様にも権利があるんだからな。
確かに、分りやすくて、面白くなっています。一見やさしく書き換えているだけのように見えますが、憲法の原文にあるキーワードなどは,なるべく原型を残し、概念がゆがまないように口語訳したとのことです。(紹介文は若干の省略と書き換えをしました。なお、著者の塚田さんは、単行本発行に当たって、「現行のネット版からは、かなり変っています。いうならばバージョン2」という旨をブログに書いています。)

 上記の記事は、このほかに、森田優子著・法学フユーチャー・ラボ編『Constitution Girls 日本国憲法 萌えて覚える憲法学の基本』(PHP研究所)と『日本国憲法』(小学館)を紹介しています。前者は、さまざまなコスチュームのキャラクター(萌えキャラ)が各条文を語り、隣ページでその条文の意味と背景、判例や論点などを解説しており、イメージから憲法を理解していけるように書かれたユニークな本、と評されています。また、後者は、たくさんの写真を条文の間に盛り込んでいて、子どもたちが、憲法と私たちの暮らしの深いつながりに気づいていけるようになっている、と紹介されています。

 これらの本の紹介記事を書いた西村美智子さん(教員)は、文末に、「大勢の人が『日本国憲法』の崇高な理念と一言一言の深い意味に気づき、主権者として賢明な判断・選択をしてほしいと願う」と記しています。

多幡記

2013年9月29日日曜日

改憲の動きを総批判:「96条の会」シンポジウム


 憲法改正の手続きを緩和する憲法96条改定に反対する憲法学者らでつくる「96条の会」のシンポジウムが、「国際社会のなかの憲法」と題して、9月28日、東京・国際基督教大学で開かれました。パネリスト、学生、同会発起人らが、自民党の憲法改正草案など改憲の動きを鋭く批判しました。96条の会は5月に発足し、シンポジウムは、今回が3回目です。

 同会代表の樋口陽一・東大名誉教授は、開会あいさつで、衆参それぞれの総議員の2/3以上とする改憲の発議要件について「改憲勢力にとって難関であることは参院選(の投票結果)が実証した」と指摘しました。また、集団的自衛権の行使へ憲法解釈の変更を求める動きを、「裏門から突破しようとする動き」と批判し、「何が何でも押し通そうとする姿勢」に警告を発しました。

 基調講演をした奥平康弘・東大名誉教授は、安倍政権の特定秘密保護法案について、「9条改悪とリンクした改憲の布石」と指摘しました。さらに、同法案は「今まで考えられなかった刑罰を一般の市民に科そうとしている」と述べ、政治の現状について市民が向き合い、「考える」ことの重要性を説きました。

 パネリストの阪口正二郎・一橋大学教授は、自民党の改憲草案について、憲法の個人主義を転換するものであることや、「(現行憲法に対する)決別宣言」の内容であり、「憲法の性格を清算しようとしている」ものであることを述べました。

 同じくパネリストの辻村みよ子・明治大学教授は、憲法改正手続きの難易度を諸外国と比較し、日本は特別に改憲手続きが厳しいという改憲派の主張に反論しました。そして、「国民投票をしやすくし、国民主権を回復するものだというが、国民代表による熟議がまず必要」と強調しました。

 (以上、9月29日付け『しんぶん赤旗』記事「自民の改憲論に反論:「96条の会」がシンポ開催」と、96条の会オフィシャル Web サイトを参考にしました。)

多幡記

2013年9月28日土曜日

安倍首相の「積極的平和主義」は平和学への無知を示す


 安倍首相が先日、アメリカの保守系のシンクタンク「ハドソン研究所」が開いた会合で英語で演説し、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の見直しに理解を求めた上で、「積極的平和主義」の立場からアメリカと連携して世界の平和と安定に貢献していく決意を示したことが報道されました( 9月26日付け NHK ニュース「首相 『積極的平和主義』で世界に貢献」など)。

 報道によれば、首相のいう「積極的平和主義」とは、わが国が集団的自衛権を容認し、アメリカとの軍事的連携を強めていくことなのです。このような、武力に頼る政策は、「平和主義」の名に値しないのではないでしょうか。

 平和学が専門の立命館大学名誉教授・安齋育郎さんの「今、『平和』はどうとらえられているか?」という説明によれば、「戦争のない状態」という意味での平和は、「消極的平和」と呼ばれ、こんにちでは、「平和」の概念はもっと広くとらえられ、「構造的暴力のない状態」を「積極的平和」と位置づけるようになっているということです。そして、「構造的暴力」については,次のように説明されています。

 ノルウェー出身の平和研究者であるヨハン・ガルトゥング博士は、人間の能力が全面的に開花するのをさまたげている原因を「暴力」と呼び、それが、社会のありように根ざしている場合には、「構造的暴力」と呼びました。飢餓・貧困・社会的差別・不公正・環境破壊・差別・教育や医療政策の遅れなどによって人間の能力の開花が妨げられるならば、一人ひとりが豊かに自己実現を遂げることができません。

 現在、多くの平和研究者が、このような「自己実現が妨げられている状態」は「平和ではない」と考えるようになってきており、現代平和学は、「直接的暴力」だけでなく、「構造的暴力」のない社会、すなわち「積極的平和」の保たれる社会を実現するための実践的な研究だと考えられているのです。

 平和学のこのような「積極的平和」の意味からいえば、安倍首相の「積極的平和主義」発言は、平和学に全く無知であることを世界にさらけ出したものといわなければなりません。

 なお、首相の発言は、マスコミがその危険な狙いを報道していない、日本国際フォーラムの提言「積極的平和主義と日米同盟のあり方 」(2009年10月)に基づいていることが、インターネット上で指摘されています。

 (安倍首相の「積極的平和」の誤用については、フェイスブックの友人 A・Y さんの指摘で気づかされました。ここに記して、感謝します。)

多幡記

2013年9月27日金曜日

ナチスと安倍政権:赤川次郎さんが類似性を指摘


 『図書』誌、2013年10月号 p. 48 に掲載の「禁じられた大人の遊び」というエッセイで、作家の赤川次郎さんが、「ナチスの手口に学べという麻生副首相の発言は、原発事故に匹敵する『大惨事』」と呼んで、ナチスと安倍政権の類似性を指摘し、安倍政権を鋭く批判しています。

 赤川さんは、まず、ナチスの占領下のフランスで作られたナチスに協力的なヴィシー政権が、フランスの国是「自由・平等・博愛」に替えて「労働・家庭・祖国」をフランスの目標にしたが、このヴィシー政権の三つの柱は、そのまま安倍政権の目指す「美しい日本」に重なる、と述べています。

 次に赤川さんは、ヒトラーが経済的苦境への人々の不満を吸収して人気を高め、暴力への恐怖で人々を黙らせた点でも、「アベノミクス」という内容のない言葉で支持を受けた安倍政権はよく似ているとし、「人々を黙らせる」を思わせる、選挙演説中のプラカード没収事件についても述べています。

 上記の事件について、インターネットで検索してみると、2013年7月14日付け『東京新聞』朝刊「こちら特報部:ニュースの追跡」欄の「首相の考えを聞けないの? 参院選演説で聴衆のボード没収」と題する記事で報道されていたことが分りました。その記事のリード部分は次の通りです。
「原発廃炉に賛成?反対?」。安倍晋三首相の街頭演説で、女性(40)がこんな質問ボードを掲げようとして、没収された。掲げる前に、自民党スタッフや警察官を名乗る男性4人に取り上げられた。この様子の動画はインターネットで公開され、「言論封殺か」と疑問の声が噴出する騒ぎになっている。[記事全文はこちらに引用されています。]
この事件は「安倍政権の素顔をさらした出来事として、もっと問題にされるべきだった」と、赤川さんは述べ、「思想・信条の自由」を警察が自ら否定したもの、と批判しています。

 赤川さんは最後に、「汚染水の膨大な流出に何の手も打てずにいる原発事故への無責任な」姿勢の安倍政権が、「この現実を無視して他国へ原発を売り込むのは正に『禁じられた遊び』」と、厳しく非難しています。

 ここで、赤川さんのエッセイの題名を思い出して下さい。そして、エッセイの前半に、ルネ・クレマン監督の代表的映画『禁じられた遊び』のブルーレイ版には、「存在すら知らなかった別のオープニングとエンディングが収録されていて驚かされた」という話があったことを付記して初めて、題名から結語までのつながりがご理解いただけるでしょう。——推理小説家のエッセイを推理小説風に紹介してみました。

多幡記

2013年9月26日木曜日

「秘密保護」法は日本国憲法を形骸化させる:右崎正博教授


 独協大教授・右崎正博氏(憲法学)は、「秘密保護」法について、「日本国憲法の国民主権、平和主義、人権保障という基本的人権に根本的に矛盾し、憲法を実質的に否定するものとならざるをえない」と批判しています。2013年9月25日付け『しんぶん赤旗』が、氏の談話を掲載しました。以下に氏の批判の要点を紹介します。

  • 国民主権原理の後退:国民主権のもとでは、国民が国政のあり方について最終的な決定権を持っていますが、そのためには国民が国政に関する事項について十分な情報を持つ必要があります。ところが、秘密保護法は、国の安全保障にかかわる重要な情報を「特定秘密」としてアクセスを制限し、漏えい等の行為を禁止するものです。これでは、国家の命運や国民生活への影響が重大である情報ほど国民の目から遠ざけられることになり、国民主権原理は後退させられます。
  • 平和主義との関係と範囲増殖の危険:戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認をうたっている9条のもとでは、軍事的機密は容認の余地がありません。実際には9条のもとでも、「防衛」の範囲に限定した秘密の保護が現行法で規定されています。しかし、秘密保護法の「特定秘密」は、防衛だけでなく、外交、テロ活動にまで範囲を広げており、その規定は概括的で、範囲が増殖していく危険もあります。
  • 人権保障上の問題:人権保障の観点でも、プライバシーの権利(13条)、思想・良心の自由(19条)、表現の自由(21条)などと衝突します。「特定秘密」の漏えいが処罰の対象となれば、表現の自由を支える「報道の自由」や「知る権利」が侵害されることになります。「特定秘密」を扱う者だけでなく、その親族等のプライバシーや思想・信条に関する事項まで国家が調査する「適性評価制度」も、プライバシーの権利や思想・良心の自由に対して深刻な問題を起こします。

 右崎氏は「日本国憲法をこのように形骸化させる秘密保護法を許していいのか。民主主義が試されている問題として、国民一人ひとりがこの問題を受け止める必要がある」と訴えています。

多幡記

2013年9月25日水曜日

この秋の臨時国会は重大:「九条の会」メルマガ第173号


 「九条の会」メルマガ第173号(2013年9月25日付け)が発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。

他にも多くの記事が掲載されています。以下に、編集後記を引用して紹介します。
編集後記~この秋の臨時国会は重大です

 政府が10月15日開会と予定している臨時国会では、特定秘密保護法案や、国家安全保障会議設置関連法案、改憲手続き法修正案などが議論される予定です。いずれもが憲法とこの国の進路を左右する超重要法案ですが、政府が予定する審議時間は年末までのわずかな期間しかありません。これでは国民無視の暴走というほかありません。9条が生かされ、実現される方向をめざして、積極的に発言し、市民との対話を積み重ね、行動していきたいものです。

 なお、メルマガ読者登録はこちらでできます。

2013年9月24日火曜日

「集団的自衛権」国際法上も国内法上も根拠なし:新井章弁護士


 安倍首相らは「集団的自衛権の行使」は「国際法上も国内法(憲法)上も認められている」と主張しています。しかし、どちらにも行使の根拠がないことを、新井章(あらい・あきら)弁護士が、2013年9月24日付け『しんぶん赤旗』紙上で説明しています。以下に、その説明の要点を記します。

 安倍首相らのいう国際法上の根拠とは、国連憲章51条を指していますが、同条が認める国連加盟国の自衛行動は、あくまで安全保障理事会が国際平和の維持に必要な措置をとるまでの、一時的・限定的な緊急措置にとどまるものです。

 また、この条項は、旧来の自衛武力の行使にこだわる加盟諸国の要請をかわしきれないで、書き残されたものであり、これを根拠とした自衛行動は、国連憲章の大原則である国連中心主義に背を向けた、好ましくないものといわれても仕方がありません。さらに、憲章51条にある「集団的自衛の固有の権利」という言葉も、外交的な駆け引きの「所産」といわれている導入経緯があり、「国際法上」の根拠としては、重みを欠くものです。

 より重要なことは、仮に憲章51条が「集団的自衛権の行使」の「国際法上の根拠」を与え得るとしても、それが「日本国憲法上の正当性(適法性)」にはならないということです。「集団的自衛権の行使」を主権国家としてわが国が承認するかどうかは、わが国独自の判断に属することです。わが国政府が半世紀にわたって堅持して来た「国内法的には、憲法9条の制約があり、集団的自衛権の行使は許されない」とする憲法解釈は、改変される理由がないと確信しています。

 [新井弁護士は、1955年代半ばの砂川事件以来、百里基地訴訟、長沼ナイキ基地訴訟など憲法にかかわる裁判にたずさわり、家永教科書裁判では弁護団の中心となりました。1991年茨城大教授。著作に「憲法第九条と安保・自衛隊」(日本評論社、1981)などがあります。("kotobank"「新井章」を参照しました。)]

多幡記

2013年9月23日月曜日

高橋哲也氏「自民党改憲草案は明治憲法と同じ精神に立つ」と批判:九条科学者の会講演会


 安倍首相が集団的自衛権を認める憲法解釈を進めようとするなか、九条科学者の会は9月21日、東京の明治大学で、秋の講演会を開催し、高橋哲也・東京大学大学院教授が「安倍政権を問う—憲法と歴史・福島と沖縄」と題して講演しました。

高橋氏は歴史認識をめぐる日本とドイツの政治の違いにふれながら、安倍首相の一連の発言に明確な根拠がないことを示し、「そこにあるウソを見抜いて、批判の声を向けることが大事だ」と述べました。

また、高橋氏は「安倍首相の復古的な発言は自民党の改憲草案と重なっている」として、改憲草案が天皇を「元首」にし、国民の権利を「公の秩序」の範囲に限定するなどの問題を指摘しました。

さらに、改憲草案は、「人類普遍の原理」に基づく日本国憲法を捨てて、わが国を明治憲法と同じ精神に立った「天皇を戴(いただ)く国家」に転換するものだと批判しました。

(2013年9月23日付け『しんぶん赤旗』の記事「自民党改憲草案を批判 九条科学者の会が講演会」を参考にしました。)

多幡記

2013年9月22日日曜日

「安倍首相のパフォーマンスで汚染水漏れは解決できない;平和憲法と9条の精神こそが大事」:安斎育郎氏スピーチ


 昨9月21日、憲法9条京都の会が京都市下京区のシルクホールで「つどい」を開き、会場にあふれる900人以上が参加しました。同会代表世話人として、立命館大学名誉教授・安斎育郎氏とノーベル賞物理学者・益川敏英氏がスピーチを行い、9条の会の小森陽一事務局長が、「憲法のあらたな動きとこれに対決する私たち」と題する講演をしました。野田淳子さんが歌を披露しました。

安斎氏は、「安倍首相のパフォーマンスで汚染水漏れは解決できない。憲法9条改悪の延長線上で、原発の技術が核兵器開発に利用される懸念がある。平和憲法と9条の精神こそが大事だ」と述べました。

益川氏は、「自民党政府は本腰だ。これまで憲法9条を変えるのは願望であったが、いまやタイムテーブルに乗る具体的な課題だ」と指摘。そのうえで、憲法96条を変え改憲のハードルを下げる動きに触れ「わけのわからないうちに変わっていたということが起こる可能性がある。この会の存在をもっと広い方がたに広めることが非常に重要な時期に来ている」と訴えました。

[9月22日付けの、『しんぶん赤旗』の記事"Independent Web Journal" の記事を参考にしました。後者には、Ustream 録画(2時間38分)が、一定期間内掲載されています(掲載期間終了後は、会員限定記事となります)。]

多幡記

2013年9月21日土曜日

9/21「憲法9条京都の会」結成5周年記念・講演・ライブ&全体会:益川敏英さんのスピーチも


 表記のつどいが、きょう、2013年9月21日に開催されます。

【日 時】 2013年9月21日(土)開場 13:30、開会 14:00
(~16:30 閉会予定)
【場 所】 シルクホール(京都産業会館8階)
【参加費】 無料(*会場カンパをお願いすることがあります)
【主 催】 憲法9条京都の会 http://9-kyoto.net
(より詳細はチラシのイメージをクリック・拡大してご覧下さい)

 結成5周年を迎えた憲法9京都の会は、地域・職場・分野等の「9条の会」や「京都の会」賛同団体のみなさんと一緒になって、文字通り草の根から "生かそう憲法 守ろう9条!" の声を起こし広げるとりくみを、ねばり強く進めてきました。 今、憲法は制定以来の岐路に直面しています。9条の会の活動がいよいよその本領を発揮することが求められています。"9条 京都のつどい" を成功させ、この憲法危機を突破するスターととしましょう。

 "つどい" には、代表世話人の有馬頼底さん、安斎育郎さん、益川敏英さんがそろって参加しスピーチします。記念講演は小森陽一さん(九条の会事務局長)、そして野田淳子さんのミニライブと豊かな企画です。成功にむけて、ぜひみなさんのご協力を呼びかけます。

(文責・多幡)

2013年9月20日金曜日

「96条改定に反対し、9条守ろう」:宗教者共同声明の賛同、1万人超える


 宗教者が宗派・教派を超えて「憲法96条の改定に反対し、憲法9条を守ろう」と呼びかけた宗教者共同声明(2013年7月4日付けの本ブログ記事でも紹介)の賛同者が、このほど目標の1万人を超え、9月19日、宗教者らが国会内で集会を開きました。

 集会では、「憲法9条は96条とともに絶対に守りましょう。これだけは何があっても曲げてはいけません」(有馬賴底さん・臨済宗相国寺派管長)などのメッセージが紹介されました。

 また、主催者あいさつで、呼びかけ人代表の宮城泰年さん(聖護院門跡門主)は、「96条を変えることは、憲法そのものを壊してしまおうという、安倍首相の企てが見えます。後に悔やまれる日本を作ってはならない」と述べました。

 (9月20日付け『しんぶん赤旗』の記事を参考にしました。)

多幡記

2013年9月18日水曜日

ウソで始まった15年戦争:82年前のきょう


 きょう9月18日は、1931年に、日本軍の特務機関が奉天(現在の瀋陽)で満鉄の線路を爆破し、中国軍が爆破したと発表して、「満州事変」をおこし、中国侵略の火ぶたを切った日です。これが、1945年8月15日の日本の敗戦まで続いた、15年もの侵略戦争の発端なのです。

 「満州事変」の背景には、わが国の資本主義の危機を救う道を満州市場の独占と戦争経済に求めたことにあります。折から民族運動が台頭して、「満蒙」地域での市場独占が困難になり始めたという「満蒙問題」を、「武力で解決する」方針を陸軍大臣が打ち出し、内閣も「満州での行動は自衛措置」との声明を出して擁護したのです。

 いま、大企業の繁栄を経済政策の中心に据え、領土問題に対して軍事対抗主義を取ろうとしている安倍政権の動きに、1931年の亡霊が乗り移ってはいないでしょうか。

 [「満州事変」の記述は、加藤文三ほか著『日本歴史 下』(新日本出版社、1978)を参考にしました。]

多幡記

2013年9月17日火曜日

9/21 九条科学者の会・秋の講演会「安倍政権を問う―憲法と歴史・福島と沖縄」(明治大学駿河台キャンパス)


 表記の講演会が次の通り開催されます。

  • 【日 時】2013年9月21日(土)13:30 開場、14:00 開会~17:00 閉会予定
  • 【場 所】明治大学駿河台キャンパス・リバティタワー1011教室
  • 【講 師】高橋哲哉氏(東京大学大学院総合文化研究科・哲学)
  • 【テーマ】「安倍政権を問う―憲法と歴史・福島と沖縄」
  • 【参加費】500 円(資料代)

 チラシ(カラー版)はこちら(1.8 Mb)、白黒版(印刷用)はこちら(1.8 Mb)からダウンロードできます。

(文責・多幡)

2013年9月16日月曜日

危険な秘密保全法案:パブリックコメント受付け〆切9月17日、藤原紀香さんも反対


 安倍政権が臨時国会に提出を予定する「特定秘密保護法案」(仮称)について、内閣情報調査室が9月3日、総務省ホームページのパブリックコメント用に公開したのは、法案の概要にすぎず、その全体像は闇に包まれています。

 概要でも明らかなことは、「特定秘密」の定義や範囲のあいまいさです。「特定秘密」を指定するのは「行政機関の長」となっており、時の権力者の都合や勝手な判断で政府や自衛隊、警察の情報が国民の目から隠されてしまうことになります。戦争準備の軍事情報、原発や警察の不正も隠される危険性があります。

 タレントの藤原紀香さんも、9月13日付けのブログ記事「秘密保全法案って?」にこの法案の問題点を記し、反対の姿勢を示しています。

 この危険な法案に対して、9月17日に受付けを閉め切るパブリックコメントにどんどん意見を送りましょう。パブリックコメントはこちらから送ることができます。

 参考:安倍政権動き急 秘密保全法案の闇、しんぶん赤旗、2013年9月5日。

 おわび:本記事を投稿した16日を、表題と本文において、閉め切り日の当日と勘違いして、「きょう」と書きました。訂正し、おわびします。

多幡記

2013年9月15日日曜日

九条科学者の会パンフレット「私たちは安倍内閣による改憲に反対します! 自民党改憲案のここが問題!」


 九条科学者の会がパンフレット「私たちは安倍内閣による改憲に反対します! 自民党改憲案のここが問題!」を発行しています。表紙とも、全8ページ(上のイメージはその表紙)で、こちらからダウンロードできます(3.7 Mb)。内容は次の通りです。

  • 改憲派議員の激増で憲法が重大な危機に
  • 本当に憲法を変えていいのでしょうか?
  • 平和主義を放棄しアメリカ追随の軍事大国に
  • 基本的人権よりも「公の秩序」?
  • 憲法を生かすことこそ必要
  • 「96条改正」は全面改憲への入り口
  • いま憲法を守るために立ち上がろう

 印刷版をご希望の方は、同会事務局(E-mail: m-office@9-jo-kagaku.jp、Fax: 03-3811-8320)までご連絡ください。

(文責・多幡)

2013年9月14日土曜日

「We Love さかい 堺をまもろう!」:「住みよい堺市をつくる会」がホームページ作成


 全国注視の堺市長選挙(9月15日告示、29日投票)にむけて、維新の会による “堺市つぶし”、“堺市のっとりノー” という立場から、現・竹山おさみ市長を応援する「住みよい堺市をつくる会」が、ホームページ(http://sumiyoisakai.net/)を立ち上げ、積極的な活用を呼びかけています。

 ホームページは「We Love さかい 堺をまもろう!」野スローガンを前面に押し出し、図や表を使って「大阪都」構想の問題点を分りやすく解説しています。ツイッターやフェイスブックで拡散できる機能も充実しています。情報拡散に協力しましょう。

(文責・多幡)

2013年9月13日金曜日

9条国際会議(10/13、関西大学千里山キャンパス)、9条世界会議・関西2013(10/14、大阪市中央体育館)


日本国憲法9条を世界から考えてみませんか
9条国際会議
  • 日時:2013年10月13日(日)10:00〜16:30
  • 場所:関西大学千里山キャンパス第1学舎
 憲法9条を変えて日本が海外で戦争できる国になることは、東アジアの平和と安全に不安をよびおこします。「紛争は武力ではなく話し合いで解決しよう」という平和条項を持つ憲法は、世界の国々で増えています。その先頭を走っているのが「日本国憲法9条」です。1999年のハーグ平和市民会議や2006年のバンクーバー世界平和会議でも、9条は高く評価されています。「9条世界会議・関西2013」の前日に開催される「国際会議」で、平和を求める世界の人たちと、9条のもつ意義を確認しましょう。
  • 参加協力費:1000円、学生無料
  • 申し込み:事前申し込みが必要。FAXのみで受け付けています。裏面に申し込み書付きのチラシをこちらでダウンロードできます。第1〜第3分科会の内容、海外・国内ゲスト、会場へのアクセスについてもチラシでご覧になれます。
  • 主催:9条世界会議・関西2013実行委員会
       Tel 06-6966-9003
       ホームページ http://www.9jou-kansai.com/


WAR IS NOT THE ANSWER
めっちゃええやん! 9条

9条世界会議・関西2013
  • 日時:2013年10月14日(月・祝)10:00〜16:30
  • 場所:大阪市中央体育館
 世界中の平和を求める人たちとともに、9条のもつ意義を確認しましょう。そしてみんなで「9条を変えるな!」「9条を世界の平和のために生かそう!」とアピールしましょう。
  • 参加協力費:一般=1000円、大学・専門学校生=500円、高校生以下=無料、介助者=無料 (手話通訳あり)
  • 詳細:こちらでダウンロードできるチラシをご覧下さい。第2面にプログラム、呼びかけ人、会場へのアクセスなどが掲載されています。
  • 主催:9条世界会議・関西2013実行委員会
       Tel 06-6966-9003
       ホームページ http://www.9jou-kansai.com/

2013年9月12日木曜日

りんごを齧りながら

詩・浅井千代子(本会世話人)



口の中は        
皮ごと齧ったりんごで一杯     
がぶりしゃきしゃき      
頭の中は         
近頃とみに鼻息荒いアベちゃんで一杯   
祖父岸信介の改憲の志を     
自分が実現させるんだって       
しゃきしゃき        
国防軍だの集団的自衛権だの      
苦苦しいこの国の先行き 
私は絶対許さない
しゃきしゃきっ
あっ!! 危うく舌を噛むところ

それにしても      
古里信州のりんご           
しみじみ心に沁みるこのやさしさよ 

『憲法九条だより』第21号(2013年9月3日)から
挿絵・多幡達夫

2013年9月11日水曜日

戦争体験を語る:泉谷ミサノさん(2)

[「戦争体験を語る:泉谷ミサノさん (1)」はこちら

「戦争は絶対にしたらいかんです」


泉谷ミサノさん(鳳東町)

疎開先での暮らし

 半年ほどしてそこから3里山奥に入った辺ぴな集落、父の生まれた村で蔵を借りることができました。昼でも中は薄暗く、電気もまだ集落にはきていませんでした。煮炊きや洗濯の水は川の水でした。風呂もなく、隣近所に順番にもらいに行きました。山深い田舎ですから山菜もあり、道ばたの草もあり、食べるものは何とかありました。

 ここで田を借りて農業を始めました。田といっても股の辺りまでずぶずぶと入り、ヒルがいつの間にか体のあちらこちらに入り込んで血を吸うような、そんな田んぼしか貸してもらえませんでした。家計のことはよく分かりませんが、町内会からよく買わされた国債は紙切れ同然となり、貯金だけでやっていたと思います。自分も働いて貯めた貯金は持っており、親に支援を受けたことはありませんでした。

父の死

 農家の「木っ葉」(注:長男以外の男の子のこと)である父は、生家からは何の援助も受けることのできないまま、働き通し、普通の生活もできず、電気もきていないその家で、少し患っただけで病死しました。58歳でした。3里ほど離れた駅前に医院はあったが、呼ぶ馬車代もなく、医者に診てもらわないまま死んでしまいました。この頃のことは二度としたくない話です。

終戦

 終戦をむかえたのは、お寺に寝泊まりしていたときでした。8月14日に仕事の面接に行きましたが、不採用を告げられ,翌15日に帰ると、寺に20人ほど集まっていました。そこで玉音放送を聞きました。よく聞こえましたが、蝉の声が異常にやかましかったことも覚えています。

 そのときの気持ちは、「やれやれ、負けたか…」という、あきらめというか、うれしくも悲しくもない気持ちだったように思います。まわりの農家の人たちは淡々として、そんなことより肥料の代わりにイワシを田んぼにまく段取りの方を気にしていたように見えました。

戦後

 父が亡くなり農業も続けられなくなり、母は二番目の妹の養女先である母の弟を頼って大阪北浜へ出てきました。私や妹たちも順々に頼って、そこで暮らすようになりました。家は狭く大変だったですが、お風呂はありました。昭和24年(1949年)は、まだまだ戦後の食糧難の頃でしたが、母の弟は食堂をやっており、おかげさまで、食べ物にはそこそこ恵まれました。

戦争とは惨めなもん

 いまの私は幸せ者です。4人姉妹の3人が80代に入り、年はとりましたが、いまでも仲がよく元気で、毎週のように電話をしたり、旅行をしたりしています。また1人旅も楽しみで、大好きなお城見物に1人でゆっくり行ったりしています。

 戦争の時代を生き延びてきた私の人生を振り返ってみても、戦争は絶対にしたらいかんです。いつだったか大阪城にある「ピースおおさか」の見学に行って、写真を見たり「すいとん」をよばれたことがありました。私は空襲など怖いめをしたことはありませんが、それでも戦争とは惨めなもんです。戦争がなければもっともっと楽しい人生だったと思うけど。戦争とはおかしなものや。戦争が強い人間にしてくれたし、平和のありがたさを教えてくれたんやとも思います。(完)

(インタビュー、小倉・荒川、2012年5月22日)

『憲法九条だより』第21号(2013年9月3日)から

2013年9月10日火曜日

「九条の会」メルマガ第172号;品川正治さん、ありがとうございました


 「九条の会」メルマガ第172号(2013年9月10日付け)が発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。

 「事務局からのお知らせ」として次の記事などがあります。
他にも多くの記事が掲載されています。以下に、編集後記を引用して紹介します。
編集後記~品川正治さん、ありがとうございました

 経済同友会終身幹事の品川正治さんが8月29日、亡くなられました。89歳でした。大変残念です。品川さんには全国各地の九条の会で熱のこもった講演を沢山して頂きました。戦争体験者としての品川さんのお話は聴く者に不戦・九条擁護の思いをしっかりとかためさせて下さいました。私たちはご遺志を受け継ぎ、折からの安倍首相らの改憲暴走に対決していきたいと思います。どうぞ安らかにおやすみ下さい。
 来月15日から臨時国会が始まるようです。集団的自衛権の憲法解釈の変更につながる国家安全保障会議(日本版NSC)設置関連法や、特定秘密保護法などの動きを阻むために互いに力を尽くしたいと思います。

 なお、メルマガ読者登録はこちらでできます。

2013年9月9日月曜日

武力で平和は築けない:「集団的自衛権」行使容認の危険な企て



憲法を生かして世界の平和に貢献することこそ
日本が進むべき道


本会世話人 井﨑 孝子

 戦争放棄と戦力不保持を掲げた憲法9条を変え、日本を再び「海外で戦争する国」に作りかえようとする安倍政権。その一歩として、歴代政権が「憲法上できない」としてきた集団的自衛権の行使を、年内にも可能にしようとしています。

 集団的自衛権とは何なのでしょうか。

 それは、日本が攻撃されていなくても他国が起こす戦争に自衛隊も参戦できるという内容です。

 「集団的自衛権の行使」と主張された主な軍事行動には、
  • 1956年 旧ソ連によるハンガリー軍事介入
  • 1958年 アメリカによるレバノン軍事介入
  • 1958年 イギリスによるヨルダン軍事介入
  • 1964~75年 アメリカによるベトナム戦争
  • 1979年 旧ソ連によるアフガニスタン戦争
  • 1990~91年 イラクのクゥェート侵攻に対する湾岸戦争
などがあります。

 安倍首相が8月はじめ、憲法解釈を担当する内閣法制局長官を交代させ、「集団的自衛権」行使容認派といわれる小松一郎氏を長官に据えたのは、行使の容認に踏み出す布石です。安倍政権の危険な企てをやめさせることが大切です。

 世界でもいま、戦争ではなく平和的、外交的努力で問題を解決することが流れです。

 憲法を生かしてアジアと世界の平和に貢献する道こそ日本が進むべき道ではないでしょうか。

(上 在住。絵手紙も井崎さんの筆)

『憲法九条だより』第21号(2013年9月3日)から

2013年9月8日日曜日

原水禁世界大会に参加して:村上弦大さん


ぼくらは微力でも無力ではない

村上 弦大

 皆様には、カンパなど活動していただき、ありがとうございます。長崎の原水禁世界大会に参加して、とても充実した3日間をおくることができました。

 その中でも、ぼくの印象に一番残っていることは、オリバーストーン監督らの存在です。アメリカの中にも核に反対する人がいるということ、その人たちと交流することで、実際に考えさせられることが多くありました。

 また、韓国をはじめ、多くの外国の方も来られ、核の根絶を訴えていました。日本だけでなく、このように多くの国が行動を起こせば、次回のニューヨーク会議、その次の会議ぐらいには、核が完全に地球からなくなるのではないかと思います。

 その他に、開会の式の言葉に「行動せずして、変化はありえません。ひとりひとりが地元に帰り、何か一つでも行動を起こしてください」というのがありました。ぼくらは微力ではありますが、無力ではありません。何か少しでも行動を起こさないといけないな、と感じました。

(鳳南町 タンポポ薬局・薬剤師)

『憲法九条だより』第21号(2013年9月3日)から

2013年9月7日土曜日

9/13 緊急学習集講演会「大阪維新の会と堺市」:堺市民会館で


 表記の集会が2013年9月13日(金)14:30 から、堺市民会館(アクセスの説明や地図はこちら)小集会室で開催されます。参加費は不要です。詳細は上掲のチラシのイメージをクリック・拡大してご覧下さい。

(文責・多幡)

2013年9月5日木曜日

西谷文和さんが笑福亭竹林さんと橋下大阪市長批判を語る[動画]


 本会の学習会でおなじみのジャーナリスト・西谷文和さんが、「[笑福亭]竹林と語ろう都構想」シリーズで橋下大阪市長を批判している動画 Part 1 〜4 を、以下の通りインターネットでご覧になれます(各題名をクリックして下さい)。


 (ブログ「【堺からのアピール】教育基本条例を撤回せよ」の記事を参照しました。)

多幡記

2013年9月4日水曜日

戦争体験を語る:鳳東町 藤田 均さん

 [この記事は2011年1月17日付けで、ブログサイト「福泉・鳳 憲法9条の会 2」に掲載したものを、こちらへ移行したものです。]

旧朝鮮で経験した敗戦と帰国の苦難


藤田 均さん

 自分は朝鮮(当時)で生まれ育ちました。父は北海道、母は福岡出身ですが、平壌の西南、大同江という内海に面した町、兼二浦(現在の松林市)で昭和10年4月、5人兄弟の3番目としてこの世に生を受けました。

 兼二浦は日本製鉄(後の八幡製鉄)の町で6千人の日本人が暮らしていました。父は社員でしたが、昭和15年病死の後、母が働くようになり、ずっと社宅に住んでいました。町は怖いことも無く、表向きは平和でしたが、日本人が悪いことをしており、朝鮮人は抵抗もせずジッと辛抱していることは、自分のような子どもにも分かりました。例えば、日本人の奥さんがリンゴの入った籠を頭にのせて売っている朝鮮女性の足を引っ掛けて倒し、転がっているリンゴを笑いながら持ち帰るのを見かけたことがありました。

 終戦の日ですが、油をとるための松の根を持って校門に入ったら、校庭で玉音放送が始まるところでした。整列して聞きましたが、雑音で校長先生も内容が分からなかったようです。1~2時間後に日本が戦争に負けたと知りました。社宅は何時もどおり平静でした。間もなく、日本の神社が燃やされたり、朝鮮人の戦勝行列が近くを通ったりしましたが、日本人が危害を加えられることはありませんでした。

 8月30日頃「2~3日で帰らせるから身の回りのものを持って集まれ」と、刑務所跡らしい施設に連れていかれ、翌四月まで8ヵ月隔離されました。4畳半程度の部屋に兄弟5人と母と叔父と祖母の9人が入れられましたが、まだよい方でした。出入り口は北朝鮮保安隊が見張っていましたが、施設内は自由で、身の危険を感じることはありませんでした。食べ物はサツマイモ一切れや、固いとうもろこしでした。寒いし何もすること無いしお腹はすくし、辛い期間でした。ここでは栄養失調で亡くなったり、女の子が目が見えなくなったり、男の子が歩けなかったり、発疹チフスが発生したり、弱いものから食べ物を取り上げるなど悲惨なことを見たり聞いたりしました。

 氷が溶け出した頃、集団で夜中に船や汽車での脱出が始まりました。たまに失敗して連れもどされたところも見かけました。自分は北朝鮮保安隊から帰国許可を得た病人部隊に、盲目の叔父叔母と加わりました。20歳の叔父が隊長になりました。母や兄弟は2日前の夜、船で脱出していました。自分には何も告げていませんでした。無事に日本へ帰れるか、再び親子が出会えるか分からない中、母なりに考えた辛い決断だったのでしょう。


 4月10日「兼二浦駅」から汽車に乗り、「黄海黄州駅」で降りて宿に泊り、保安隊の臨検を受けました。翌朝再び汽車に乗り、38度線近くの「海州駅」に向かいました。駅に止まるたびに隊長の叔父が駅員に包みを渡すのを窓から見ていました。受けとらなくても「気をつけて!」という駅員さんもいれば、受け取っても悪態つく駅員さんもいました。叔父はどんな人にもぺこぺこと頭を下げ続けていました。「海州駅」にロシア軍がいるからと、二つ手前の駅に降り、小さい家で40人が座ったまま寝ました。

 この民家は38度線のわずか北に位置し、翌日から国境を越える苦しみが始まりました。明るくなって出発。ぬかるみの赤土農道を病人は荷車で。途中から雨で、さらにヒョウが混じり、リュックの芯までボトボトになっても歩き続けました。寒かった記憶はありません。それほど緊張していたのだと思います。40人の列もバラバラになり、立ち止まったり引き返したり…。夕方になってやっと一軒の農家に全員揃いました。区切りはなかったですが、どうやらこの民家は国境線の中だったようです。翌日もロシア軍と北朝鮮保安隊に見つからぬよう、農道を歩き続けました。

 2日間歩いて南鮮の「泉決駅」(多分)に着き、有蓋貨車に詰め込まれ、2日間ほどかかって「ソウル駅」に着きました。4月15日と記憶しています。南鮮でも食べ物はなくコーリャン、キビ、大豆が少し入ったお粥が大人子どもの区別なく配られました。誰一人苦情も言わず、トラブルも無く、静かに行動していました。「日本へ帰りたい」、「日本は戦争に負けたのだからおとなしくしないといかん」と不安に思っていましたが、朝鮮人から嫌がらせをされたことはありませんでした。

 「ソウル駅」から有蓋貨車に乗せられ、40人揃って「釜山駅」へ着きました。そこで偶然母と再会できました。引き上げ船で福岡に上陸したのが昭和21年4月18日。朝鮮にいるとき「日本は美しい国だ」としつこく言われていました。上陸して生まれて初めて見た日本は、一面焼け野原で美しくはありませんでした。(元自治会長)

(聞き手と写真=小倉)
『憲法九条だより』No. 13(2011年1月1日)から

2013年9月2日月曜日

オリバー・ストーン監督、沖縄県民に共感し基地反対運動を激励:ジャパン・タイムズ紙


 2013年8月22日付けの英字紙ジャパン・タイムズは、ジョン・ミチェルのオリバー・ストーン沖縄同行記を一面に掲載しました。このほど、その和訳が、ピース・フィロソフィー・センターのブログに掲載されました。

「基地を持つ理由はもうありません」

 その記事によれば、日米の戦いに巻き込まれた沖縄の民間人たちが、隠れられる場所ならどこにでもと逃げ込んだ場所の一つ、轟の壕(とどろきのごう)と名付けられた洞窟を見て、ストーン監督は、「戦争は恐ろしい」と、率直な言葉を発しています。また、辺野古座り込みテントの人々に、「沖縄は神聖な島であり、多くの人々にとって、そして世界にとって、大きな意味を持っています。この美しい風景を新たな軍事基地のために開発することに、私は反対です。ここでの戦争は68年前に終わりました。冷戦を戦い続ける基地を持つ理由はもうありません」と語っています。

「私達は抵抗しなければなりません!」

 そして、沖縄コンベンションセンターで開かれたストーン監督の最後の講演では、「1945年以来、アメリカがどうやって極東地域の大部分を支配してきたのか。これはとても奇妙な歴史です。この戦争は決して本当に終わったとは言えません…。私達みんな、アメリカ人も、日本人も、沖縄県民も、あの戦争を突き動かした思考パターンの犠牲者なのです」と語り、「声を上げて抵抗する地域勢力が私達には必要なのです。日本は抵抗しなければなりません…。私達は抵抗しなければなりません!」と呼びかけて、しめくくりました。

「日本とアメリカは戦争が作った無学な孤児のようなもの」

 講演が終わったあと、ベトナム戦争時代はアメリカ軍人で賑わったが今はさびれている那覇の飲み屋で、ストーン監督はジャパン・タイムズ記者に対し、「日本とアメリカはどちらも自国の歴史を奪われている。この二つの国は戦争が作った無学な孤児のようなものだ。その結果、沖縄はどうなった? 沖縄の人たちは自分の歴史をよく知っているようだ」と語ったということです。

 二つの国の政治家たちも国民も、そろそろ「無学な孤児」状態から抜け出さなければなりません。

多幡記

2013年9月1日日曜日

映画「標的の村」:大阪・十三の第七芸術劇場で上映中


2012年9月29日。
アメリカ軍・普天間基地は完全に封鎖された。
この前代未聞の出来事を「日本人」は知らない。


 三上智恵監督によるドキュメンタリー映画「標的の村」が大阪・十三の第七芸術劇場で上映中です。解説、予告編、スタッフ、上映劇場などの詳細は同映画のウェブサイトをご覧下さい。

同映画の解説から:
 日本にあるアメリカ軍基地・専用施設の74%が密集する沖縄。5年前、新型輸送機「オスプレイ」着陸帯建設に反対し座り込んだ東村(ひがしそん)・高江の住民を国は「通行妨害」で訴えた。反対運動を委縮させるSLAPP裁判だ。わがもの顔で飛び回る米軍のヘリ。自分たちは「標的」なのかと憤る住民たちに、かつてベトナム戦争時に造られたベトナム村の記憶がよみがえる。10万人が結集した県民大会の直後、日本政府は電話一本で県に「オスプレイ」配備を通達。そして、ついに沖縄の怒りが爆発した。…

(文責・多幡)