2012年12月30日日曜日

漱石が『それから』に映した日本


 漱石の『それから』の中の、主人公・代助が友人・平岡に対して、自分の働かない理由を述べている箇所に、次の言葉があります。
「…日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでゐて、一等国を以て任じてゐる。さうして、無理にも一等国の仲間入をしやうとする。だから、あらゆる方面に向つて、奥行を削つて、一等国丈の間口を張つちまつた。なまじい張れるから、なほ悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。其影響はみんな我々個人の上に反射してゐるから見給へ。斯う西洋の圧迫を受けてゐる国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、さうして目の廻る程こき使はれるから、揃つて神経衰弱になつちまふ。話をして見給へ大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考へてやしない。考へられない程疲労してゐるんだから仕方がない。精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴なつてゐる。のみならず、道徳の敗退も一所に来てゐる。日本国中何所を見渡したつて、輝いてる断面は一寸四方も無いぢやないか。悉く暗黒だ。…」(青空文庫版による)
『それから』が書かれたのは、1909(明治42)年ですが、漱石の見た日本は、いまの日本をも予想しているかのようです。「西洋の圧迫」は、安保によるアメリカの圧迫に見られ、「道徳の敗退」は、原発事故の悲惨さにもかかわらず、再稼働を求める財界やそれに応じようとする政治家に最も強く見られます。ほかにも、いまの日本と酷似しているところがあると思えてなりません。この国は、明治時代からほとんど進歩していないようです。

多幡記