2014年1月8日水曜日

「あたらしい憲法のはなし」に見る日本国憲法の出発点と前文の重要な意味


 岩波書店発行の『図書』誌2013年12月号の「こぼればなし」欄(編集後記に相当)は、同書店が同年9月に刊行した『あたらしい憲法のはなし 他二篇』(高見勝利・編、岩波現代文庫)にふれています。

 「あたらしい憲法のはなし」は、1947年5月3日 に日本国憲法が施行された年の8月2日付けで、著作兼発行者「文部省」 名義で公にした、日本国政府による公式の「新憲法」の解説で、学校生徒児童を主対象に広く配布されたものです。日本ペンクラフも、いま「この史料、並びに『憲法』そのものが読み直されることを切望する」として、これを憲法全文とともに、PDF版で公開しています(こちら)。

 「こぼればなし」子は、「あたらしい憲法のはなし」の記述を見ると、「明治憲法とは隔絶した新憲法を、子どもからおとなまで全国民の中にどうやって生きた常識として根づかせるか、政府が知恵を絞りに絞っている様子がよくわかります」とした上で、日本国憲法の二つの出発点について述べています。

 出発点の第一は、平和憲法とも呼ばれる日本国憲法の最も深い根となっているもので、「あたらしい憲法のはなし」の中には次の通りに記されています。
いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。
 もう一つの出発点として「こぼればなし」子は、「権力はどんな嘘でもつくし、国民を破滅に導くことも厭わない、だから国民は憲法をもって権力を厳しく縛らなければならない」ということを挙げています。そして、他方、「自由民主党憲法改正草案」(2012年4月「決定」)には、「権力を縛るという発想はほとんど見られない」ことを指摘し、「その点で明治憲法にも遠く及ばない、近代憲法以前の代物」と、厳しく批判しています。

 「こぼればなし」子は、さらに、憲法前文についての「あたらしい憲法のはなし」の説明から、次の部分を引用しています。
これからさき、この憲法をかえるときに、この前文に記された考え方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。
この説明に対応する憲法前文の言葉は、その第1段の末尾にあり、次の通りです。
この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
「こぼればなし」子は、次のように指摘しています。
にもかかわらず、自民党「改憲草案」では「前文」が文章も趣旨もすっかり別のものに書き換えられています。いまや政権を担う公党が、みずからこの憲法をなきものにしようとしているわけで、「憲法尊重義務」はどうなっているのかと疑わざるを得ません。
 前文の上記の言葉に関連して、筆者は、2013年1月に『しんぶん赤旗』に連載された記事「解剖 自民党改憲案」を思い出します。「改憲案」の前近代性は心を暗くするばかりなので、筆者はこの記事をあまりり熱心には読まなかったのですが、最終回に前文の上記の言葉が取り上げられ、次のように記されていたのを読み、希望の光を見出しました。
 これは、仮に憲法改正の手続きを経たとしても、根本理念を否定する「改正」は無効だとする宣言です。
 自民党改憲案は[…]日本国憲法の根本理念を含む全面改悪であり、「排除」されるべき「憲法」です。
 さて、「こぼればなし」子の文に戻りますと、次のようにしめくくられています。
 改憲を掲げる安倍政権は、正面衝突が困難と見て取るや、ただちに実質的改憲に走り出しました。「ある日気がついたら、ワイマール憲法がナチス憲法に変っていた。誰も気づかないで変った」という麻生副首相の発言は、今の安倍政権の狙いを解説するものとしてなら、けだし名言というべきでしょう。私たちは再び「だまされる罪」(樋口陽一氏)を犯してはならないのです。
 この一年を騙されない年にしましょう。

多幡記

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