安倍首相は4月23日の参議院予算委員会で、「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と述べました。6月11日付け『しんぶん赤旗』の「朝の風」欄はこの発言に対し、「日中共同研究の成果を忘れたのか」と題して、学界での事実を一つ紹介しています。その記事の本論部分は次の通りです。
第1次安倍内閣の2006年に日中歴史共同研究を行なうことが合意された。2010年1月に公表された報告書は、時期ごとに日中関係を軸にしたテーマを設定し、日中の研究者がそれぞれ執筆した論文を併載している。日中戦争を扱う近現代史第2部第2章のタイトルは、日本側の論文が「日中戦争—日本軍の侵略と中国の抗戦」、中国側の論文が「日本の中国に対する全面的侵略戦争と中国の全面的抗日戦争」となっている。表現に違いはあるが、日本または日本軍の「侵略」としている点は共通している。この章では、平頂山事件、南京虐殺事件、重慶爆撃、三光作戦、強制連行などの具体的史実についても、日中双方がかなり詳しく記述している。日本側研究者の人選は政府主導で進められたので、座長は北岡伸一氏*が勤めたが、それでも日中戦争を中国への侵略とみる点では一致している。安倍首相は自分がはじめた共同研究の成果を忘れたのだろうか。
* 引用者注:小泉首相の私的諮問機関「対外関係タスクフォース」委員、日本版NSC設置検討のために設置された「国家安全保障に関する官邸機能強化会議」委員、日本の集団的自衛権保持の可能性について考える安倍首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」有識者委員などを歴任した人である。
作家の赤川次郎さんも、『図書』6月号のエッセイ「西部劇における人生の汚点」において、安倍首相の戦争観や武力対抗主義を念頭において、次のように記しています。
鶴見俊輔さんは「戦争に負けた国は戦争を失うことができる」と言ったが、敗戦によって自国の歴史を批判的に振り返ることこそ、戦争の犠牲者への一番の追悼となる。かつて、フォークランド紛争での勝利に狂喜するイギリス国民の映像に、私は「いまだにイギリス人は大英帝国の夢が忘れられないのか」と愕然とし、しばらくは好きなアガサ・クリスティさえ手に取ることができないほど落胆したものだ。国内での不人気を戦争で取り戻す。歴史はうんざりするほどの単純さでくり返すのだ。
過去の侵略の否定や、領土問題に対して武力増強で対応しようとする姿勢などは、日本を「美しい国」にするどころか、世界から疎まれる国にするだけです。
多幡記
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