2013年12月16日付け朝日紙大阪版34面に「別の核声明 日本賛同:被爆者ら戸惑い広がる」と題する記事が掲載されました。この記事はインターネット上には見当たらなくて、代りに、2013年11月23日付けの「(@ニューヨーク)核の非人道性うたう二つの共同声明」という関連記事が見つかりました。後者は朝日紙のニューヨーク支局特派員リポートで、春日芳晃氏が「自分自身の反省を込めて、先月から書かねばならないと思っていた話題を取り上げたい」として書いています。こちらの記事にしたがって、二つの共同声明の相違と、両方に賛同することが何を意味しているかを紹介します。
2013年10月21日、軍縮と安全保障を話し合う国連総会の第1委員会で、「核兵器の人道上の影響に関する共同声明」という題名で、異なる内容の二つの声明が発表されました。一つはニュージーランド(NZ)、もう一つはオーストラリアが起草したものです。
NZ起草の声明については、さまざまなメディアで大きく報じられました。「核兵器がもたらす壊滅的な人道上の影響を深く懸念」し、こうした壊滅的な影響は広島、長崎の使用時から明白だったとした上で、「核軍縮に向けた全てのアプローチと努力を支持する」と表明し、さらに、「いかなる状況においても、核兵器が二度と使用されないことが人類の生存にとって利益」とし、「核兵器不使用を保証する唯一の方法は廃絶である」と宣言しています。NZは、同じ趣旨の共同声明を昨年5月から国際的な討議の場で発表し続け、今回が4回目です。
他方、オーストラリア起草の共同声明は、今回初めて発表されたものです。「核兵器爆発による即時および長期にわたる破壊的な人道上の影響は明らかな懸念である」とし、核兵器の非人道性を訴えるところまではNZと同じです。ただし、「安全保障と人道の両面について認識がなされることなしに、核兵器を禁止するだけでは、核廃絶は保証されない」と明記し、安全保障問題には触れることなく、核兵器の非人道性だけに焦点をあてて核兵器禁止に向かおうとする動きとは一線を画す内容になっています。さらに、NZなど16カ国が「共同声明の要」と位置づける「いかなる状況…利益」のような、核兵器の不使用にまで踏み込んだ表現は皆無です。外交関係者の間では、「NZのものは将来的な核の非合法化も視野に入れるものだが、オーストラリアのものは核兵器禁止へ向かう流れを止めようとするもの」とみられています。
NZの声明には、同趣旨のものとしては過去最多となる125カ国が賛同しました。他方、オーストラリアの声明には、米国の「核の傘」の下にある北大西洋条約機構(NATO)加盟国を中心に17カ国が賛同しました。この二つの共同声明に賛同した国の中で、両方に名を連ねたのは日本だけです。
過去3回のNZの声明には「いかなる状況……利益」の部分が米国の「核の傘」に頼る安全保障政策と整合性がとれないとして、賛同を見送ってきた日本が、今回これに賛同したのは、「人類の願望から発想された政治的な意志、メッセージ」ととれる修正を盛り込んだことで、日本の安全保障政策を縛るものではないと解釈したからです。さらに、「全てのアプローチ支持」の文言も加えたことで、「米国の核兵器に守ってもらっているが、少しずつ核兵器を減らすように促す」とする日本の立場にも配慮した内容に修正できたとも判断したのです。こうした日本の対応に対して、欧州のある外交官は「二つの声明は相いれない性質のもの。両方にOKという日本の姿勢は矛盾している」と否定的です。
以上のような紹介をしたあとで、春日特派員は「私自身も反省がある。共同声明発表時は、日本が初めて核兵器の非人道性と不使用を訴えるNZの声明に賛同することだけに目を奪われ、オーストラリアの声明にも賛同することの意味合いもあわせて深く考えることができなかった。不明を恥じるほかない」と記しています。
日本政府は、NZの声明に賛同することによって、米国の核の傘から抜け出る決意をしたのではないのです。原爆の惨害を被り、率先して核兵器廃絶を唱えるべき国が、核の傘に頼っているとは情けないことではありませんか。そしてまた、相いれない二つの声明にともに賛同したとは、イソップ寓話の中の、鳥と獣の戦いの間にあって、情勢によって都合のよい方につこうとしたコウモリにも似ているではありませんか。
多幡記
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