2013年6月21日金曜日

「ヒューマニズムの否定、ヒューマニズムの尊重」


 私事ながら、1951年、私が高校1年生だったときの親友(中学が同じで、高校が別になったM君、いまは故人)との交換日記を別のブログに連載しています。先日掲載した1951年10月11日付けの私の日記の冒頭に、「『ヒューマニズムの否定、ヒューマニズムの尊重』、何という理知的な解釈、何と整然とした解答だろう」とありました。何についての誰の言葉かを書いてありません。

 しかし、少し前の日記に社会科の宿題として「明治憲法と日本国憲法の比較」という問題が出たことが書いてあったことから、その宿題の優れた解答(あるいはその要点)として先生が紹介したものだと思い出しました。その解答を提出したのは、学年のマドンナ的存在で、私が日記中でヴィッキーというニックネームを与えていた女生徒でした(試験でいつも最高点をとることから、勝利の女神ヴィクトリーに因んで、また、美人でもあることから、美の女神ヴィーナスにも因んでつけたニックネームです)。

 何年か前の高校同期会の折に、私が近況報告として、「湯川秀樹を研究する市民の会」や、地域の「9条の会」に関わっていることを話しました。「9条の会」といったとき、私の経歴から想像出来なかったという意味で、驚きの声を発した一人または複数の男性がいました。それに対して、すかさず、「湯川博士も憲法9条を大切と思ったでしょう」と助太刀してくれたのも、ヴィッキーでした。確かに、湯川秀樹は1965年に「日本国憲法と世界平和」というエッセイを書いて、憲法前文の平和に関わる文と第9条を讃えています。

 いま、自民党の改憲草案を読むと、それが明治憲法を彷彿させるものであることに気づきます。自民党改憲草案と日本国憲法の相違、それもまさに、「ヒューマニズムの否定、ヒューマニズムの尊重」ではないでしょうか。ヒューマニズムの否定につながる憲法改悪は、断じて阻止しなければなりません。

 上記の同期会のときには、ヴィッキーの「ヒューマニズムの否定、ヒューマニズムの尊重」を全く覚えていませんでしたが、次に彼女に会う機会があれば、その言葉を当時も感心し、いまも大いに感心していることをぜひ伝えたいと思っています。

多幡記

0 件のコメント:

コメントを投稿