2013年6月23日日曜日

『草枕』に見る漱石の反戦思想


 高校1年生のときに読んだ夏目漱石の『草枕』を、ふと再読したくなり、読んでみました。先に読んだときに興味を持ったのは、誰もがこの作品の主題と認めると思われる、主人公の画家が主張する「非人情」について、それが、本当に芸術を創造するために不可欠な姿勢だろうか、ということでした。今回もその問題に関心がありはしましたが、「改憲論」がやかましいいま、もう一つ、大いに興味を引かれたところがありました。

 それは、主人公やヒロインの「那美さん」らが、日露戦争のために応召する彼女の親戚の「久一(きゅういち)さん」を駅まで見送る最終章です。送る人たちの一人である「老人」は次のようにいっています。
「めでたく凱旋(がいせん)をして帰って来てくれ。死ぬばかりが国家のためではない。わしもまだ二三年は生きるつもりじゃ。まだ逢(あ)える。」
この言葉は、与謝野晶子の詩「君死にたまふことなかれ」に通じます。

 また、次のような記述もあります。
 車輪が一つ廻れば久一さんはすでに吾らが世の人ではない。遠い、遠い世界へ行ってしまう。その世界では煙硝(えんしょう)の臭(にお)いの中で、人が働いている。そうして赤いものに滑(す)べって、むやみに転(ころ)ぶ。空では大きな音がどどんどどんと云う。これからそう云う所へ行く久一さんは車のなかに立って無言のまま、吾々を眺(なが)めている。吾々を山の中から引き出した久一さんと、引き出された吾々の因果(いんが)はここで切れる。
「赤いもの」とは血を指していて、ここには、若い人を戦場へ送る悲しみや、戦場のむなしくも殺伐な様子が描かれています。

 さらに、末尾近くには、
那美さんは茫然(ぼうぜん)として、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐(あわ)れ」が一面に浮いている。
とあります。主人公を那美さんに対して、「それだ! それだ! それが出れば画(え)になりますよ」と叫ばせた「憐れ」の表情は、先に彼女が久一さんにいった「死んで御出(おい)で」という言葉とは裏腹な、彼女の真情を示したものでしょう。

 これらの記述に、軍国主義の盛んだった時代にもかかわらず、漱石が抱いていた反戦の精神がはっきり現れていると思います。彼がいま生きていたならば、「九条の会」の心強い味方だったに違いありません。

 (『草枕』からの引用は「青空文庫」版によりました。)

多幡記

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