2012年10月4日木曜日

九条の会講演会での大江健三郎氏の話


 既報の九条の会講演会「三木睦子さんの志を受け継いで—今、民主主義が試されるとき」で、作家の大江健三郎さん、憲法研究者の奥平康弘さん、作家の澤地久枝さんが話された内容のやや詳しい報告が、さる10月2日付け『しんぶん赤旗』に掲載されました。残念ながら、同紙のオンライン版には掲載されていませんので、ここに大江さんの分を引用させて貰います。

憲法9条を世界に向けて守り抜く
 この国は民主主義の国でしょうか?

 原発事故で現在も16万人の方たちが避難しています。政府が行なった市民の意見聴取会は「原発ゼロ」が圧倒的に多かったのです。原発廃止を考えている人たちの集まりは十数万人の大集会を開くことも出来ました。ここに希望があります。

 ところが、政府が「原発稼働ゼロ」の方針を発表した2日目から、これに反対する動きが公然と強力に起こりました。一つはアメリカでした。国内では経済界が一斉に反対しました。日本経団連会長が首相に電話で「承服しかねる」と言いました。これが日本なんです。野田政権は閣議決定せず、政府声明として言うことはありませんでした。そのまま次の政府を担当しようとしています。それは民主主義でないと私は思います。

 沖縄のオスプレイについて考える人たちと、原発再稼働反対の大きい運動は二つとも実は憲法にかかわっています。憲法9条を世界に向って守り抜く、あらゆる国に対して「守るよ」と示すことが、今の日本の民主主義にとって、最も重要なことです。

 上記の引用に当たっては、文体の統一などの変更をしました。

 なお、米軍機オスプレイ配備が憲法9条の精神に反することは分かりやすいですが、原発再稼働反対が憲法にかかわっているということを、皆さんは理解出来たでしょうか。一つには、大事故の危険に脅かされながら暮らさなければならないことは、憲法25条に「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定めている権利を奪われることになる、というかかわりでしょう。

 もう一つは、日本国憲法が前文において、「日本国民は、恒久の平和を念願し」とうたっていることにかかわっていると思います。平和とは戦争がないことだけでなく、あらゆる不安や恐怖から解放されて暮らせる状態なのです。「平和学」は近年、戦争のような「直接的暴力」だけでなく、貧困、抑圧、差別などの「構造的暴力」も問題にするようになっています。日本の住民の一部の人たちが原発事故の恐怖にさらされながら生きなければならないのは、差別であり、抑圧であるでしょう。また、原発の運転は、被曝の危険の大きい保守点検業務下請けの労働者たちにも、差別と抑圧を強いて来ているのです。

多幡記