2012年10月2日火曜日

原発ゼロへの作家たちの貴重な言葉



 『図書』誌に連載の大江健三郎氏のコラム「親密な手紙」10月号分は「キツネの教え」という題である。末尾の一節は次の通り。
 そして私は原発を全廃しようという市民運動の一員となって、集会の一つで、「次の世代がこの世界に生きうることを妨害しない、という本質的なもののモラル」こそいま大切だ、と語った。それは老齢の作家ミラン・クンデラが、la morale de l'essentiel という一句を文学表現の最終の到達点におくと、説き続けているのに共感しながらのことなのだ。[引用者注:下線の個所は原文では傍点付き]
 文中のフランス語は「本質的なもののモラル」を意味する。この文が「キツネの教え」と題されているのは、大江氏が三十代の頃から贈られ続けている京都大学フランス文学研究室の雑誌『流域』の近刊号に「『星の王子さま』のタイプ原稿」と言う記事があり、王子さまと別れて行くキツネが教えるくだりに関わる l'essentiel の語が、氏のこのところの特別な思いと重なる、というところから来ている。

 同じ『図書』誌10月号の赤川次郎氏のエッセイ「三毛猫ホームズの遠眼鏡 4: フクシマの壁」には、次の文がある。
 原発ゼロの社会を「現実的でない」と言う人々がいる。しかし、人の住むことの出来なくなった家々が荒れ果てていく現実以上の、どんな悲しい「現実」があるというのか?
 反原発の運動は、人間の「生きる権利」の主張から発している。
 このエッセイが「フクシマの壁」と題されているのは、これに先立つ次の箇所から来ている。
 しかも、ベルリンの壁は一九八九年、人の手によって破壊されたが、放射能の壁は人間の意思など無視して、一体いつなくなるものか、想像もつかない。
 再び大地震が日本を襲って、原発が崩壊すれば、第二、第三の「フクシマの壁」が、この狭い国土を寸断するかもしれないのだ。その時、私たちはその壁を「東西冷戦のせい」にはできない。自らが招いた悲惨としか言えないのである。
 原発ゼロに反対する財界の発言とそれを受けて迷走する現政権の姿勢は、いずれも「本質的なもののモラル」に欠け、人間の「生きる権利」の叫びに耳を傾けようとしないものと言わなければならない。

多幡記