先日、堺市・西区で開催された「歌声喫茶 IN ウェスティ」のレンタル歌集の1冊『うたの世界 2010年版』(ともしび, 2009)を見ていて「あの日の授業-新しい憲法のはなし-」という歌を見つけました。「語り」の部分は1947年、当時の文部省が発行し、52年3月まで使われた教科書『新しい憲法のはなし』中の「六 戦争の放棄」の章から引用されています。
この歌の歌詞と楽譜を掲載しているウェブページ『うた新「歌の小箱」17』には、フォーク・シンガー笠木透さんが中東湾岸戦争の翌年の1992年にこの歌詞を創作したこと、それは国連のPKO(Peace Keeping Operation)の名のもとに自衛隊海外派兵が立法化されたときで、コンサートの新曲を考えていた笠木さんはこの教科書と、それを教えた先生を思い出したということ、そして、「戦争に負けて突然 "民主主義" "自由" "基本的人権" といった言葉が先生の口から発せられ、めんくらった」、「よく理解はできなかったが、先生が一生懸命だったことだけは覚えている」と述懐していることが記されています。
ユーチューブに掲載されているこの歌の演奏をお聞き下さい。下に歌詞も掲載しておきます。
あの日の授業-新しい憲法のはなし-
笠木 透 作詞、安川 誠 作曲
あの日の先生は 輝いて見えた
大きな声で教科書を 読んでくださった
ほとんど何も 分からなかったけれど
心に刻まれた あの日の授業
(語り)
「そこで、今度の憲法では日本の国が、決して二度と戦争をしないようにと、二つのことを決めました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさい持たないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。『放棄』とは『捨ててしまう』ということです。しかし、みなさんは、決して心細く思うことはありません。日本は正しいことを、他の国より先に行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」
あの日の先生は 熱っぽかった
これだけは決して 忘れてはいかんぞ
あわをふいて ほえたり叫んだり
心に刻まれた その日の授業
(語り)
もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、決して戦争によって、相手を負かして、自分の言いぶんを通そうとしないということを決めたのです。おだやかに相談して、決まりをつけようと云うのです。なぜならば、いくさをしかけることは、結局自分の国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で相手をおどかすようなことは、いっさいしないことに決めたのです。これを戦争の放棄というのです。そうして、よその国となかよくして、世界中の国がよい友達になってくれるようにすれば日本の国は栄えてゆけるのです」
あの日の先生は 涙ぐんでいた
教え子を戦場へ 送ってしまった
自らをせめて おられたのだろう
今ごろ分かった あの日の授業
あの日の先生は 輝いて見えた
大きな声で教科書を 読んでくださった
ほとんど何も 分からなかったけれど
心に刻まれた あの日の授業
この歌の歌詞と楽譜を掲載しているウェブページ『うた新「歌の小箱」17』には、フォーク・シンガー笠木透さんが中東湾岸戦争の翌年の1992年にこの歌詞を創作したこと、それは国連のPKO(Peace Keeping Operation)の名のもとに自衛隊海外派兵が立法化されたときで、コンサートの新曲を考えていた笠木さんはこの教科書と、それを教えた先生を思い出したということ、そして、「戦争に負けて突然 "民主主義" "自由" "基本的人権" といった言葉が先生の口から発せられ、めんくらった」、「よく理解はできなかったが、先生が一生懸命だったことだけは覚えている」と述懐していることが記されています。
ユーチューブに掲載されているこの歌の演奏をお聞き下さい。下に歌詞も掲載しておきます。
多幡記
笠木 透 作詞、安川 誠 作曲
あの日の先生は 輝いて見えた
大きな声で教科書を 読んでくださった
ほとんど何も 分からなかったけれど
心に刻まれた あの日の授業
(語り)
「そこで、今度の憲法では日本の国が、決して二度と戦争をしないようにと、二つのことを決めました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさい持たないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。『放棄』とは『捨ててしまう』ということです。しかし、みなさんは、決して心細く思うことはありません。日本は正しいことを、他の国より先に行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」
あの日の先生は 熱っぽかった
これだけは決して 忘れてはいかんぞ
あわをふいて ほえたり叫んだり
心に刻まれた その日の授業
(語り)
もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、決して戦争によって、相手を負かして、自分の言いぶんを通そうとしないということを決めたのです。おだやかに相談して、決まりをつけようと云うのです。なぜならば、いくさをしかけることは、結局自分の国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で相手をおどかすようなことは、いっさいしないことに決めたのです。これを戦争の放棄というのです。そうして、よその国となかよくして、世界中の国がよい友達になってくれるようにすれば日本の国は栄えてゆけるのです」
あの日の先生は 涙ぐんでいた
教え子を戦場へ 送ってしまった
自らをせめて おられたのだろう
今ごろ分かった あの日の授業
あの日の先生は 輝いて見えた
大きな声で教科書を 読んでくださった
ほとんど何も 分からなかったけれど
心に刻まれた あの日の授業