『図書』誌に連載の赤川次郎氏のエッセイ「三毛猫ホームズの遠目鏡」は11月号で第5回となります。今回は「愛国の旗」と題されていて、城山三郎の詩「旗」(『支店長の曲り角』講談社、1992年、所収)の冒頭の二行「旗ふるな 旗ふらすな」の引用で始まっています(「旗」の全体はこちらのブログ記事に引用されています)。
赤川氏は「どんな時、どんな旗であっても、旗を振って人々を煽る人間に対し、どこか『うさんくささ』を感じておられたのだろう。それは城山さんご自身の従軍体験の実感から来たものだったに違いない」と記しています。
次いで、赤川氏は、以前はなかった、オリンピックで勝者が大きな国旗を身にまとって場内を一周するパフォーマンスを批判しています。元来オリンピックは国境を越えた、個人の競い合い場のはず、というのが批判の根拠です。
そしてエッセイは、「将来に希望が持てない不満は、しばしば弱者への攻撃、仮想敵への憎悪に向う。そういう社会を作って恥じない人々ほど、二言めには『愛国心』を口にするものだ。日の丸の旗を振るリーダーこそ警戒しなければならない」との結論へ進んで行きます。そこまでの話に挙げられている、「そういう社会を作って恥じない人々」の例は誰々でしょうか。
「尖閣諸島を巡って、日中の対立が烈し」くなった「そもそものきっかけ」である「唐突な『買収宣言』」をした石原都知事が挙げられています。(石原慎太郎氏は赤川氏がこのエッセイを執筆した当時まだ都知事でしたが、10月25日、都知事を辞職する意向を表明し、それとともに、新党を結成して、国政への復帰を目指す考えを明らかにしました。)
「中国との緊張を高めることで、米軍、自衛隊の存在意義を強調することを狙ったアメリカの意図[に乗ったもの]ではなかったのか。中国指導部の交替を目前に控えた『最悪のタイミング』。あえてそこを狙ったのでなければ、あまりに不自然である」との、うがった見方が述べられています。(石原氏は以前から、尖閣諸島をタネに中国との緊張を高めようという考えを持っていました。2005年のブログ記事「最初のぼたんを掛け違えている」参照。)
続く例は、オスプレイの事故についてのアメリカの報告をそのままくり返し、また、自民党政権すらためらって来た「武器輸出三原則」の緩和をやってのけた現政府と、それを望み、利益さえ上がれば、日本製のミサイルや機関銃が罪もない子供を殺りくする光景など気にしないような日本の財界人です。赤川氏の今回のエッセイには登場していませんが、関西にも格好の例がありそうです。
このように紹介すると、赤川氏のエッセイは暗い話ばかりに満ちているように聞こえるでしょうが、そうではありません。オリンピックの話に続いては、「国旗を身にまとう、という行為に、一度だけ胸打たれたことがある」として、感激的なエピソードを記しています。グルジア出身のバレリーナ、ニーナ・アナニアシヴィリが2010年に「グルジア国立バレエ」を率いてやって来たとき、カーテンコールに現れた彼女がグルジア国旗を身にまとっていたのです。
バレエ団の来日時に、グルジア大統領サアカシュヴィリが殺されたというニュースが流れ、アナニアシヴィリの夫君は時の外務大臣であり、政権が転覆して親ロシア政権に代れば、夫婦ともども命の危険さえあったのです。幸い、ニュースは誤報だったと分かりました。赤川氏は、「いつ失うかもしれない祖国。その危機感の中、アナニアシヴィリは祖国グルジアへの愛を表現したのだ。オリンピックの TV 向けパフォーマンスとは全く違う、切実で哀しい行動だった」と書いています。
エッセイの最後には、かつて旧国鉄広尾線の愛国駅・幸福駅間の切符が爆発的に売れたとき、赤川氏が「『幸福』はともかく『愛国』はどうもね」というと、若い女の子が「『愛の国』のどこがいけないの?」と問い返したという話を紹介し、「なるほど、『愛国』が『国を愛する』のでなく『愛の国』である時代、そんな世界が一日も早く来てほしいものだ」と記しています。
赤川氏は「どんな時、どんな旗であっても、旗を振って人々を煽る人間に対し、どこか『うさんくささ』を感じておられたのだろう。それは城山さんご自身の従軍体験の実感から来たものだったに違いない」と記しています。
次いで、赤川氏は、以前はなかった、オリンピックで勝者が大きな国旗を身にまとって場内を一周するパフォーマンスを批判しています。元来オリンピックは国境を越えた、個人の競い合い場のはず、というのが批判の根拠です。
そしてエッセイは、「将来に希望が持てない不満は、しばしば弱者への攻撃、仮想敵への憎悪に向う。そういう社会を作って恥じない人々ほど、二言めには『愛国心』を口にするものだ。日の丸の旗を振るリーダーこそ警戒しなければならない」との結論へ進んで行きます。そこまでの話に挙げられている、「そういう社会を作って恥じない人々」の例は誰々でしょうか。
「尖閣諸島を巡って、日中の対立が烈し」くなった「そもそものきっかけ」である「唐突な『買収宣言』」をした石原都知事が挙げられています。(石原慎太郎氏は赤川氏がこのエッセイを執筆した当時まだ都知事でしたが、10月25日、都知事を辞職する意向を表明し、それとともに、新党を結成して、国政への復帰を目指す考えを明らかにしました。)
「中国との緊張を高めることで、米軍、自衛隊の存在意義を強調することを狙ったアメリカの意図[に乗ったもの]ではなかったのか。中国指導部の交替を目前に控えた『最悪のタイミング』。あえてそこを狙ったのでなければ、あまりに不自然である」との、うがった見方が述べられています。(石原氏は以前から、尖閣諸島をタネに中国との緊張を高めようという考えを持っていました。2005年のブログ記事「最初のぼたんを掛け違えている」参照。)
続く例は、オスプレイの事故についてのアメリカの報告をそのままくり返し、また、自民党政権すらためらって来た「武器輸出三原則」の緩和をやってのけた現政府と、それを望み、利益さえ上がれば、日本製のミサイルや機関銃が罪もない子供を殺りくする光景など気にしないような日本の財界人です。赤川氏の今回のエッセイには登場していませんが、関西にも格好の例がありそうです。
このように紹介すると、赤川氏のエッセイは暗い話ばかりに満ちているように聞こえるでしょうが、そうではありません。オリンピックの話に続いては、「国旗を身にまとう、という行為に、一度だけ胸打たれたことがある」として、感激的なエピソードを記しています。グルジア出身のバレリーナ、ニーナ・アナニアシヴィリが2010年に「グルジア国立バレエ」を率いてやって来たとき、カーテンコールに現れた彼女がグルジア国旗を身にまとっていたのです。
バレエ団の来日時に、グルジア大統領サアカシュヴィリが殺されたというニュースが流れ、アナニアシヴィリの夫君は時の外務大臣であり、政権が転覆して親ロシア政権に代れば、夫婦ともども命の危険さえあったのです。幸い、ニュースは誤報だったと分かりました。赤川氏は、「いつ失うかもしれない祖国。その危機感の中、アナニアシヴィリは祖国グルジアへの愛を表現したのだ。オリンピックの TV 向けパフォーマンスとは全く違う、切実で哀しい行動だった」と書いています。
エッセイの最後には、かつて旧国鉄広尾線の愛国駅・幸福駅間の切符が爆発的に売れたとき、赤川氏が「『幸福』はともかく『愛国』はどうもね」というと、若い女の子が「『愛の国』のどこがいけないの?」と問い返したという話を紹介し、「なるほど、『愛国』が『国を愛する』のでなく『愛の国』である時代、そんな世界が一日も早く来てほしいものだ」と記しています。
多幡記