2012年11月5日月曜日

「石原氏 シナ発言の危うさ:歴史呼称 侮蔑に転化—戦時に使用 中国から嫌がられ」東京新聞


 10月31日付け東京新聞は、小倉貞俊、荒井六貴の両記者が『「石原新党」の主役、石原慎太郎東京都知事(80)が国政復帰を目指すなかで気になるのが、中国を「シナ」と呼ぶことだ。中国の反発を意に介せず、最近は挑発するように連発するが、シナはなぜ問題視されるのか。尖閣諸島の国有化で悪化した日中関係が改善しないなか、「排外的ナショナリズム」について考えた』として書いた、表記題名の記事を掲載しました。以下に要点を紹介します。

 シナの語源としては、中国初の統一王朝となった「秦」とする説が有力です。のちに清朝(しんちょう)ができましたが、中華民国建国の父・孫文は、その打倒を目指したことから、中国の呼称に「清」を使わず、「支那」を多用しました。「シナという呼称自体には歴史的な重みがあり、差別的な意味は全くない」(中嶋嶺雄・国際教養大学長、現代中国学)ということです。ただし、日本と中国の間では、次のような経緯があります。

 1912年の中華民国の成立後も日本は新国家を認めることなく、「支那」と呼称することを決定。中国侵略に際して、侮蔑語として使うようになりました。「暴支膺懲」(ぼうしようちょう、暴虐な支那を懲らしめよ)のスローガンも作られ、「軍上層部による中国への蔑視が込められていた」[槻木(つきのき)瑞生・同朋大名誉教授、中国近現代史]ことから、中国側が反感を高めました。

 戦後の1946年、外務省が「中華民国が嫌がり、使用をやめてほしいとの要求があった」として、新聞や雑誌で支那と表記することをやめるよう通達。1949年に中国共産党が中華人民共和国を建国し、次第に使用が控えられるようになりました。

 このような経緯のある呼び名をあえて連発する石原氏は、排外的ナショナリズムの強い人物であることが明らかで、近隣の国ぐにと仲よくして行くべき日本の国政に関わるのにふさわしい人物とは言えないのではないでしょうか(「排外的ナショナリズム」と言う言葉は、見出しにあるだけで、記事の本文中には石原氏と結びつけて使用されていませんが)。

多幡記