―原告敗訴―
その瞬間
廷内の空気が沈滞した
わたしは傍聴席の椅子から
暫く立ち上がれなかった
心の中を冷たい風が
吹き抜けた
二〇一一年十二月七日
大阪空襲訴訟
提訴から三年
その間猛暑の夏厳寒の冬
大阪北 南まであちこちの街頭に立ち
弁護士 原告 支える会
声をあげての訴え 署名活動度々
手弁当の戦争を知らない若い弁護士さん達の
昼夜分たぬ資料研究訴状作成等
数限りない努力の日々が
一瞬にして崩れた
これまで
口頭弁論十回
原告二十三名中十二名
専門家証人二名の尋問が行われた
戦後一切の救済なく
六十六年間の苦しみ背に
年老いた身を運んで
とつとつと語る
戦争障害者 被災者の方の(内二名死去)
涙の訴えは今も耳に残っている
ー国に救済の立法義務はないー
心臓も凍る冷たい言葉で
訴えは退けられた
あの激戦の地沖縄に
無用とも思う戦車を走らせ
最新の自衛隊戦闘機が空を飛ぶ
無制限に戦費をつぎ込みながら
この国は戦争犠牲者を見捨てる
許せない
明日十二月八日は
七十年目のアジア太平洋戦争開戦の日
裁判所からの帰り道
寒風に咲くサザンカが
今日はとても寂しい
(『憲法九条だより』第16号、2012年1月1日から。最終節は編集の都合で次号回しになっていましたが、ここでは追加して、全編を掲載ました。)
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