池澤さんの著書『憲法なんて知らないよ』
朝日紙夕刊に月1回掲載される池澤夏樹さんの随筆「終わりと始まり」の2013年5月分(7日付け)は「憲法をどう論じようか:揶揄せず原則に返ろう」(リンク先で読むにはログインが必要。副題は印刷版から)と題して、改憲論や自民党改憲案を批判しています。
池澤さんが、「政治とは政策であると同時にイメージ操作である」と看破する一方で、「憲法というのは国家の横暴から国民を守るものである、と原則論をもう一度説かなければならないようだ」と述べているのは、一見矛盾するようです。しかしこれは、イメージ操作する側の人々には原則論で立ち向かうことが必要だということでしょう。
原則論の延長として、池澤さんは、「占領軍による押し付けと言うけれど、合衆国憲法を押し付けられたわけではない。欧米が時間をかけて培ってきた民主主義・人権思想・平和思想の最先端が敗戦を機に日本に応用された。そのおかげでこの六十年の間、日本国は戦闘行為によって自国民も他国民も殺さずに済んだ。特別高等警察による拷問や虐殺はなかった。必要ならば何度でも説明する」と記しています。
池澤さんはまた、自らの著書『憲法なんて知らないよ』(現行の「日本国憲法」を日常の言葉に訳したもの。集英社文庫、2005年)から、次の文を引いています。
「政府は、国民みなが信じて託した一人一人の大事な気持ちによって運営される。政府がいろいろなことをできるのは国民が政府を支えるからである。政府の権力は私たちの代表を通じて行使されるし、その結果得られる幸福はみなが受け取る。
これは政治というものについての世界の人々の基本的な考えであり、私たちの憲法もこの考えを土台にして作られている。」
これは、憲法前文の次の箇所の訳文です。
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。」
原文のままでは言葉が頭を素通りしてしまいそうですが、池澤さんのように分りやすく言い換えてみると、実に大切なことが書いてあるとよく分ります。
他方、池澤さんは、自民党改憲案の前文には文章としておかしいところがあるばかりでなく、意味の上でも「先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて」と、「大戦」と「災害」を同列におき、主権国家がその意思をもって引き起こした戦争への「歴然たる責任回避」をしている、と厳しく批判しています。そして、「自民党の草案には民主国家として克服したはずの問題がゾンビーのようにうごめいている。ゾンビーと名付ければ退治もできる。これをぼくなりのイメージ戦略としてみようか」と結んでいます。
天皇を「元首」とし、「自衛権の発動」としての戦争を許し、「国防軍」を保持し、国防軍の「審判所」を設け、自由と権利に対し「公益及び公の秩序」を繰り返し強調する、などは、まさにゾンビー(またはゾンビ、生ける死体のこと)がうようよしているイメージにぴったりです。
多幡記
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