2013年2月6日水曜日

戦争体験を語る:岩津恭子さん

「何十年たっても忘れられません」
鳳中町・岩津恭子さん
 この記事は、2010年5月11日付けで本会第2ブログサイトに掲載したものの転載です。(第2ブログサイトは、転載済みの記事から消去し、いずれ廃止する予定です。)

 学徒動員を終えた私が、昭和20年3月、女学校を卒業して、大阪市立の女学校の事務員として勤めた頃です。空襲警報が鳴りますと、重要書類箱を抱えて防空壕へ走りこむのが日課でした。その箱の中には天皇の「御真影」も入っていました。その日も、いつものように警報のサイレンが鳴り、防空壕へ走りこんだとき、背後でバシビシッと大きな音がはじけたのです。振り返ると、後ろから走りこんできた二人の生徒の背中に弾が命中して倒れたところでした。

 思わず私は息をのみ、空を見上げると、何と飛行機がすぐそこにきており、操縦士の顔が一瞬見えました。その顔はウサギを追う猟師のようで、心地よさそうにニヤリと笑っていたのです。武器も持たずに逃げている子どもを何で殺すのでしょうか! 弱冠十六歳だった私はぶるぶると怒りに震え、天を仰ぎ神を呪いました。戦争は人間をこれほど狂わせるのでしょうか!

 いのちを生み育てる母親として、このようなことは絶対に許せません。戦争が終わって一時は、生き残った安堵感と希望を感じましたが、罪もないあの女学生を殺したこの戦争を、何十年たっても絶対忘れることはできません。この悲惨な歴史の事実とわれわれ高齢者の貴重な体験を、戦争を知らない世代の若者に必ず語り継いで、平和な未来を作る夢を実現させるため、生きている限りがんばり続けます。

『憲法九条だより』第2号(2006年12月1日)から

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