2014年4月11日金曜日

「防空法」があった時代、そして特定秘密保護法のいま:『中国新聞』「論」欄の指摘



 2014年2月20日付け『中国新聞』朝刊「論」欄に、「『防空法』があった時代 なぜ国民に義務付けたか」と題する一文(論説副主幹・佐田尾信作氏の筆)が掲載されました。このことを、大阪空襲訴訟原告団の安野輝子さんから知らせて貰いました。本ブログでもしばしば取り上げてきた「防空法」や、集団的自衛権行使容認、特定秘密保護法などにふれているその文を、以下にかいつまんで紹介します。

 佐田尾氏は、日米開戦前夜に陸軍大臣だった東条英機が発した「戦陣訓」の一節「生きて虜囚の辱めを受けず」という言葉をまず持ち出し、オーストラリアの小さな町で起きた日本兵捕虜の脱走暴動事件「カウラ事件」が、事件を知る人たちの一人の証言によれば、「ただ死ぬために行動した」ものだったことにふれています。そして、事件を戦陣訓だけでは片付けられないものの、戦陣訓が日本兵捕虜の内面を強く呪縛していたことが証言からうかがえる、と論じています。

 ついで、佐田尾氏は「銃後」にも戦陣訓はあったとして、「防空法」が空襲下での避難を禁じ、多くの市民の命を犠牲にしたことを述べ、大阪空襲訴訟の法廷での訴えの様子も紹介しています。続いて、防空法が悪法だとしても、国会の正式な手続きを経て成立しているのはなぜだろうか、と問いかけ、成立の翌年に「国民の立憲的訓練」を説いた言論人・桐生悠々のような人もいたが、彼の論説「関東防空大演習を嗤(わら)う」が反軍的だと攻撃され、主筆を務めていた地方紙を追われたことを紹介しています(同論説は、青空文庫のこちらのページで読めます)。

 佐田尾氏はここで「立憲」をキーワードに、現在の政治に目を転じ、集団的自衛権行使容認をめぐる憲法解釈について、「内閣法制局長官ではなく私が責任を持っている」とした安倍晋三首相の国会答弁が、立憲主義の否定だとして、物議を醸したことに言及しています。氏は「現憲法は国民の権利や自由のために国家権力を縛る、という立憲主義に基づく。本来、憲法を尊重すべきはどちらなのか。この立憲主義が侵されない限り、いかなる政権下でも防空法のような法律が再び定められることはないと考えるのが常識だろう」と指摘しています。

 さらに、氏は「だが、特定秘密保護法のように国民に制約を課す法律が現実になると、少し身構えなければなるまい。戦時下であるかどうかにかかわらず、戦前昭和の立法の歴史に関心を持ち、いま一度、洗い直す必要はあるのかもしれない」 と警告しています。(佐田尾氏の原文全体はこちらで読めます。)

 筆者は、佐田尾氏の文末の言葉「少し身構えなければなるまい。…洗い直す必要はあるのかもしれない」の代りに、「大いに身構えなければなるまい。…洗い直すことがぜひ必要である」というべきだと思いました。

多幡記

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