2018年7月4日水曜日

忘れたくない故・加藤周一氏の言葉


 加藤周一さんは「九条の会」発足当時の9名の呼びかけ人の1人で、会で中心的な役割を果たされましたが、2008年に亡くなられました。その没後5周年に、『加藤周一最終講義』(かもがわ出版、2013年)という本が記念出版されました。筆者が他の何冊かの読了した本と一緒に、その本をそろそろ処分しようかと書棚から取り出したところ、1カ所にポストイットを添付してあることに気づきました。加藤さんが北京の清華大学で2005年3月30日に行った講義「私の歩み、人生の歩み」の、末尾にある「九条の会」と題する20行足らずの1章です。

 そこには、加藤さんが「九条の会」にかかわった理由が次のように述べられています。
 前の戦争のとき、[...]どうして止められなかったのか。[...]はたして東京は焼け野原になった。もういっぺん焼け野原になるのを黙って待っているのですか。あるいは、できるだけの力をふるって、また戦争できるように日本の経済と制度を変えていこうという動きに対抗しようとするのか。それ[対抗しようとする運動]が「九条の会」です。[...]書くだけではなくて、もう一歩踏みだした組織に初めてコミットしました。

 そして、昨今の「いよいよ憲法九条を変えて、軍備を大々的に強めようという考え方が前面に出て来て」いる情勢を憂えた老・加藤さんは次のように力強く宣言しているのです。
私はいま、少なくとも歩行できる程度の力が残っていれば、抵抗したいと思います。私は時々新聞に書きますから、書く時は「花鳥風月」ではなくて、「九条」に触れる。そこには一種の倫理的な意味があると思います。

 安倍9条改憲を阻止するためには、私たちにも、いまは「花鳥風月」ではなくて「九条」、の心構えが必要でしょう。

多幡記

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